31.
「ずっと……、迷っていたことがある」
「? 迷っていたことって……?」
「リゼット、目を瞑ってくれるか」
ヴィクターの言葉に、私は「え、えぇ」と恐る恐る言われた通り目を瞑る。
(な、何何何、迷っていたって……、大事なこと? 何だろう)
心臓が早鐘を打つのを感じ、私はドギマギとしてしまう。
落ち着かせるようにギュッと目を瞑っていれば、少ししてヴィクターが口を開いた。
「……そのまま聞いて欲しい」
「! う、うん」
そう言った彼の真剣な声を聞き、私の鼓動は一層速くなる。
そんな私とは裏腹に、彼は噛みしめるように口を開く。
「……ここに君が来てくれてから、もうすぐ2ヶ月が経つ。
俺は君が来るまで……、この城で一人で過ごすのが当たり前だった。 父の言いなりになって、この手を血で染めるのも」
「!」
(……そう、よね。 彼はこの国で最前線で戦っていた方だもの)
「……だけど、そんな生活を一変することが起きた。
それは君……、リゼットがここに来てくれたこと」
「……!」
(ヴィクターは……、今、どんな表情をしているんだろう)
目を開けたくて堪らない。 だけど、彼に目を瞑ってと言われたから。 ここは我慢しなければ。
そんな私をよそに、彼は言葉を続ける。
「……結婚適齢期にも満たないまだ15歳の君に、俺の妃になれば和平条約を結ぶという酷な選択を迫って。
家族と離れ離れにさせてしまったこと、今でも後悔している」
「っ! それは」
「分かってる。 ……君は優しいからそう言ってくれることも」
「っ、違う!」
私は目を瞑ったまま、ヴィクターの言葉を遮った。
「私が言っていることは、紛れもなく本心よ。
言ったでしょう?
家族も貴方もウォルター殿下も私が守ってみせると。
……私は誰一人、不幸になって欲しくないの」
……もう二度とあんな悲劇は起こさない。
誰も救えなかった、救われなかったあの前世を。
人生の分岐点にもう一度こうして戻って来たのはきっと、やり直す為のチャンスを神様が与えてくれたのだと、そう信じているから。
「……っ、本当に、君は。
……俺には勿体無い素敵な女性だ」
震えるような声でそう言うヴィクターに、私は思わず手を伸ばしかける。
それを悟ったのか、ヴィクターはふっと短く息を吐いてから言った。
「目を開けて良い」
その言葉に、私はそっと目を開ける。
その目に飛び込んできた、彼が手にしている箱の中にあるものに、私は驚き息を飲む。
……それは。
「……っ、え……、え?」
パニック状態になって言葉を失う私の代わりに、彼が説明してくれる。
「敢えて、今まで渡さなかった。
……君がこの指輪を嵌めるということは、正真正銘、俺の“婚約者”になるということだから」
「っ、こ、これは、やっぱり」
……婚約指輪なの?
そう、彼が手にしている箱の中には、まるでヴィクターの瞳の色を模した様な真っ赤な宝石を埋め込んだ指輪が、輝きを放っていた。
私は震える声で、ヴィクターと指輪を交互に見て状況を整理しようとする。
「っ、え、ど、どう……」
「お、落ち着け。 ……俺だって、これを渡すのに色々緊張していたんだから」
「……!」
そう言ったヴィクターの頰はほんのりと赤くて。
私が思わず凝視すれば、彼は「そ、その目はやめろ」と空いている手で口を押さえて狼狽えた。
私は恐る恐る口を開く。
「ほ、本当に……、私にくれるの?」
「! ……あぁ、君さえ良ければ」
そう言った彼は笑ったものの、その手が微かに震えていることに気付く。
(……ヴィクターは、きっと。 私が受け取らないのではないかと思っているんだわ)
「……ねえ、ヴィクター」
「? 何だ」
彼は私の目を見て、じっとその言葉の続きを待ってくれている。
それを見て、私の頰から涙が零れ落ちた。
「……っ、私、嬉しいの」
貴方が、こうして私の話を聞いてくれること。
いつも私のためを思ってくれていること。
私の側にいてくれること。
前世では、考えられなかったことばかりで。
これは高々政略結婚。 彼は私のことなんて考えてくれはしない。
そう思ってここに覚悟を決めて来た。
……けれど。
「貴方は……、私と、ちゃんと向き合ってくれた。
毎日朝食を一緒に食べる約束をして、体を動かしたいと言う私の我儘まで聞いてくれた。
夜会に家族を……、リランまで招待してくれて、この前は城下にも連れて行ってくれた。
そして今も……、こうして、私を喜ばせるようなことを……っ、私、こんなに幸せで、良いのかしら……」
嬉しいと同時に怖くなる。
前世とはあまりにも違う、正反対で幸せな生活。
それを素直に受け止めて良いのか。
もし……、もしもその幸せが崩れ落ちた時、私は前世と同じ過ちを繰り返したりはしないだろうか……。
そう考えてしまう自分がいて。
涙がとめどなく目から零れ落ちる。
そんな私に、彼は優しく指の腹で目元を拭ってくれながら言った。
「……それを言うなら、俺の方だ。
君が幸せだと言ってくれるように、これは……、自分が望み過ぎて夢を見ているのではないかと、思ってしまう。
だから……、確かめさせて欲しい」
そう言った彼は私の手を取り……、そっとその手に口付け、私の目を真っ直ぐと見て告げた。
「リゼット。 君のことが、好きだ」
「……!!!」
そうはっきりと言い切る彼の言葉を私は、理解することが出来なかった。
頭が混乱し過ぎて、ただただ驚く私に対し、彼は困ったように笑って……、ふと思い出したように「これなら信じてもらえるか?」と私に言い、何をするかと思えば、机の上に置かれていた守り石を手に取り……、そっと口付けを落とす。
「っ!!」
その瞬間。
体中が一瞬、甘い痺れに襲われる。
私の反応に、彼は恐る恐る尋ねるように問う。
「……信じて、くれるか?」
私はその彼の瞳を見て、漸くこれが夢ではないのだと確信する。
「えぇ」
私はそうしっかりと頷き……、ヴィクターの守り石を持つ手にそっと手を重ねた。
そして、驚き私を見る彼から目を逸らさず、ゆっくりと言葉を紡ぐ。
「私も。 貴方のことが、大好き……んっ」
目の前で揺れる、彼の漆黒の髪。
唇に触れる、温かな感触。
彼にキスをされたのだと理解するのに、あまり時間はかからなかった。
(……やっと……、やっと。 彼と、思いが通じあったのね)
前世ではキス一つ、したこともなかった彼と、こうして触れ合っているのがまだ夢のようで。
一筋の涙が私の頰に伝ったのを感じたのか、彼は慌てたように私から離れると、申し訳なさそうに眉尻を下げて言った。
「……すまない。
君があまりにも可愛くて、我慢が出来なかった」
「!? 〜〜〜あ、貴方が謝ることはないわ!!」
私が思わず彼の言葉に反応して叫んでしまったことにより、今度は彼が驚く番で。
そんな私を見た彼は、目をパチリと瞬かせ……、肩を震わせて笑い出した。
いつもなら私も怒るところだが、私も何だかおかしくて笑ってしまう。
そうして二人一頻り笑っていると、彼はふっと真剣な表情に戻り、膝に置いていた婚約指輪を手に取り、私に差し出した。
「……受け取ってくれるだろうか」
「! はい」
私がそう頷きを返し、右手を彼に差し出せば、彼の私より一回り大きな手が、私の薬指に婚約指輪をはめてくれる。
そうして彼の手ではめてくれた指輪は、赤く澄んだ色をしていて。
「……綺麗」
私がそう呟けば、彼は照れ臭そうに笑った。
「……君が城下の宝石店を訪れると言った時に受け取ったんだ。 それより前から作らせていたのだが……、君に手渡すことがあるのか分からず、そのまま保管してもらっていた。
でも。 君が嬉しそうにしてくれているのを見たら、渡してよかったと、心の底からそう思う」
「……!」
照れたようにそう言ってふいっと顔を逸らすヴィクター。
その顔も耳も、暖炉のせいではない赤が広がっていて。
私は思わず嬉しくて、くすりと笑うと……、愛しい彼の名を呼んだ。
「ヴィクター」
「? 何……っ!?」
私は彼が振り向いたのを見計らって微笑みを浮かべ……、チュッと、軽くその婚約指輪に口付ける。
そして、口元を押さえ、より一層顔を真っ赤にする彼に向かって私は口を開いた。
「ふふ、“お返し”よ。
私の気持ち、伝わったかしら?」
「! ……本当、君には敵わないな」
俺だけの婚約者様。
そう言って彼は、私の頰に手を添え……、今度はゆっくりと、唇を重ねたのだった。
今日は、ヴィクターの誕生日と共に、本当の意味で彼の婚約者になれた特別な日。
幸せなこの時間を私は、一生忘れることがないだろう。
そうして今日から、彼と一緒に幸せな未来を築いていこう。
そう、思っていた。
だけど、そんな願いも虚しく、私が一番恐れていたこと……、この幸せが長く続くとは限らないことを、私は改めて思い知らされることになる。
そして、これから先の運命を大きく左右することになる試練が刻々と迫っていることになんて、この時は誰も……、いや、一人以外、知る由もなかった。




