75.殉教者の目
俺が神なのは何故か、という話はさておき、ヘカテーに聞いた。
「その禁呪はどこに行けばいいんだ」
まっすぐ見つめながら聞くと、ヘカテーは答える前にまず小さく頷いてくれた。
言外に、俺が「早くしたい」と言っているのを正しく汲み取ってくれたようだ。
「最寄りは私の屋敷がよろしいかと」
「分かった」
俺は頷き、ぐるりと家の中を見回した。
すると、部屋の隅っこに水がめがあるのを見つける。
それに向かっていき、木製の蓋を手に取って開けてみる。
中は普通の水が入っている。
おそらくはダガーが貯蔵している生活用水だろう。
「これを使わせてもらうよ」
「使う?」
ダガーが側にやってきて、俺の後ろから水がめの中をのぞき込む。
何もしていないただの水のままだから、ダガーは不思議そうに首をかしげていた。
「説明はあと。ヘカテー、オノドリム」
「はい」
「わかった」
応じる二人、同じように側にやってきた。
ヘカテーがオノドリムに触れ、俺はヘカテーとダガーに振れた。
四人「繋がった」状態で、俺は水の中に飛び込んだ。
海の女王から譲り受けた、水ワープの能力。
それを使って、ヘカテーの屋敷にワープした。
やってきたのは余計な調度品が一切ない、だたっぴろい部屋だった。
部屋の中央に大理石製のオブジェクトがある。
獅子ともつかない大理石の像、その口から水が流れ出ている。
室内にある、小さな噴水のようなものだ。
大理石を使っていることもあって、わざわざ「そう」作らせているせいもあってか。
ヘカテーの屋敷といういわば民家の中なのにもかかわらず、この部屋だけ神殿的な雰囲気が漂っている。
「この部屋改装したんだ」
俺はヘカテーに聞いた。
「はい、神が立ち寄る聖なる場所ですので、あるべき姿に作らせました」
「なるほど」
「本当は神をかたどった姿にしたかったのですが、今はそれを望まれないと思い、ありふれた動物の形としました」
「あはは……それは本当にありがとう」
俺は微苦笑しつつ、ヘカテーらしいなと思った。
大聖女として300年間ルイザン教に身を置いた人物なんだ、色々と形にこだわるものなんだろう。
そしてさっきからダガーに怒り心頭なのに我慢出来てるのも、この石像の形を思いとどまれるのも彼女らしいとおもった。
この部屋は俺が移動する時に使う、ってことで空けておいてもらってた場所だ。
水ワープ制限が二つある、一つは行ったことのある場所しかいけないのと、もうひとつはその場所に水がなければいけない。
だからいつでもここに来れるように水を置いてもらうようにしていた。
「ここはどこだ?」
一緒に連れてきたダガーは険しい顔をしていた。
水ワープでいきなり違う場所に連れてこられて困惑しきっているようだ。
「都にある、私の屋敷です」
「都? なんの冗談だ?」
「冗談かどうかは外に出れば分かること。それよりも神よ」
ダガーがすぐに受け入れられないことは織り込み済みなのか、それともダガーへの怒りがまだ続いているのか、ヘカテーは素っ気なく会話を打ち切って、俺に話しかけてきた。
「すぐに用意致しますので、その間ご随意にくつろいでいていただければ」
「うん、お願い」
ヘカテーは静々と一礼して、部屋から出て行った。
「少年……お前は一体……」
ヘカテーがいなくなった事で、ダガーの疑問が俺に向けられた。
もともと俺が水ワープで連れてきたんだから、俺が答えるべきなんだろうな。
「マテオ・ローレンス・ロックウェル。貴族の子供だよ」
「それは知っている……ん、いや初耳か?」
ダガーがそう言って、首をかしげた。
これまで彼女があまりにも普通に「少年」呼ばわりしてくるから、俺自身そういえば名乗っていたかどうか確信が持てなかった。
それはいいけど……名乗ったのはいいけど。
自分の事を、ダガーが今不思議がっている「何者」をどこからどこまで説明して良いものか、迷って分からなくなってしまうのだった。
☆
「こちらでございます」
ヘカテーの寝室。
彼女はベッド横にある花瓶に「とんとんとん、とんとんとんとん」とギクシャクに聞こえるようなリズムで叩くと、数秒遅れてベッドが上にせり上がった。
せり上がったベッドの下からは階段が現われた。
地下室に続く、秘密の階段。
「先導致します、どうぞ」
俺、ヘカテー、オノドリム、そしてダガー。
四人は一列に並んで、石造りの階段を降りていった。
明かりが一切無くて、密閉した空間にある階段。
地下へ潜っていく螺旋のような階段だ。
明かりは先頭にいるヘカテーと、最後尾の俺が持っている。
「まさか、ヘカテーの屋敷の地下だとは思わなかった」
「うん、あたしも。もっとこう、教会の総本山とか、どっかにある神殿とか、そういう所に行くんだって思ってた」
オノドリムがそう言い、俺も頷いた。
彼女とまったく同意見だった。
ヘカテーから「禁呪」という言葉を聞いていたから、そういうのを想像していた。
それがまさかヘカテーの屋敷、しょっちゅう来ているこの屋敷の地下だというのは完全に予想外だった。
「なんでここにあるの?」
「250年前に私が封印した物だからです」
「……そっか、長い間大聖女だったからなんだ」
「はい」
ヘカテーは顔だけ振り向き、肩越しに俺に向かって微笑んだ。
「ねえねえどういうことなの?」
「たぶんなんだけどね……ヘカテーくらいの高い地位にいると色々秘密ができるんだ。それもものすごい重要な秘密」
「そういうものなんだ」
「そういうものだと思うんだ」
精霊のオノドリムには分からない感覚だけど、マテオになる前はただの村人で普通の大人だった俺にはよく分かる。
人間は生きていくだけで秘密を抱える。普通に仕事をしてるだけでも、長くやっていれば墓まで持っていくような秘密の一つや二つは出来てしまうもんだ。
「秘密にしたいこと、それもものすごく大事な事。それをどうしたらいいのかって考えると、自分の目が届く範囲に置いた方が一番だと思うんだ」
「そっか、だから自分のベッドの下」
「そ、何かがあってもすぐに分かるからね」
階段を降りながら、やっぱりすごいな、って思った。
「ねえヘカテー」
「はい、なんでございましょう」
「こんなに大事なもの、いいの?」
「神がお望みでしたら是非もございません」
「ううん、そうじゃなくて。もちろんそう言ってくれるのはすごく嬉しいことなんだけど」
「では?」
「ヘカテーが自分のベッドの下の地下室に隠して、封印する様なものだよね。そんな封印を解いちゃって大丈夫なの?」
「神がお望みでしたら」
ヘカテーは同じ言葉を繰り返した。
例え危険があっても、それを俺が望むのなら――と、考えはまったく変わらないようだ。
「危険はあるの? 正直に答えて」
俺は真顔になって、真剣なトーンでいった。
ヘカテーはしばし黙った。
一行が石造りの階段を降りていく靴音がやけに響いた。
しばらくして、ヘカテーは重い口を開けた。
「ございます」
「だったら――」
「ですが、問題はございません」
ヘカテーは階段降りながら、もう一度振り返って、言う。
「神がお望みでしたら」
「むっ……」
決意を感じた。
ヘカテーになんて返せばいいのか迷った。
そんな中、ずっと黙っていたダガーも振り向き、驚いた顔で俺を見る。
「少年は……本当に神なのか?」
「え?」
いきなりなんだ、と別の驚きが俺を襲う。
「医者をやっていると、たくさんの人間をみる」
「う、うん」
「あの女……殉教者のような目をしている」
「殉教者……あっ」
ハッとして、ヘカテーの方を見た。
ダガーに指摘されたせいか、ヘカテーは微苦笑していた。
殉教者……神の為に死ぬ者。
ヘカテーの目で、ダガーはようやくその事をただの冗談じゃないと思うようになったみたいだった。




