話し合い
「ミオさん、この後の予定はどうなっていますか? ミオさんが良ければ、もう少しお話をしたいと思うのですが」
「この後は夜空草の分析をしながら、時間をつぶそうと思っています」
「時間をつぶす? 何か時間的な制約があることでも?」
「……えっと、食べるものを買いに行きたいんですけど、まだ屋台が開いていなくて」
そういえば、食事については失念していた。
既にまる一日以上、飲まず食わずで過ごしている。空腹も感じていない。
今のところは「いつか食事をしなければならない」という意識があるものの、その頻度には大きな誤差が生まれている。あと数日は食事について考えなくてもいい、と無意識に思うほど。
この世界の、少なくともこの街の文化レベルでは、冷蔵庫だとか二十四時間営業の店だとかはないだろう。
食事をとる、あるいは食材を買うにしても、ほか大多数の人間の生活リズムに合わせなければならない。
要約すると、食べ物が買えるようになるまで、ミオさんは多少余裕がある、ということだ。
「あの、お話というのは……?」
ミオさんが恐る恐る尋ねる。
この世界の食文化に対する考察を打ち止め、ミオさんとの会話に意識を戻す。
「ああ、そう身構えないでください。ただの雑談ですよ。お互いのことをよく知らないと、踏み込んだ話もできないと思っただけです」
心の中に留めていた考えを、満を持して打ち明ける。
雑談をしようと提案するには、関係がある程度改善するか、提案しても問題ない空気をつくる必要があった。
今はその両方が満たされている。少なくとも、提案した瞬間にふざけるなと一蹴されるほどではない。
「無理強いはしません。断るのに良心が痛むというのであれば、テキトーな理由をでっち上げても良いですよ?」
ミオさんは即答せず、しばらく悩んでいた。
悩むことなく拒絶されるほど、関係が悪化していなくて一安心。欲を言えば、間髪置かずに快諾してくれたならもっと良かったが。
「どうして、……あなたは、私と関わろうとするんですか?」
「えっと、それは遠回しの拒絶ですか?」
「そうじゃなくって! なんと言うか……」
何となく、重要な質問が来そうな気がした。
内容の如何というよりは、この質問に対する応えで、関係が大きく左右されそうという意味で。
「あなたがラクさんのことを知ったとき、謝っていましたよね? でも、改めて考えると、謝る理由がわからなくって」
「それは謝ったときにも言いましたが、ミオさんを傷付けたからです。もちろん、状況によっては謝る必要がないと判断したかもしれません」
それこそ、仮に謝ったとしても、償いについてまで考慮する状況は限られる。
「ただ、ミオさんの第一印象と、残した言葉を鑑みて、自分自身で責任をとるべきだと思っただけです」
ミオさんが言うには、『私』は姿を消す前に自身の記憶について話していたらしい。つまり、近い将来記憶を消すつもりだった、とも考えられる。
そう、アクシデントによってミオさんが傷つけられたのではなく、そこには少なからず『私』の意志があったのだ。
仮に記憶を消し、ミオさんと別れなければならなかったとしても、話し方や誤魔化し方でどうにでもできたはずだ。少なくとも、いつかは会えると楽観視させるか、『ラクさん』が死んだことを納得させることくらいできる。
ぶっちゃけ、ミオさんが泣かなければ、ここまで問題にしなかった。身に覚えのない人間関係にイラつきながら、テキトーにはぐらかして終わりだっただろう。
だがミオさんの様子はどうだった? 明らかに後悔とか未練とか、そういう良くない感情が出ていた。故意か怠慢かわからないが、いずれにしても『私』の蒔いた種だ。
「……わかりません」
「何がです?」
ミオさんは少し困ったような顔をして、言葉を続けた。
「今回の件、あなたに責任があるように思えません。確かに、ラクさんとあなたは同一人物かもしれないですけど、知らなかったことに対して責任だなんて」
「いやいや、それは通らないでしょう? 忘れていれば許されるだなんて聞いたことがありません。第一、嘘をついている可能性も、一応はある訳じゃないですか」
「それだけじゃないです。普通責任って、もっと、こう、重大なことで……つまり、少し人に悲しい思いをさせたくらいで、出てくる言葉ではないと思います」
少し悲しいだけ、ねぇ。
「既に言ったとおり、常山楽という人間は快楽主義者です。なので『悲しい』は重大なことだと言えなくもないです」
目には目を、歯には歯をという言葉がある。
もし他人に不快な思いをさせて、その仕返しをされたら嫌だ。とはいえ、誰にも迷惑をかけずに生きるのは不可能だから、せめて事後処理はしようと考えている。
責任についてあれこれと考えるのも、気分の良いものじゃないが、あるとわかっている分耐えられるし、ある程度こちらの都合に合わせることもできる。
将来のことを考えれば、尻拭いをする意味は十分にある。
「まぁ、徹頭徹尾こちらの都合であることは否定しません。なので、かかわるなと言われれば、その通りにします」
「だったら、私が『責任なんてとらなくてもいい』って言ったら、どうしますか?」
「――それが本心なら、それでも構いません。まぁ、おすすめはしませんが。今すぐにという話でもないですし、いつか困ったときのためと思って、決断を後回しにしても良いですよ」
言葉上は仮定の話として扱っているが、おそらく、ミオさんは本心から『責任なんてとらなくてもいい』と思っているだろう。そもそも、責任があるとは思えない、と発言していたし。
じゃあ、本心なら従うかと言えば、そうではない。
自分でしたことの後始末をするのは、破ってはいけない信条の一つだ。よほどのことがない限り、やらなければならない決まりだ。
善意による遠慮であれば、無視する。その程度で妥協するなら信念ではない。
「だから『雑談』と最初に言ったんです。軽視するつもりはありませんが、焦る必要もないので。それこそ、夜空草についての話を続けても良い、と思っていたくらいですよ?」
最後のほうは冗談めかして言った。
「昨日の話をしないつもりだったのなら、何を話そうと思っていたんですか?」
「え? あぁ、別に話題とかは考えてなかったです。人柄を見て、見せて、が目的だったので」
あと、場の雰囲気に合わない話題を避けるために、あえて事前に何も決めなかった、というのもあるかもしれない。
「そうですねぇ、あわよくば研究について助けが得られたら、とも思わなくもないですが」
「研究の助け?」
「はい。入社試験……ギルドに入るための条件として、研究を一つ仕上げることを言われていまして。もし良ければ、相談に乗ってくれますか?」
ミオさんは少し考え込み、こう言った。
「あの、私はあなたのことをどう呼べば良いですか?」
そういえば、さっきから『あなた』としか呼ばれていない。ラクさんという恩師の名前で呼ぶのも憚られるだろうし、当然か。
「ツネヤマ、と呼んでもらっても良いですし、テキトーなあだ名をつけられても気にしません。呼びやすいように呼んでください」
特に気負うことなくそう告げた。




