18.
「あ……」
水の跳ねる音を聞き、私はヴィクターに「ちょっと待って」と言って慌ててポケットに入れていた鏡を取り出し、鏡面に触れる。
ヴィクターは「エルマーからか?」と尋ね、一緒に鏡を覗き込んだその時、水の波紋と共にエルマーが顔を出した。
「あ、ごめん。 お邪魔しちゃった?」
「「!」」
その言葉に思わずヴィクターを見れば、彼と視線がぶつかり、慌てて目を逸らす。
それを見たエルマーは、「図星か」と苦笑いを浮かべて呟いた。
「……妬けるな」
「え?」
よくその言葉が聞き取れなくて思わず聞き返せば、エルマーは「何でもない」と笑った。
「それよりね、ビッグニュースなんだよ!
もしかしたら、君達のその大切な人とやらが救えるかもしれない!」
「!? それは本当か!?」
私より先に、ヴィクターが言葉を発する。
エルマーは「うん」と頷き、手に持っていた本を私達に見せてきた。
「……あれ、それって……」
「そう、この本はよく、この国の子供達が幼い頃に読んでいた本だ」
「? 俺の国では、確かに見たことがない……」
ヴィクターはその本の表紙に金色文字で書かれている「魔女と深淵の森」というタイトルを口に出して首を傾げた。
「え、私はこの本有名だと思っていたけど……、イングラムでは知られていないということ?」
「ううん、というよりは、“この国でしか手に入れられなかったもの”と言った方が良いのかな?」
私はその言葉に首を傾げる。
「でもどうして、貴方はその本に着眼点を置いたの?
それは、ただの童話で……」
「リランが持っていた君の本。 ……あれの中のページが破られているのを、君は知っているだろう?」
「え、えぇ勿論」
私が頷けば、エルマーは「リランが持っていたから妙に引っかかって」と口を開いた。
「……その本は昔からあまり良い噂を聞かないんだ。
それの所為なのか、“曰く付き”とレッテルを張られ、今では図書館でさえもその本は置かれていないらしい」
「えっ」
私が驚けば、エルマーは「この本はね」とページをめくりながら言う。
「噂によると、“魔女が自ら書いた本”と言われている」
「魔女自ら、書いた本……?」
「うん。 著者が大の子供好きだったらしくてね。
困っている子供達の願いを叶えてあげようと思った心優しい魔女が、童話を書いたんだ。
その物語を読むことで、何でも叶えられる“魔女”が本当に存在することを信じられる者……、つまり、純粋無垢な子供達をターゲットにして、ね」
「! この物語の中にいる魔女は、本当に存在するということ!?」
私がそう言えば、彼はあるページを指差す。
それは、私の記憶上にはないページ……、破られていたページの箇所のようだった。
それには、魔女が存在する場所を示す地図が載っていて。
「……この地図を、よく見てごらん」
そうエルマーに言われ、私がじっとその地図を見れば……、あ、と声を上げた。
「っ、これはもしかしなくても、私達の国……、マクブライドの……」
「そう。 酷似しているんだ、この国の地形と。
……それから、魔女の居場所を示している場所は……」
「「“迷いの森”」」
私とエルマーの声が重なる。
それに対しヴィクターは、首を傾げた。
「すまない、“迷いの森”とは何なんだ?」
この国のことを知らないヴィクターは、“迷いの森”の存在を知らないのだろう。
私は彼に向かってそっと口を開いた。
「この森はね、私達この国の民は誰もが恐れる場所なの。
とても広大な森で、四六時中深い霧に包まれているから。
“一度入ったら二度とは出てこられない”、そう言い伝えられているわ。
あまりにもそういった噂が絶えないものだから、誰も立ち入ろうとはしない」
「! そんな場所に、魔女がいると言うのか?」
ヴィクターの問いに対し、エルマーは「だからだよ」と口を開いた。
「魔女はただ、子供の願いを叶えてあげたくてわざわざ自分の居場所を“童話”と言う形で暗示した。
だけど、それに目をつけたのは子供だけではなかった」
「! ……まさか、大人達まで、ということ?」
「……僕は、そう考えた。
だからきっと、その本を出回らなくした可能性がある。
現に、“迷いの森”は昔は霧などない、普通の森だったらしい」
「! そう、だったの……」
私はそのエルマーの考えが正しいと思い、思わず俯いてしまう。
(本当に著者が実在した魔女だったとしたら……、大いにあり得る話だわ)
「……この話は……、あくまで噂だし、本当に魔女がいるかどうかも、居たとして今も生きているかどうかも定かでないから、分からない。
それに、この森に入らなければ魔女には会えない……、要するに危険を伴うということになる」
「「!」」
エルマーの言葉に、私とヴィクターは顔を見合わせる。
「君達に残された時間は、残り僅か。
その時間を考えると、これが最後の分かれ道になる。
又別の方法を探すか、或いは……、リスクを冒してでも、この森へ立ち入り魔女を見つけ出すか。
君達は、どちらを選ぶ?」
「……そんなの、決まってるわ」
エルマーの言葉に、私はそう言ってヴィクターを見る。
彼が迷いなく頷いたのを見て、私も頷き返し微笑むと、エルマーの紺青の瞳を真っ直ぐと見て言った。
「その魔女を探しに行く」
「……言うと思った」
それが君だもんね、そう言って苦笑いを浮かべたエルマーは、ふーっと長く息を吐いた。
「……本音を言えば、僕はこの話を君達にしようか迷っていた」
「! それはどうして……」
「君に、危ない目に遭って欲しくないから」
「え……」
私が驚いたのと同時に、ヴィクターの息を飲む音が私の耳に届く。
エルマーの言葉に固まって動けない私に対し、彼はふいっと視線を逸らして言った。
「……君は、僕の大切な子だ。
迷いの森で何が起きるか分からないし、そんな定かでない情報を頼りに行くのはとても危険すぎる。
……それに、ヴィクター。
はっきり言うけど、そんな危ない場所に行って今の君が、リゼを守れるとは思えない」
「!!」
その言葉に、ヴィクターは言葉を失った。
私は思わず彼を見上げ、「ヴィクター」と彼の手を握る。
……その手は、震えていて。
(……何故何も言い返さないの)
ヴィクターは、私とは視線を合わせずに視線を逸らす。
……その表情は、最近よく目にする思い詰めたような、辛そうな表情だった。
それを見たエルマーはため息を吐いて言った。
「君がそう言う顔をするから尚更、リゼを任せることなんて出来ないんだ。
……だから、取引をしよう」
「……取引?」
私が聞き返せば、エルマーは自身の腰に下げていた、アーノルドの紋章が刻まれた剣の刃をこちらに向けて言った。
「もしヴィクター殿下……、君が僕と剣を交えて勝てば、この本を君に託そう。
……但し、負けた場合は」
そう切ってエルマーは、挑むような眼差しで口を開いた。
「君には自身の国へ帰ってもらおう。
そして僕とリゼの二人……、魔法使い同士で“迷いの森”へ向かう」
「っ!」
「そんな……!」
私が口を開いたのを見て、エルマーは「だって、」と口を開いた。
「現実的に考えて、魔法を使えないヴィクター殿下では確実に、魔法を使えるリゼの“お荷物”だ。
……それに今君がそんな顔じゃあ、とてもじゃないけどリゼを守れない。
それは君自身が一番、分かっていることでしょう? ヴィクター殿下」
「……っ」
ヴィクターの手に、より一層力がこもる。
ギリッと歯軋りする彼を見て、私はかける言葉が見つからなかった。
……そんな自分に対し、密かに苛立つ自分がいて。
エルマーは「どうするの?」と剣を下ろしながら再度尋ねる。
ヴィクターは逸らしていた目を、ゆっくりとエルマーに向けて口を開いた。
「……受けて立つ」
「!」
「取引成立、だね」
エルマーはそう言って、まるで挑発するように口を開いて言った。
「実行は明朝、リゼの家の庭で。
……まあ、今の君じゃあ僕には到底勝てると思えないけど。 精々頑張って」
「っ、エルマー!」
私は言いたい放題のエルマーに向かって、思わず彼の名を叫ぶ。
……そんな彼の姿が水面に消える間際、彼が一瞬……、ふっと寂しそうに微笑み、「大丈夫」と言ったのは……、私の気の所為、だっただろうか。
そうして消えた彼の姿の代わりに鏡が映し出したのは、戸惑う私と、拳を握り締め俯く、ヴィクターの姿だった。




