Prologue
―――……どうして、
どうして、こうなってしまったの……?
鉄格子が巡らされた殺風景で冷たい牢獄の一室。
目の前に置かれた、7歳離れた幼い妹の変わり果てた姿……、ほんの僅かな粉骨。
「……これが、お前の妹の骨だ」
そう冷たく言い放つ、私が嫁いだ旦那様……、この国の若き国王は真紅の冷たい瞳で私を見下ろした。
「……っ、貴方が、殺したの?」
目の前が、真っ暗になる。
その人の表情は見えなかった。
ただ何も言わず、私を見下ろしていることだけは分かる。
(……私の大切なものを、人を、全て貴方は奪っていくのね)
全部、この人のせいだ。
この人のせいだけじゃない、この国と、この歪んだ世界と。
(何より一番悪いのは)
「……っ!?」
私の目の前にいる人物……、旦那様がひゅっと息を呑んだのが分かる。
……それは、彼が腰に下げていた短剣を、私が奪い取ったから。
「っ、何をする!!」
旦那様は身構える。
私は暗がりで見えないのをいいことに、その短剣を突き付けた。
その切っ先を……、私の喉元に向けて。
「……ご安心下さいませ。
私が死ねば、全てが終わりますから」
「!! な、にを言っているんだ……!」
旦那様の声だけでは今どういう心境なのか、判別はつかなかった。
ただ、鉄格子越しの為に彼が私に近付くことは出来ない……、つまり、彼は私が死ぬのを阻止することはできない。
暗がりで窓もないこの部屋の中で、私の表情など旦那様には分からないだろう。
……ただ、私はにっこりと笑ってみせた。
これが最期だから、と。
「……さようなら、陛下……、いえ、ヴィクター様。
私は、貴方のことが……」
……大嫌いでした。
「っ、リゼットッ―――」
……鉄格子越しに伸ばされたのが分かる、大嫌いな人の腕。
私はそれから逃れるように剣をふりかざし、一気に喉元の前へ……、その時脳裏に浮かんだのは、私の大好きな人達の姿で……―――
『……、リゼ、リゼ』
走馬灯の先……、瞼の裏が温かく、明るい。
耳に響く、私の愛称を呼ぶ、心地の良い懐かしい声。
(……これは、夢? それとも……、天国?)
夢なら、覚めなければ良い。
……だけど、私の大好きな、亡くなってからも一日たりとも忘れることのなかった、私の大切な人の姿をもう一度、見ることが出来るのなら。
(……一度だけ、少しだけで良い)
あの日、あの時。 幼い妹の命を失うよりも前、もう一人助けられなかった大切な人……、お父様。
(無力な私が望むのだなんておこがましいけれど)
それでも。 この願いが神様に届くのならば。
私はゆっくりと、瞼を開く……―――――
「……っ、リゼ! リゼ!」
「ん……」
朦朧とした意識の中、淡い金色の髪が揺れる。
もう一度瞼を閉じ、ゆっくりと開けた先には……、見紛うはずのない、私と同じ橙色の瞳を持つ、私が最期に見た時よりも幾分か若々しく見えるその姿に、涙が零れ落ちる。
「お、父様……!」
「!?」
思わずベッドから上半身を起こし、勢いよくお父様に抱き着く。
それを広くて大きな体でお父様は受け止めてくれつつ、驚いたように身をよじった。
「り、リゼ!? ……怖い夢でも見たのか?」
「……っ、ふふ、そう、少し……、怖い夢を、見てしまったの」
そうよ、あれは夢。 全て幻だったんだわ。
……あの時、救うことの出来なかった二人の命。
だけどそれらが夢でなければここに、お父様がいるはずなんて……。
「……そうか。 リゼはやはり、困惑しているのだな」
「え?」
困惑? お父様は何を仰っているのか。
そんな私の疑問を他所に、お父様は私から離れるとすくっと立ち上がり、何かを決心したように私の頭を撫でて言った。
「大丈夫だ、リゼ。 何も心配はいらない。
お前にはまだ、結婚など考えるのは早すぎるのだから無理はない。 この縁談は、なかったことにしてもらおう」
「? 縁談……?」
「しかし分からんな。 何故急に停戦をして、更には和解条約といってリゼとの縁談を持ちかけてきたのか……、やはり、イングラムはリゼの魔力を欲しがっているのか?」
「イン、グラム……?」
イングラムが持ちかけた“縁談”。 お父様は今こうして、目の前で生きている。
それは、つまり……。
「……!」
確証などなかった、そのはずだったが。
「!? リゼ?」
お父様の驚きの声を無視して立ち上がり、私は大きな鏡の前に立つ。
……昔持っていた正装用のドレス。
そして、お父様は辺境伯家の正装用の服。
(……間違いない、これは)
「……わ、わたし」
……8年前に断りを入れた縁談……、あの日狂った歯車をもう一度、繰り返している……!?