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1.

 



 豪華絢爛な大広間とは打って変わり、緊張が重く流れる空間の中、私は跪き頭を垂れていた。


「面を上げろ」


(……あぁ)


 上から目線のこの物言い、それからこの耳を震わす低音の声。

 これで最後、会うはずがないと思っていた私の大嫌いな方に、こんな形で会うことになろうとは誰が思ったであろうか。


「……」


 何も言わず、ただ私は言われた通り顔を上げる。

 この国に伝わる黒い正装姿に身を包んだ彼。 漆黒の髪を緩く結び、よく知っているあの真紅の瞳は、冷たく私を見下ろしていた。


(……ヴィクター)





『この縁談はお断りする』


 そう言い放ったのは、紛れもなくお父様だった。

 当時の私はまだ15歳。 結婚適齢期でもなく、恋愛すらせずに戦場に立って魔法を使うことに明け暮れていた私が、縁談なんて持ちかけられるとは思ってもみなかった。

 しかもそれは、長く続く戦火の敵であるこの王国の王子……、結局は結婚をすることになってしまったあの、イングラム国第二王子であるヴィクター・イングラムが私に求婚をしてきたのだ。

 それも、“和平条約”……、即ち政略結婚として。


『敵国の、しかもあの暴君と言われているヴィクターの妃になるのは、君を人質として敵の手に渡すようなものだ』


 そう私の幼馴染でもあるマクブライドの若き国王も、お父様に賛成したことにより、和平交渉の場は決裂、停戦の終わりを告げることを意味した。


(そしてその長い戦いのせいで、お父様は……)


 戦場で命を落とすこととなってしまった。


(もし、あの時、和平交渉に応じていれば)


 お父様が殺されることも、妹を失うこともなかった。


(……今なら、)


 今なら、やり直せる。

 死んだはずの命がこうして私の目の前に、そして私自身も生きているのだから。


「この場にて、私が発言することを許可して頂けますでしょうか」


 そう言葉にした私に、ヴィクターは少し間を置いてから黙って頷いた。

 私はそれに礼を言い、その場で跪く。

 これには少し驚いたように息を呑むお父様や、周りの方々の反応が耳に届いた。


(大丈夫、もう覚悟はとっくに出来ているのだから)


 そう自分を鼓舞しながらも、指先が緊張から震えそうになる。

 お父様を、妹を殺した嘗ての私の旦那様である“ヴィクター”王子。

 ……その人に今、私が告げる言葉。

 それは。


「ヴィクター・イングラム殿下との婚姻を、謹んでお受け致します」

「!」


 これにはその場にいた誰もがざわついた。

 ヴィクター自身も、珍しく真紅の瞳を僅かに見開いていた。


「っ、リゼット!」


 これには黙っていることの出来なかったお父様が、私の名を呼ぶ。

 私は少し振り返ると、お父様に「大丈夫」と頷いて見せ、意を決してヴィクターに向き直った。


「但し、条件が御座います」

「……条件?」


 ヴィクターの眉がピクリと上がる。

 私はそれに真っ向から立ち向かうように、凛とした口調で言った。


「貴方様との婚姻を結ぶ代わりに、二つのことをお約束して頂きたいのです。

 一つ目は、この婚姻を以て和平条約締結の証とすること。

 そしてもう一つは、私の魔力を戦争目的での活用は一切しないこと。

 これを、私と約束して頂きたいのです」


 私の魔力。

 これは、私達一家の栄華と滅びの諸刃の剣である。

 父が絶対の忠誠を誓うマクブライド国には、二つの辺境伯家がある。

 一つは私の家、ラザフォードの血が代々継ぐ火の魔力、そしてもう一つの家は、水の魔力を司る。

 それぞれがマクブライドを守る為、戦場では先陣に立ちながら指揮を、そして屋敷では敵国の監視を担っていた。


 そのラザフォードの火の魔力を持つ私は、代々火の使い手としてその血を受け継いできた中でも強いとされていた。

 だからお父様とこの国との戦いを含め、戦地へと赴くこともあったし、マクブライドでは最年少の兵士にもなっている。

 そして、そんな力を持つ私は他国から狙われやすい。

 現にこうして、ヴィクターが私との縁談を急遽持ちかけてきたのも、私の魔力を欲しがってか、将又その血をイングラム国に取り入れたいからだろう。


(お父様の言う通りね)


 私の魔力が欲しいからでないと、こんな話は持ちかけては来ないだろう。

 ましてや、一国の姫ならまだしも、辺境伯家の家柄で兵士として戦地に立つ令嬢なんて。

 そんな私の考えを他所に、ヴィクターは沈黙していたと思ったら、代わりに違う声が私の言葉に応えた。


「あぁ、約束しよう。

 その二つの条件で、交渉成立だ。

 それで良いな、マクブライド国の者達よ」


(あ……)


 その言葉を発したのはヴィクターではなかった。

 紛れも無い、ヴィクターと同じ瞳を宿すイングラムの国王……、ヴィクターのお父様である陛下だった。

 そしてそんなヴィクターのお父様は私達を同じ目で見下ろす。


(なんて……、冷たい目)


 正直、私はヴィクターより陛下の方が苦手だった。

 人形のような精巧な顔立ちのヴィクターは、その陛下と容姿は似ていた。 だが、同じ目のはずの陛下の瞳の奥は、ヴィクターとは違う眼差しで物事を見ている、そんな気がしていた。

 ……だから、今も。

 思わず拳を握りしめた私を、ヴィクターは見ていた。 その視線に気付き、ヴィクターに目を向ければ、ふいっと視線を外される。


「リゼット」


 それと同時に口を開いたのは、私の後ろで事の成り行きを見ていたマクブライドの国王、サイラスだった。

 私はその陛下に向き直ると、サイラスはじっと私を見て言った。


「本当に、それで良いのか?」


 それだけを問われ、私はサイラスとお父様を交互に見てから、サイラスに向き直ると言葉を述べる。


「はい。 私のこの婚姻が、両国の国民のためになるのならば、謹んでお受け致します」


 両国の国民のため。

 それは本当は、私の本心では無い綺麗事かもしれない。

 本当は、“愛する人を、守るため”。

 救えなかった命を、この先の未来では絶対に、守ってみせる。


(例え望まない、愛のない結婚をするとしても)


 ただそこで、口を挟んだのはお父様だった。


「ですが陛下、まだリゼットは15歳です。

 事実上、婚姻を結ぶことは」

「それについては心配いらない」


 お父様の言葉を遮るように口を開いたのは、イングラム国の陛下で。


「貴公の娘、リゼットが16になったその日に、婚姻を結ぶことにする。

 それまでは婚約という形で、リゼット・ラザフォードには、この城に住んでもらう」

「……!」


(後10ヶ月で漸く、正式な結婚……?

 でもそれでは、和平条約が先延ばしになってしまう)


 そんな私の心中を察したのか、イングラムの国王は私を見て言った。


「案ずるな、和平条約が解消することはない。

 ……君が、ここでこの城に住む限り」

「! それならば」


 私は迷うことなく、イングラムの国王に告げる。


「その婚約をこの場で、受け入れさせて頂きたく思います」







 私の目の前に置かれた婚約状。

 隣ではヴィクターが、もう一枚の婚約状に筆を走らせる音が聞こえる。


(本当に、時間が戻った今もこの人と結ばれることになるのね)


 嘗ての結婚生活は、散々だった。

 お父様を失くした私は、失意の元戦争を終結させるためにヴィクターと婚姻を結んだ。

 勿論、そこに愛など存在しなかった。

 結婚式の夜も、日中も、夜も……、ヴィクターが私の目の前に現れることは殆どなかった。

 故に、共にする時間は皆無に等しかった。


(ヴィクターはただ、陛下の言いなりだった)


 この婚姻も、戦場を駆け回ることも。

 その時は悲しかったが、今は違う。

 愛など存在しない結婚だとしても、私は悲しくなどない。

 この婚姻を結ぶことで、唯一の肉親であるお父様と妹を救えるのなら。


「……書き終えたか?」

「はい」


 隣にいたヴィクターに、私はサインを書き終えた婚約状を差し出す。

 ヴィクターは私と目を合わせることはなくそれを受け取り、その婚約状に同じくサインをする。

 それを2枚書き終えると、両陛下に手渡した。


「これで、和平条約の仮締結と致す」


 そう言ったイングラムの国王が、何を考えていたかは分からない。

 そして、この場にいた全員の心の内も。

 ……ただ、私にはなんとなく分かっていた。

 この婚姻を結ぶことを望んでいるのは、イングラムの国王……、ヴィクターのお父様だけであるということ。


(私だって、望みたくはない)


 前世の私だって、15の時はそう思って認めなかった。

 ただそれは、結果的に悲劇を生むことになった。

 誰も、幸せになどなれなかった。


(私の幸せは、望みは一つだけ)


 お父様と、妹を守ること。

 それが出来るのならば、どんなことでもする。

 例え私が、人質のように結婚をすることになるとしても。


 私はゆっくりとヴィクターと向き合った。

 漆黒の髪から覗く真紅の瞳は、いまだに何を考えているかは分からない。

 ただ、前世で結婚をしたあの時より、当然ながら随分若く見えた。


(5歳上、だったかしら)


 つまり、彼は20歳。

 王位継承権を持つお兄様に次ぐ2番手。

 知略、武術に長けた通称、“戦場の化け物”。


(確か前世で15歳の時は、この人のことをろくに知りもしなかった)


 戦地で最前線でこの人は戦っていたけれど、私は殆ど危なくない指揮の方に回っていたから。

 ただ、この人の漆黒の髪が舞う姿を遠目で見ていた、その程度だった。


(それが婚姻?)


 裏があるとしか思えない。

 私が前世とは違った決断をしたことによって、歯車が大きく崩れる……、まあ前世でもそうなってしまったけれど。

 例えそうなったとしても、絶対にお父様を、妹を死なせてはいけない。


 私はすっと息を吸うと、辺境伯家に伝わる正装のスカートの裾を摘み、淑女の礼をとって言った。


「ヴィクター・イングラム殿下、これから宜しくお願い致します」

「……あぁ、こちらこそ」


 宜しく頼む、そう言ったヴィクターの表情からは相変わらず何も、窺い知ることなど出来なかった。




 こうしてそれぞれの、前世とは違う歯車が、ゆっくりと着実に、動き始めたのである。

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