義務
ベイレンさんが部屋を出てからしばらくして、リサさんが休憩室にやって来た。
リサさんから助けなかった理由を聞かれたので、『できないことをできるとは言えない』と伝えたところ、
「そう……」
と悲しそうに言い残して何処かへ行った。
確かに、助けを求められてそれを拒絶するのは、優しさに欠けている。しかし、本当にできないものはできないのだ。
事が事なだけに、ぬか喜びさせるのさえ残酷だと思う。なら、きっぱり拒絶するのも一つの優しさではないだろうか。
……いや、最善が『助けること』なのは間違いない。
「それができれば、苦労はしないよなぁ」
それを言ってしまってはきりがないが。
どうせ一人の人間にできることなんて、たかが知れている。
だから、信条にも『できないことをやらなければならない』みたいなものはない。できないことはできないのだから、やろうとする姿勢が求められない限り、できる範囲で頑張るだけでも十分だ。
「出身が同じだからといって、何かが変わるわけでもあるまいし」
気持ちを切り替え、目の前の研究に戻る。
尤も、依然としてどこから手をつけるべきかわからない。
誰かに助けを求めるのも一つの手だが……すでにかなり助けてもらった後だし、タイミングも悪い。
「ひとまず一人で考えてみるか。自室に戻って、落ち着いた状態で案を出そう」
荷物を集めてから持ち、あてがわれた部屋へ戻った。
※ ※ ※
それから日が落ちかける頃まで、あれやこれやと案を捻り出す作業をしていた。
取るに足らない妄想、実現できるかわからないアイデア、実現できたとしても意味のないもの。そんな案を一つひとつ小分けに強調し、脳内にインプットしていく。
完全記憶能力があれば、メモは必要ない。
段々とアイデアが尽きてきた、と思ったところで、ドアがノックされる。
「はい」
声を出し、扉に向かう。
誰が来たのだろうか。多分リサさんだと思う。
昨日の様子を見る限り、ミオさんはこの時間帯には起きていないはず。他の人が来るとも思えない。
尤も、リサさんが来る理由も検討がつかないけど。
扉を開けるとそこには――
「……ミオさん、でしたか」
起きていない、という推測自体が間違っていたのだろうか。
部屋を訪ねてきたのは、神妙な面持ちをしたミオさんだった。
「今、時間は大丈夫ですか?」
「もちろん。休憩室に行きますか?」
「……いえ、ここで話したほうがいいかもしれません」
ただならぬ雰囲気を感じ、部屋に入るよう勧める。流石に、部屋の前に立たせて話をするのは良くない。
ミオさんをベッドに腰掛けさせ、木のイスを引き出しそっちに座る。
「何かありましたか」
押し黙っている、というよりは話すべきことを悩んでいる様子だったので、とりあえず何か話すよう促す。
「……リサさんから、何があったか聞きました」
何のことか、だなんて無粋な質問はしない。ベイレンさんを助けなかったことだろう。
実際、その予想は当たっていたことが、ミオさんの話からわかった。
ミオさんは寝る間際のリサさんに起こされ、一連の流れについて説明された。
そのうえで、今朝親しげにしていたミオさんから、常山楽に対し説得をするよう、お願いされたらしい。
「ここからは私の想像ですが、助けさせるのが目的というよりは、どういう意図で断ったのか知りたい、といった風な口調でした」
「その理由については、はっきりと説明したはずですけど」
いや、あの説明じゃ足りない、ということか。
人の命がかかっている状態で『できないからやらない』と即断する人は少ない。だから、リサさんは別の理由があるんじゃないかと訝しんだ。
……もしかしたら、それだけじゃないのかも。
リサさんはそんな素振りを見せなかったが、タリクさんと同じように、元から怪しんでいたのかもしれない。
そう考えると、ベイレンさんに協力しなかったのは、明らかに不審な行動だ。
でも、できないことを『します』と宣言しても、状況が好転するとは思えない。常山楽の評価はこの際どうでもいい。
ベイレンさんが「頑張ってくれただけで十分」と思ってくれれば問題ないが、もし「助けると言ったのに裏切られた」だなんて思われたら、信条にも関わる大問題だ。
頭の中で必死に説明を考えていたが、ミオさんは追及することを考えていないのか、思わぬ方向に話を進めた。
「リサさんはツネヤマさんのことを怪しんでいたみたいですが、それはいいんです」
「いいって、それじゃあミオさんは、リサさんにどう説明するつもりですか」
「信頼できると私から言います」
あまりにも躊躇なく言うものだから、動揺してしまう。
「どんな根拠があってそう言い切れるんですか」
「じゃあ、私に償いをすると言っていたのは、嘘ですか?」
「それは……」
信条に反することは、冗談でもできない。
そのことを目敏く感じ取ったのか、ミオさんは畳みかける。
「リサさんは私が説得できるとは思っていなかったみたいだけど、私は、ツネヤマさんに助けてもらうつもりです」
「いくらミオさんと言えども、説得はされませんよ。別に出し惜しみをしているわけではありません。実際上、助けられるとは思えないんです。主観ではなく客観として」
不毛な問答をさせまいと、先に考えを伝えておく。
それでもミオさんは引こうとせず、断固とした決意を滲ませながらこう宣言した。
「ですから、説得をするつもりはありません」
「じゃあ、どうやって」
「ツネヤマさん、責任をとるために、人助けをしてくれませんか」
ミオさんが切ったカードは、常山楽の大事にしている信条に訴えるものだった。
「いや、確かにそう言われれば動かざるを得ませんが……良いんですか? お人好しじゃないですから、人助けだからといって、お願いに換算しないなんて甘いことはしませんよ」
「大丈夫です」
いくら説明しても、意志を変える様子はない。
どうしてそこまでするのか、理解できない。
でも、ミオさんの表情を見る限り、無理やり理由付けをして、責任を帳消しにしようとしてはいないみたいだ。
それならこの指示に従っても、信条的には何ら問題ない。しかも、明確な目標があるわけじゃないから、努力さえすればいい。
そういう意味では、個人的に諸手を挙げて歓迎できる提案ではあるが……
「やっぱり、理解できません」
「駄目、ですか」
「人助けをすること自体は、成果を確約させられなければ問題ないです。気になっているのは『ミオさんがどうしてそうしようと思ったのか』という点です」
本心からの疑問だ。
もしかしたら、ミオさんの利他的な行動に……違う、強い意志と目的を持って行動できるところに、憧れを抱いたのかもしれない。
いや、憧れなんて可愛らしい感情ではない。酷く強烈で、貪欲な何か――
「……私、ラクさんに助けられて以来、どうやって恩返しをすべきか悩んでいました」
疑問に対しての答えを言葉にしようと、ミオさんはぽつりぽつりと話し始める。
「ラクさんがいた頃は、直接的に手助けをしていたんですけど、やったことは人助けの手伝いばかりで。今思えば、ラクさんのために何かをできたわけではありません。
今となってはそれすらもできないのですが……その分、別にすべきことがあると思うんです」
ミオさんは手を組み、無意識に祈るような様子で、昔のことを話す。
「ラクさんは、昔犯した罪を償うために人助けをやっていると、直接的に言ってはいませんでしたが、そう推測できる話は何度か聞きました。
なら、私がその意志を継いで人助けをすれば、ラクさんがいなくなった今でも、償いは続いていくと思うんです。
今までは助けを求める人が身近にいなかったので、そういうことを考えたことはなかったのですが、助けを求める人がいると聞いて、居ても立っても居られなくて」
「でもそれだと、ミオさんに得がないように思えますが」
ミオさんは静かに首を横に振る。
「こうすることで後悔がなくなるなら、ちゃんと私のためになります。ツネヤマさんに頼るのも、その一環です。
お願いです、助けを求めてきた人を、どうか助けてくれませんか?」
理解はした。納得とまではいかないが……
「わかりました。『常山楽』があなたを傷つけた償いとして、ベイレンさんに手を貸すことを約束します」




