8.
「あー、さっぱりした!」
「さっぱりした、ではありません!
全く……、まさか殿下とまでお相手なさるなんて!」
私の言葉にアリーはため息をついて、お風呂に入って濡れた髪の毛を丁寧に乾かしてくれる。
「あれは不可抗力よ。 この部屋の中にいるだけでは私、体力だって食欲だって落ちてしまうわ。
時には体力作りも必要よ。
アリーも今度一緒にやってみない?」
「わ、私は大丈夫ですっ!」
無理です、と顔に書いてあるアリーに私は「教えてあげるのに」と言いながら、豆ができている、まだ成長段階の小さな手を見て息をついた。
(……あんなのでは駄目ね。 手加減していたあの人と、まともにやりあえないようでは……)
私はまだ15歳で、彼とは5歳の差があるといえど、戦地では年の差など関係ないのだから、彼ともせめて互角に戦えるくらいでないと意味がない。……特に、いつ戦うことになっても良いように、もっと訓練しなければ。
(8年前は結婚する前まで訓練していたから良いけれど、今はこの城に入ってしまって体なんてろくに動かしていないし……、衰える一方だわ)
何がなんでも絶対に毎日訓練する、そう決めたその時、ノックをする音が聞こえてきた。
「? どなた?」
私がそう扉に向かって問えば、扉越しに「ヴィクターだ」と声が聞こえてきた。
その言葉に慌てたアリーが、「お、お待ち下さい!」と言い、私の髪の毛を慌てて乾かそうとする。
私はそれを制して、「アリー、少し離れてて」と言うと、パッと温風の魔法で髪を乾かした。
「す、すごい……」
アリーの言葉に私は笑いかけてから、「どうぞ」と言えば、扉を開いてヴィクターが現れる。
ヴィクターは私の髪を見て、少し驚いたような表情をした後、「出直すか?」と問われる。
(? 乾かしっぱなしの髪だからかしら?
この人でもそんな気を遣うことがあるのね)
なんて思い、「大丈夫です」と言って、ヴィクターを椅子に座らせる。
私はその向かいに座ると、アリーにお茶を入れるよう頼み、アリーは部屋の外へと出て行った。
そして二人きりになった殿下と対峙し、私はふと思う。
(……さっき戦ったからかしら、あまり威圧を感じないような気がするわ)
この人、目が少しきつく見えるだけで綺麗な顔をしているのよね、なんて思っていると、彼がヴ、ヴン!と咳払いをして言った。
「何か俺の顔についているか?」
そこで初めて彼の顔をジロジロ見ていたことに気がつき、私は「あぁ、ごめんなさい、何もついていませんよ」と言うと、彼は「そうか」と言って話を切り出す。
「そう、さっきの約束の件なんだが」
「? ……あぁ、どちらかが勝ったら言うことを聞く、っていう件のことですか?」
「あぁ」
そう言ったきり何故か黙ってしまうヴィクターに、私は少ししらっとして言った。
「え、まだ考えていらっしゃらなかったのですか?」
「あ、あぁ……」
「……」
(ちょっと、言い出しっぺの本人がそんなんでどうするのよ)
一体何がしたかったんだ、と少し呆れたような目を向ければ、彼はその視線に気付いたのか「うっ」と言葉を詰まらせ、逆に私に聞いてきた。
「……もし君は勝っていたら、何を願うつもりだったんだ」
「え?」
私? と驚けば、何故かヴィクターはじっと私を見て答えを待っている。
(……でも、私が言ったら怒らないかしら)
「……なんでもよろしいんですか?」
「あぁ」
すぐに頷く彼に、私は意を決して口にする。
「私も騎士の訓練に参加させて欲しいって、お願いしようと」
「……は?」
ポカンと口を開ける彼に、私は内心彼が怒っていると思い焦って口を開いた。
「いや、その……、この部屋に一日中いるだけでは退屈で。 せめて少しくらい、体を動かしたいなと思ったのです」
「……っ、ははは」
「え!?」
何でそこで大笑いするの!?
と突っ込もうとして私はハッとしてしまった。
(……ヴィクターが、笑ってる……?)
初めて見た。 彼が、お腹を抱えて笑うところなんて。
前世での15歳の時は勿論、結婚生活でさえ一度も見たことがなかった。
それどころか、いつも怖い顔をしていたから。
そんなことを考えてつい、私が見惚れてしまっていると、それに気付いた彼は恥ずかしくなったのか、軽く咳払いをして言った。
「そうか、君は戦地に立って走り回っていたからな。
ここの暮らしは確かにつまらないだろう」
「つ、つまらなくはないのですが……、その、体を動かさないと何だか落ち着かなくて」
私がそう慌てて言えば、彼はまた笑った。
「はは、そうか、落ち着かないのか。
……君はやはり、世の女性とは違う気がするな」
「〜〜〜馬鹿にしていらっしゃるのですか!?」
思わず怒って身を乗り出せば、彼はまあまあ、と窘めながら「褒めているんだ」と言い張る。 そしてとんでも無いことを言った。
「いや、私好みだ」
だから安心して良い、なんて微笑みながら言われる。
え、と驚けば、彼はハッとしたように口を手で覆い、「何でもない、忘れろ」と心なしか赤い顔でそう言った。
(……え、え?)
私までつられて顔が赤くなりそうになるのをこらえていると、彼は慌てて口を開いた。
「そうだな、そんなことで良いのだったら許可しよう」
「! 本当ですか!?」
嬉しくなってそう言えば、彼は少し驚いたように「あぁ」と頷きながら、ただし、と言葉を続けた。
「君には女性騎士用の訓練を受けてもらう」
「!? え、この国には女性騎士もいらっしゃるのですか?」
「? 君の国にはいなかったのか?」
「えぇ、私の国には男性騎士のみでしたから……」
「では君は、いつも男達に混ざって訓練していたと?」
「? えぇ」
少し驚いたような表情をした後、下を向いて黙り込む彼に対し、私は「あの……?」と声をかければ、彼は顔を上げる。
「……とりあえず、その件は此方から話を通しておこう。
ただし、決して無理はしないように。
少しでも怪我をしたら、訓練は今後一切辞めてもらう」
「!? そ、それは難しくないですか……?」
擦り傷や打撲なんて当たり前なのに、そんなのってあり!? と彼に顔を向ければ、ふっと笑って「まあ、その時は俺が手当てしてやるが」と付け足す。
「……!?」
その言葉を理解して飲み込むのに時間がかかった私は反応が遅れたが、彼はその間に立ち上がって部屋を出て行ってしまう。
「……な、なんなの、あの人……」
(そんな笑顔も冗談も、私、見たことも聞いたことも、ないわよ……)
思わぬ出来事の連続に、私の脳と心は忙しくなっていたのだった。