120.魔法工学の天才
教会から帰ってきた俺は、リビングで考えごとをした。
殉教者という発想の外にあったのを見せられて、色々と考えさせられた。
今はそれを考えている。
「殉教者」をそのままというわけではないが、「発想の外」にもっと何かないかとあれこれ考えた。
「何をしているの?」
「わっ!」
声が意識に割って入ってきて、それで目の前に誰かの顔が迫っている事に気づいて、飛びのく位にびっくりした。
飛びのきはしなかったが、ちょっとだけのけぞった。そののけぞった分顔がはっきりと見えた。
現われたのはイシュタルだった。
彼女は初めてであった時のような、皇帝服の中でも外に出かける用の、動きやすいタイプの皇帝服を身に纏っている。
「……あれ?」
「どうしたの?」
「その格好……もしかして、女性の方の体?」
「ええ、そうよ。……わかるの?」
「うん、すごく綺麗だから」
「そ、そう……」
イシュタルは少し焦った様子で、赤面して目をそらしてしまった。
俺は少し不思議がった。
もともと女だった皇帝は、ある事をきっかけに海神の使徒になって、イシュタルの名前を名乗るようになった。
使徒になった彼女は、海水をかぶるか真水をかぶるかによって、女の体と男の体をいわば「変身」する事ができるようになった。
もともと女である事、その正体を隠して皇帝をしていた彼女だ。
その変身が出来る様になってからは、皇帝をする時は男の体になる事がほとんどだったんだが、久々に「男装」で皇帝の格好をしている。
「何かあったの?」
「い、いえ? 元々がこっちで皇帝をしていたのだから、肌を晒さない場合はこっちでも問題ないのよ。むしろ自然なくらい?」
「あっ、そうなんだ。うん、そうだよね」
なるほど、と俺は納得した。
彼女が皇帝の時男の姿になったのは帝国のしきたりが理由だ。
そして十数年間隠し通せてきたのだから、よほどの事が無い限り、絶対に男の姿じゃないと駄目という理由もない。
むしろ本来の体の方が楽だろう。
俺もマテオボディと海神ボディをよく切り替えてるから分かる。
俺でも二つのボディの身長差でちょっと戸惑う事もあるくらいだから、男と女の体で切り替えてたらもっと戸惑う事もあるんだろう。
そう思えば、なじみのある女の体でいたいという気持ちもあるんだろうな、と推察した。
「ところで、今日はなんのご用?」
「ああ。マテオにこれを持ってきたの。はい」
イシュタルはそういい、折りたたまれた紙切れを手渡してきた。
四つ折りにされた紙は中に何か書かれている要だったから、開いてそれをみた。
それはいくつかの数字だった。
「これって?」
「死刑囚の数」
「死刑囚?」
「そう、上が総数、下が『弁護の余地がない』レベルの凶悪犯の数」
「死刑囚……」
そう言われて、俺は改めてメモをみた。
シンプルな数字だけだったメモが、イシュタルから得た情報で重みを増した。
「これを……?」
ここ最近の事で推測はついたが、それでも慎重に聞いてみた。
「いつでも出せる死体の数、って意味」
「あ、うん。そうなんだ」
やっぱりそうか、と俺は苦笑いした。
それはいつものイシュタルだった。
俺が欲しいもの、その時に必要としてるものはなんでも揃えてきて、それで俺への溺愛ッぷりをしめす。
だから今まで通りで、いつものイシュタルだが、さすがに「いつでも出せる死体」はちょっと困った。
「えっと、いつでも出せるはよくないんじゃないかな」
「それは問題ない。マテオはどうして、この数字があると思う?」
「え?」
「つまり、なんでこんなに死刑囚が残ってるんだと思う?」
「……死刑なのにたくさん活かして残してるのはなんで? ってことかな」
「うん。さすがマテオ。そういうこと」
「えっと……どうして?」
「賄賂を取れるからよ、その辺の役人達が」
「死刑囚なのに?」
「賄賂で逃がすのはさすがに滅多にないことだけど」
たまにはあるんだ……と思ったが話の腰を折りそうだから言葉を飲み込んだ。
「例えばなんかの原因で死刑囚になったけど、その男がその家の一人息子だった場合」
「一人息子……」
「賄賂を積んで、執行を一年だけまってもらって、更に賄賂をつんで、牢屋の中に妻かそれに準ずる人物をいれてしばらく一緒に過ごさせる」
「あっ……血筋を残すため……」
「そういうこと」
イシュタルははっきりと頷いた。
「あくまで一例だけど、事情は囚人の数だけある。それが色々重なった結果、『死刑はすぐに執行されない』という形になったのよ」
「だから『数字』がでるんだね」
「そういうことよ」
イシュタルは頷き、メモを指した。
「マテオがほしいっていうのなら、すぐに用意させるわ」
「……」
俺は少しの間メモを眺めてから、顔を上げてイシュタルをみた。
「イシュタルって、ちゃんとした人だね」
「な、なによいきなり」
「いつものイシュタルのイメージだともうもってきちゃうけど、それをそうしなかったから」
「マテオを困らせても……しょうがないし」
イシュタルは赤面し小声でぼそっといった。
「うん、ありがとう。気持ちは嬉しい。でも僕のために生きてる人を殺すのはちょっとちがうかな。例えそれが死刑囚でも」
「わかった。じゃあこの話は忘れて」
「うん」
「ということで――はい」
イシュタルはそういい、今度は別のメモを取り出した。
俺はメモを受け取って、開く。
今度はびっしりと、文字は読めるが内容はよく分からないメモだった。
「これは?」
「ホムンクルスとか、ゴーレムとかの話があったじゃない?」
「うん」
「それで思い出したの、レイフ・マートンの事を」
「レイフさん……?」
いわれて、レイフ・マートンのことを思い出す。
「あの男ならマテオの力にあわせた何かの人形を作れるのではないか、そう思って話を持ちかけてみて」
そう話すイシュタルは、さっきまでとはうってかわって得意げな顔をした。
「もしかして?」
「そう、作れるといった。話は詳しく聞いてからだが、その手のものならどんなオーダーであろうとも作れる、って」
「おお……」
レイフ・マートン、魔法工学の天才とされる男。
ホムンクルスやゴーレム的な所からその男ならもしかして――と期待が膨らむ中。
だったらなんで死刑囚の話から入ったのか、という疑問も同時にわいた。




