137.照れ隠しと八つ当たり
「こちらをお使い下さい」
ノワールはそういって、ナイフを俺にさしだしてくれた。
受け取ったそのナイフはその辺にある安物のナイフじゃなくて、柄に華美な装飾が施されているものだった。
相当な値段がする工芸品だというのは一目で見て分かるほどの代物だった。
それを見たイシュタルがわずかに目を見開いて、興味をしめしたような感じでいう。
「ほう……オデロ老の作か?」
「ご慧眼、感服いたしました」
イシュタルの言葉に、ノワールはいつも通りに慇懃に腰を折って頭をさげた。
ここでいつも以上じゃなくて、いつも通りだというのがなんだかすごいと思った
一方で、その事が気になった。
「オデロ老……って?」
「名工の一人だ。特に刃物が評価されているが、本人は刀匠と呼ばれる事を嫌がっている人物でもある」
「そうなんだ」
「マテオのオーバードライブにも耐えられよう、オデロ老の作なら」
「そうなんだ、じゃあやってみるね」
俺はそういって、いつもの通りで、慣れた手つきでそのナイフにオーバードライブをしてみた。
柄が残り、刀身がとける。その刀身が炎のような、光のような、そんな感じの見た目になった。
「ほう、さすがマテオだ」
「これって切れるのかな」
「やってみるといい」
「うん」
俺はそういい、利き手でオーバードライブした光の刃を持ったまま、自分の前髪から数本だけ摘まんで、それを光の刃で切ろうとした。
それをみて、イシュタルが不思議そうに聞いてきた。
「マテオ? 何故自分の髪を切るのだ? ここにこんなにあるではないか」
そう話すイシュタルは自分の髪を差した。
爆発的に伸びて、マントのようにイシュタルの全身を覆っているめちゃくちゃ長い髪は確かに「こんなにある」といっていいものだけど。
「イシュタルの綺麗な髪にこれ以上テストのような事をするのがもうしわけなかったんだ」
「き、綺麗……ッ」
イシュタルは盛大に赤面した。
俺の「綺麗」という発言に反応して赤面した。
そのあと、すぐに咳払いして、表情を繕いながら。
「か、かまわん。こんなにあるのだ、気にせずやってくれ」
「そう? えっと……じゃあ、お言葉に甘えて」
俺はそういい、イシュタルの背後にまわった。
本人がそこまで言うのならば、と言われたとおりにする事にした。
髪を一房手に取って――。
「ん……」
「どうしたの?」
「な、なんでもない」
「本当に?」
「その、く、くすぐったかっただけだ」
「そうなんだ」
俺は頷き、そういうことならば――と、一瞬納得しかけたのだが、髪にしか触っていないのにそれでもくすぐったいの? と不思議にもおもった。
が、すぐにおもいなおした。
そこは男と女の違いかもしれない。
俺にはよく分からないけど、特に貴人の間では「髪は女の命」という言い回しもある。
村人で男だった俺には分からない感覚があるんだろう。
「ごめん、すぐにすませるからね」
「う、うむ」
それ以上イシュタルにくすぐったさを感じさせないように、より慎重な手つきで髪を手に取って、今度こそ光の刃を通した。
ジョリ――という音を立てて、イシュタルの髪をきった。
「切れたよ」
そういって、切った分の髪を持ったままイシュタルの正面に回って、それを見せた。
「う、うむ」
くすぐったさがまだ残っているのか、イシュタルはまだちょっと赤面したままだった。
「ごめんね」
「え?」
「僕じゃ不快にさせちゃうよね。えっと――今からメイドを呼んで、彼女達にやってもらうね」
すこしかんがえて、メイドにやってもらったほうがいいとおもった。
元村人だが、爺さんに拾われてからは貴族の家でそだった。
赤ん坊から今に至るまでの数年間、身の回りの世話は全部メイド達がやってくれている。
日常的な事がそうだから、元から自分ではやりにくい散髪なんかはなおさらメイド任せだ。
それはつまり、「貴族の髪の扱いになれている」メイドが屋敷にいるということでもある。
イシュタルをくすぐったくさせているんなら、俺がやるよりもメイドにやらせた方がいいとおもって、振り向いてメイドを呼ぼうとした。
しかし、イシュタルがそれをとめてきた。
「だ、大丈夫だ」
「え?」
振り向くと、イシュタルがやはり赤面したままいってくる。
「大丈夫って?」
「ま、マテオがやってくれ」
「僕が? えっと、いいの?」
「い、いいのだ。その――そう! 余の髪はその辺のものが気軽に触れていいものではないのだ」
「あー……」
なるほど、と俺はおもった。
実際はどうなのか分からないが、皇帝の髪ならそうなのかもな、といかにもありそうだなと納得した。
そうなるとノワールでもだめだろうな。
この場にというか、この屋敷で一番「位」が高いのは俺だから、俺がやるしか無いとおもった。
まあ、もともと自分でやるつもりだったんだし、それはまったく問題はない。
「じゃあ、やるね」
「う、うむ」
「念の為に――えい」
俺はかけ声とともに、手の中に持っているオデロ作のナイフにもう少し力を込めた。
「これで切れ味もうちょっと良くなってると思うから」
くすぐったさも軽減されるはず、そう思って再びイシュタルの背後にまわった。
「ん……」
髪を手に取って、慎重に切っていく。
イシュタルはところどころ小さな声を漏らしたりして、やっぱりくすぐったそうにしていたが、それには都度「ごめんね」「だ、大丈夫だ」と言葉を掛け合いながら続けていく。
やがて、マントほど長かった髪を一通りきっていった。
ほぼ元々の長さである、腰のあたりまで綺麗にきった。
「おわったよ」
「う、うむ。……マテオ」
「うん?」
「いやでは、なかったぞ」
イシュタルはそういい、顔をそむけてしまった。
自然にこっちを向いた耳は付け根まで真っ赤に染まっていた。
気をつけたつもりではあるけど、完全にくすぐったいのは防げなかったようだ。
それでも気を使ってくれるイシュタルに密かに感謝した。
俺は魔力を収め、ただの刃に戻ったオデロナイフを近くのテーブルの上に置いた。
そして、切りとったイシュタルの髪をかき集めた。
切りおとされた分は、カゴいっぱいの洗濯物、それくらいの分量になった。
「相当の量になったな」
「うん、これで足りるかな。ねえノワール――うわ!」
俺はびっくりした。
俺の声に反応して同じようにノワールの方をむいたイシュタルも「むぅ!?」と驚いた表情になった。
ノワールは元の場所に立っていたが、彼の真横にいつ持ってきたのか、巨大なたらいの様なものがあった。
たらいの中には七色の、虹色のような液体が入っている。
「ノワール? それって?」
「次の段階に必要なものを用意いたしました」
「次の段階に? いや、それはいいんだけど……いつのまに?」
「ご主人様がお髪を切っている最中です」
「へえ……そうなんだ」
すごいな、って素直におもった。
俺がイシュタルの髪を切っている間にそんな事をしてたなんて。
神出鬼没なところがあるし、いちいち何か用意がいいというところもあるが、今回のは一番驚いた。素直に驚いた。
「……」
「イシュタル?」
俺は素直に驚いたが、イシュタルの反応はちょっとちがった。
彼女は無表情、いや仏頂面という感じでノワールをみていた。
「一ついっておく」
イシュタルは俺の疑問に反応したのではなく、ノワールに向かって言い放つ。
「先回りする気遣いは逆効果になる事が多い」
「肝に銘じます」
ノワールはいつもの笑みをすっと収め、いつもの慇懃な態度のまま腰をおって頭をさげた。
どういうことなんだろうと不思議に思った。
イシュタルのそれは「照れ隠し」と「八つ当たり」の合わせ技だという事は、結局誰も教えてくれず、俺は長い間それを理解できないままでいたのだった。




