表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

喫茶店で出会った女の子は、かつて100億円の価値を持っていたらしい

作者: フナリー

 まだ11月だというのに、商店街はすでにクリスマスを煽っている。

 駅へと続くこの商店街の中に、行きつけの喫茶店がある。


 家が嫌いなわけじゃない。

 ただ、なんとなく毎日、駅に入る前に350円のコーヒーを飲むのが日課になっているだけだ。


「いらっしゃいませ。今日も、いつものでいいですか?」

「えーと、じゃあ、それでお願いします」

 飲むものは既に決まっているのだけれど、いつも少し迷ったふりをしてから注文している。これも、いつも通り。

「分かりました。それでは、コーヒー一つ、お持ち致しますね」


 コーヒーを待つ間、ざっと店内を見回してみる。

 毎日のことだけれど、お客の姿はあまり見当たらない。カウンターの向こうでは、夕方からこの店を切り盛りしているという女の子がコーヒーが出来るのを待っている他、もう一人、カウンターの端っこに見かけない女の子が座って、頭を抱えていた。

 見かけ上、そんなに幼いわけでもないようだ。パッと見、大学生くらいに見える。


「あそこにいる子、どうしたの?」

 マスターにたずねてみた。

「私も初めて見るんだけど……昼間からずっとああやってるらしいわ」

「そうなんだ……あの子、何か注文した?」

「それがね、何も……」

「そう、か……」


「元気……じゃなさそうだね」

 店の隅にいるその女の子の隣に席を移動し、ひとまず話しかけてみた。

 こんな、喫茶店で知らない人に話しかけるようなことは得意ではないのだけれど、ずっと悩んでいるこの女の子がどうも不憫に思えたのだと思う。

「……」

 返事は返ってこなかった。当然といえば当然なのかもしれない。

「そうか……」

 届いたコーヒーを口にしながら、横目でその子の服を見てみた。

 鮮やかな赤いラインが2本入っている真っ白なワンピースに、同じく赤いソックス、それに赤い靴。

 全身、赤と白で揃っている。

 正直、金銭的に困っているような出で立ちでもなさそうなのだけれど、それにしても、何も注文せずに黙って数時間もここでふさぎ込んでいるのは、ただごとではない。


「……こんばんは」

 改めてその女の子に挨拶をした。仲良くなるには、まず名前から……

「俺は高屋晃一、市内の大学に通ってるんだけど、君は?」

「私……」

 初めて、彼女の声を聞いた。

「私、そういう名前はないの」

 そういう名前とはなんだろう? 名前のない人なんて聞いたことないけれど……

「……どうしても、というなら……」

 彼女は自分に何か試すような目を向けながら、服の左袖を捲り上げた。

「名前という名前は……こんなものかしら」

 左腕には、6文字の記号が刻まれていた。

「JA846D……?」

 その言葉を聞くと、彼女は初めて微笑みを見せた。

「それが私の名前。それで、どう?」

「いや、どうと言われても……」

 正直、困惑した。

 関わってはいけない人だったのかもしれない……


 その時、喫茶店に流れていたラジオから、気になるニュースが耳に入った。

「本日午前10時、エアジャパンは、成田空港に駐機中の中型ジェット機一機が格納庫より消えたと発表しました。エアジャパン川崎社長の会見です」

「本日11月20日午前5時、弊社社員から、成田空港弊社格納庫に駐機中の機体一機が行方不明となっているとの報告を受けました。捜索中の機体は、機体記号JA846Dの、中型双発ジェット機です」

「続きまして、千葉県警の会見です」

「辺りに痕跡が全く無く、また、先日夜間から本日にかけまして、不審な機体も見られなかったことから、捜索は難航するものと思われます」

「今後、関係省庁との連携を強化し、引き続き捜索を行うものとしています」


「機体記号JA846D……」

 ニュースの中の一つの言葉が、自分の興味を強く惹きつけた。しかも、この市内にある空港で起こった事件のようだった。

 ハッと思い返し、隣にいる女の子を改めて眺めた。

 赤いラインの入った真っ白なワンピースは、白いボディに赤い2本線が特徴的なエアジャパンの飛行機を思い出す。

 そして、腕に刻まれた「JA846D」……


 いや、そんなことがあるはずがない。

 にわかには信じられないが……

「……さっきのニュースは……」

「……そう、私よ、あれ」

 そう言いながら、腕に刻まれた記号に手を当てた。

「……わかるでしょ、私の悩み」

「うーん……」

 正直言って、分からない。

 どこから聞いていいものかわからないが、とにかく話を聞いておこう……

「私には、これから行くところも帰るところもないの」

「帰るところも……?」

「そう、帰るところも」

 真偽はともかく、その寂しそうな姿に返す言葉が見つからない。

「……な、何か食べる? お金は出すから」

「何か食べたいんだけどね、何が飲めるかも、何が食べられるか分からないから困るの」

「そ、そう……何か好きな物は……」

「好きな物……? そうはいっても、今まで油しか……」

「そ、そっか……」

 若干引いてしまったが、とりあえず気を取り直して話をつなげようと頭を回転させた。


 とりあえずスマホで「JA846D」を検索してみた。

 すると、登録年月などが書いてあるページが見つかった。

 よし、これを話のネタにしよう。

「君は……何歳なの?」

「私? そうね……私は、20歳と言えば良い?  1994年にアメリカで生まれたの」

「アメリカで?」

「みんなそうよ」

「みんなか……日本にはいつから?」

「そうね、日本には、1995年だったかなあ。アラスカを周って、日本に来たの。そこからはずっと今の会社ね」

「じゃあ、20年間?」

「まあ、20年足らずね」

「そうなんだ……」


 ふと、コーヒーに目をやると、すでにほぼなくなっていた。彼女の話に夢中になっている内に飲んでしまっていたらしい。

「あ、コーヒーのお代わりをお願いします。あと、彼女に、ホットミルクティーを」

「はい、わかりました」

「ホットミルクティー……」

「知らない?」

「初めて見るけど……まあ、飲んでみようかな……」


 自分のコーヒーと、彼女のミルクティーが届いた。

 彼女にやけどに注意するように言ってから、また質問を続けることにした。

「……全国を飛び回ったんだ?」

「最初はね。北海道から沖縄まで」

「最初は?」

「数年立ってから、国際線仕様に改造されて、海外担当になったの」

「海外にも?」

「そう、中国、韓国、ベトナム、インド……アジアの各国を飛び回ったわ。でも、国際線になってから運用がハードになってね……1日に数千キロ、1往復どころか2往復もすることも多いし……」

「そうなんだ……」

「多分、だから私は先輩達のように20年持たなかったのかなあ……」

「え?」

 彼女は途端に、悲しい顔をみせた。

「持たなかったって……?」

「そう、実は私、次の回送フライトでアメリカに帰って、捨てられる予定だったみたい」

「え? そうなの!?」

 彼女は、静かに目の前のミルクティーに初めて口をつけた。

「あ、ちょっと美味しいかも……」

「捨てられるって?」

「この前のフライトの後ね、機長の方が話していたのを聞いたの。アメリカには、解体を待っている飛行機が集められている空港があるんだって」

「そうなんだ……」

「実は、この機体記号も今月限りで、来月には抹消されるらしくって……先輩たちや後輩たちには、記号を変えて海外に行ったのもいるけど……」

「もしかすると、それかもしれないよ?」

「うーん、そうね……まあ、そうかもしれないけど……」

「次の回送でどこに行くのかしらないの?」

「アメリカってのは何となく聞いてたんだけれど、どこに行くのかは、誰かがその時に話すか、経路を打ち込んでくれるまで私には分かりようがない訳」

「そうなんだ……」


「君は、これからどうするの?」

 彼女の、カップを動かす手がピタッと止まった。

「それが、一番の問題なの」

「エアジャパンに戻らないの?」

「この体で戻っても……」

「うーん、そりゃあそうか……」

「戻っても仕方がないことは分かってるのよ、だけれど、私には人間としての名前すらないし……」

「名前か……名前なら、自分で作ればいいじゃないか」

「自分で?」

 彼女は、俺の提案に目を丸くした。

「何にせよ、その方が呼びやすいし」

「そうね……それなら、晃一さん、貴方がつけてくれる?」

「え? そ、そうだなあ……」

 俺は、頭の中で飛行機を頭に思い浮かべながら、女の子の名前をいくつか思い浮かべた。

 空、鳥、うーん……

 そうだなあ……

「よし、じゃあ、『翼』ってのはどうかな?」

「翼かあ……それはいいかもしれないわね」

「じゃあ、名字は、成田市だし、成田で」

「成田翼かあ」

「月並みかもしれないけどね。」

「いえいえ、私にピッタリだと思うわ。」

 彼女……翼は、口の前に手を当てながら軽く笑った。

「それで、翼は、これからどうするの?」

「そうね……どうせ運良く戻れても、どうせ先輩達みたいに海外で壊れるまでこき使われるか、それともアメリカの砂漠で解体の順番を待つだけだし……誰かがくれた2度目の命を楽しむしかないのかも」

「じゃあ、人間として……?」

 翼は、言葉には出さなかったけれども、少し笑みを浮かべながら首を縦に振った。

「……それもいいね」

「あと、そうだ。私には一つ、やってみたいことがあるの」

 翼はどこか遠くを見るようにして話そうとした。

「お、何?」

「私は、ハワイに行ってみたかったの」

「ハワイ?」

「いつもCAさんが話しているのを聞いてたの。タイとか、中国とかに行くCAさんがね、ホノルル行きの便の担当になりたいなあって。青く澄んだ海、白い砂浜、常夏の太陽……私もリゾート地はプーケットぐらいしか行ったことないけれど、それにしてもハワイはとっても人気みたいだから……」

「そっか、ハワイか……俺も行ったことないなあ」

「初めてでも、そうでなくても、晃一にも……」

「結構おすすめなんだ」

「海外慣れしてるCAさんがおすすめするくらいだし……」

 翼は少し大人しくなり、カップをじっと見つめていた。


 やがて、翼はミルクティーをぐっと飲み干すと、こちらを向き直した。

「よし、私、エア・ジャパンに戻る」

「え?」

「人間としてね」

「人間として?」

「やっぱり、20年弱お世話になった会社だし、一番知ってる会社だから……」

「でも、エア・ジャパンって大企業だし、学歴がないと厳しいんじゃ……」

「学歴……?」

「大学を出てないとってこと。翼は、学歴がないわけだし……」

「でも、エア・ジャパンって結構たくさん人がいたけど、みんなその、『大学』を出てるの?」

「うん? そりゃ、グループ会社はたくさんあるんだろうし……」

「グループ会社でもいいよ」

「それでも、短期大学でも出たほうが良いかな……」

「短期大学……?」

 翼には聞き慣れない言葉だったようだ。

「短期大学なら、私の大学はどう?」

 突然、カウンターの向こうから声が飛んできた。

「あれ? マスター、短大に通ってるの?」

「そうよ、東京女子短大。航空系の会社に就職した先輩もたくさんいるよ!」

「そうなんだ。例えば?」

「そうねえ、エアジャパン系なら、エアジャパングラウンドサービスとか、エアジャパンミールズとか、エアジャパンツーリストとか……」

「翼も聞き覚えある?」

「聞き覚えはないかな……私がいつもお世話になってたのは、エアジャパンメンテナンスとか、エアジャパンテクノロジーサービスの方だし」

 翼は何も入っていないカっプをちらっと見ながら考えていた。

「でも……東京女子短期大学か……この先のことを考えたら、大学に行ったほうが良いのかも……」

 翼は乗り気になったみたいだった。何にせよ、前向きに考えられるようになったのは良いことだ。

「それなら、私がいろいろと教えてあげるよ!」

 マスターは妙に乗り気だった。

「乗り気だね」

「だって、楽しそうでしょ。翼ちゃんが後輩になってくれたら」

「まあ、そうかもね」

「翼ちゃんも人間慣れすれば、もっと明るくなるかもしれないしね」

「そう? まあ……じゃあ、私、がんばってみようかな」

「お、いいね」

「じゃあ、私の家においでよ!」

「いいの?!」

 翼は、会ってから一番明るい笑顔を見せた。

「いいよ! ……そうだ、ついでにここで働いてみるのはどう?」

「え?」

「ここなら、土日は空港の人も来るし、人間慣れするにはちょうどいいよ!」

「じゃあ、あなたのお世話になっても……いいかな?」

 翼は照れながらマスターの目を見て尋ねた。

「もちろん! 明日から、いいえ、今晩から私の部屋においで!」

「あ、じゃあ、是非……」


「それじゃあ、また明日ね」

 俺は、翼に電話番号を紙に書いて渡して店を出た。



 そして、その次の日から翼はお店で働いていた。

 話を聞くと、昼は高校の内容をひたすら勉強し、夜は息抜きがてらに喫茶店で働いているらしい。

 人がいない時には、翼とマスター、3人での話に花が開いた。

 やはり、空港や航空会社の従業員もよく利用するようで、翼も見たことのある人がちらほらいるようだった。(その多くは、整備関係の人やCAの人のようだが。)


 そして次の春、なんと翼は第一志望の東京女子短期大学に見事に合格した。

 さすが、元機械なだけあって、覚えたりすることは得意なようだ。

 翼は、大学では国際学科というところに所属していると聞いた。やはり、自身が国際線で飛び回っていただけに、海外の人との交流がしたいのだろう。


 翼が短大に通いだしてから一年間は、毎日のように喫茶店に通い続けていた。

 しかし、翼が2年生に上がった時、俺の方は就職で地方に配属されてしまった。

 翼とはメールや電話で毎日やり取りを続けていたが、実際に会うのは1ヶ月に1回くらいになってしまった。



 翼が大学に入って2年経ち、翼からの連絡もだんだんと途絶えつつあった頃、

 卒業してどうしているかなあと思っていた頃、翼から直筆の手紙が届いた。


晃一へ

 今年から、私はエア・ジャパン・グラウンドサービス株式会社で働いています。

 まだ、数ヶ月しか経っていないので駆け出しだけれど、人間の先輩方にいろいろと学びながら、日々忙しい毎日を送っています。

 3ヶ月の研修期間を経て、私は成田空港支所に配属になりました。

 国際線仕様になってからはほぼ毎日見てきた成田空港で、また働くのって、私の運命なのかなあ……

 20年間外から見てきた建物の中から、私がいつも見送られてきたように、今度は私が見送っています。

 もう飛行機の先輩は海外からしか来なくなって、ほとんど後輩達だけになってしまったけど、私と同じ(と後継の)型の後輩達が元気に飛んでいって、無事に帰ってくるのを見ると、私が飛び回っていた頃の思い出を思い出せて、とても楽しく過ごしています。

 この数ヶ月はとっても忙しくて、なかなか連絡できなかったけど、もう少ししたら慣れて落ち着くと思うから、その時はたっぷりとお話をしようね。

 今は国内線の方で主に働いています。晃一も、国内のどこかに行くときは、「日本の赤い翼」エア・ジャパンで私に会いに来てね。


 P.S.

 今度、大きな休みの時に、ハワイに行きたいなあ。

                                        成田 翼

 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ