002 女神代行業 始めました
しくしくと泣きじゃくるフランシアさん。
女の子をうまく慰める方法なんて、非モテの俺が知るはずもない。
我ながらクズい発想だとは思うが、こんな場合は逃げるに限る。
「あー、フランシアさん、俺、講義があるんで行ってきますね。部屋は自由に使っていいですから」
「グスッ……何言ってるんですか! 火神さんはもう普通の人間ではないんですよ! 女神の力があなたに宿ってしまった以上は、私の仕事を手伝ってもらいますからね!!」
「えぇぇー!? 理不尽すぎません!?」
「だって……他にどうしようもないんだもん……うあーん! うわぁぁーん!!」
俺はベッドの上で正座をし、フランシアさんの両肩に手を置いた。
震えと共に、哀しみまで伝わってくる。
「わかりましたよフランシアさん。俺も男だ。きちんと責任は取ります」
「グス、言いかたがプロポーズみたいでなんかキモいんですけど……」
「ひどい! これでもかなり真面目に言ったんですよ!」
「でも、お気持ちは嬉しいです」
フランシアさんも、女の子座りから正座に変えた。
大きな青い瞳で俺の顔を見つめながら口を開く。
「改めまして、私はフランシア。フランでいいわ。私たちは運命共同体なんだから、敬語もなしにしましょう」
「はい、いや、そうだな。俺は火神秋人。アキトでいい。俺たちは相棒ってわけだな」
「うん! 私に力が戻る日までよろしくね!」
差し出されたフランの手を俺は握った。
「ぎゃー! 痛い! 痛い! さっきの話、聞いてた!? アキトはもう普通の人じゃないのよ!」
「す、すまん。おかしいな、加減したつもりなんだが」
試しにコーヒーの空き缶を手に取り、軽く握ってみる。
それは苦も無く手の中で潰れ、1cmほどの金属塊へと圧縮された。
えぇぇ!?
スチール缶だぞこれ!?
「驚いたようね。力だけじゃないわよ、念じれば大抵のことは出来ちゃうんだから! えっへん!」
鼻息も荒く、自慢げに腕を組むフラン。
この子は本当に女神様なんだろうか。
もはや、ただのアホっ子にしか見えない。
「そりゃ驚くよ。人間には持て余しそうな力だもんな。本当にいいのか俺で?」
「さぁー? 主神様がお決めになったことだから大丈夫なんじゃない?」
「雑っ! まぁ、それはこれから精進するとして、女神の仕事ってなんなんだ?」
「はっ!? 今何時!?」
「え? えーと、9時ちょっと前だけど……」
「大変!」
ガバリといきなり立ち上がるフラン。
毛布がハラリと落ち、美しい裸体が露わとなる。
おおっ、思ったよりおっぱい大きいな。
じゃなくて。
「アキト! 早く着替えて! 9時から出勤なのよ!」
「出勤ってなに!? 神様なのに出勤とかあるの!?」
「いいから早くー! 遅刻しちゃう!」
脱ぎ散らかした衣服を身に着けるフラン。
俺も着替えようと思ったものの、何を着ればいいのか迷う。
ジャージじゃ流石にまずいよな。
出勤とか言ってるわけだし。
やっぱスーツ?
どこにしまったっけな。
入学式以来着てないぞ。
「アキト! 早くー!!」
「わ、わかったわかった」
俺は手近にあったスラックスとYシャツ、その上にジャケットを羽織った。
これなら無難な格好だろう。
フランはどんな格好をしているのかと見れば、紺のリクルートスーツ。
えぇぇ!?
それじゃ就活生かOLだよ!?
女神様ってこんななの!?
「着替えた? なら、念じて。職場へ飛べ、と。場所のイメージと誘導は私がやるから」
そう言いながらフランは俺と手をつないだ。
ウブな俺はそれだけでドギマギしてしまう。
「おう、職場な……職場!? ますますOLみたいだぞ。まぁいい、やってみる」
「声に出したほうがやりやすいわよ」
「了解……職場へ飛べ!!」
念じた途端、視界が切り替わる。
一瞬の闇と静寂。
柔らかなフランの手。
「はい、ついたわよー。さー、準備準備」
いつの間にか俺は、さして広くもない一室に立っていた。
真っ白な壁、リノリウムの床。
天井には蛍光灯が煌々と光る。
左手の壁には一枚のドアと隅に書棚とロッカー。
反対側の壁に申し訳程度に観葉植物の植木鉢。
部屋の中央で鎮座するのは、安っぽいスチールの事務机と椅子。
そしてその机の前に、ポツンと背もたれのない椅子が一脚あった。
どう見てもこぢんまりとした個人事務所だ。
壁に窓がないあたりは取調室を連想させたりもする。
なるほど、確かに職場っぽい。
「さぁ、アキト、座って座ってー。もうすぐ迷える子羊ちゃんが来るわよー」
「は? なんのこっちゃ」
俺は机の備え付け椅子へ強引に座らされた。
これではまるで俺が事務員になったようじゃないか。
そしてフランが俺の横に立っている。
「これってお前が座るもんなんじゃないのか?」
「あー、そうね。これだと確かに変だわ」
フランはロッカーへ行き、中をゴソゴソと漁っている。
何かを手にし、楽しそうに戻ってきた。
「はい、アキト。これを着て、これをつけてー」
手渡されたのはフリッフリの真っ白なドレスと、俺の髪色に合わせたのか黒髪ロングのウィッグだった。
「着れるかっ!!」
スパーンとそれらを全力で床へ叩き付ける。
「ああっ、なんてことするのよ! 今日からアキトが女神、いえ、女神代行なんだから威厳を見せないと! 迷える子羊ちゃんは女神に会えると思ってウキウキしながら来るんだからね!!」
「女装する必要がどこにある!!」
「子羊ちゃんたちを失望させたくないじゃない! ああ、もう! 早く着てってば! 9時になっちゃう!! 主神様のバチが当たってもいいの!?」
「あー! もうわかったわかった!!」
俺は渋々とカツラを被り、ドレスを身に纏った。
横のフランが笑いをこらえている。
こいつ……!
「子羊ちゃんの詳細は、机のパソコンに表示されるからね。ちゃんと彼らを送ってあげるのよ」
「どこにだよ。てか、ここはどこだよ」
「そうねー、日本風に言うなら、この世とあの世の狭間、みたいなもんかな」
「うげ、マジか」
「亡くなった人々を導くのも、女神の大事な仕事なのよ」
他にも仕事があるような口ぶりだな。
しかしまぁ、初心者でただの人間な俺にそんな大役が務まるのか?
自分で言うのもなんだが、俺はクズだぞ?
「しっ、来るわよ。まずは男の人ね。名前はヘンリー・アンダーソン。第七世界の住人で、事故死したみたいよ」
「第七世界ってなんだよ!? 地球の人じゃないの!?」
「そりゃそうよ。いろんな世界の様々な人々を救うのが、救済の女神たる私の役目だもの。アキトって地球にしか生物はいないと思ってるタイプ?」
俺が言い返そうとした時、ジリリリリリとベルが鳴った。
まさかこれは始業ベルか?
すかさずガチャリとドアが開き、長身の男が入ってきた。
確かに地球では見たこともないような服を着ている。
でも姿形は普通の人間としか思えない。
「あのぉー……お二人が女神様ですか……?」
「はい。さぁさ、どうぞ、その椅子へおかけください」
「はぁ」
フランに勧められるまま、背もたれのない椅子に男は腰を掛けた。
続けてフランが口を開く。
「ヘンリーさん。あなたは強い無念を残してお亡くなりになりました。その自覚はおありですか?」
「は、はい……僕がいなければ妻と子が路頭に迷ってしまいます……それが無念で無念で……」
「そうですか。あなたは生前、困っている人々を救けるボランティアをなさっていたそうですね」
俺は慌ててパソコンを見ると、フランが言った通りの情報が表示されていた。
このヘンリーって男の顔写真、経歴、家族構成、生い立ちなど、様々に羅列してある。
個人情報がダダ漏れじゃないか。
「その功績を讃え、あなたを天国へとお送り致します。残された家族にも幸福が訪れるはずですよ」
「本当ですか女神様! あぁ! ありがとうございます! ありがとうございます!」
「最期まで家族を気遣うあなたに、祝福があらんことを!」
そこまで言うと、フランが俺の脇腹を小突いた。
そして耳に顔を寄せ、小声で言う。
「ほら、ヘンリーを天国へって念じてよ! 天から降り注ぐ光の演出もよろしくね!」
えぇぇ!?
演出までするのぉ!?
くそ、こうかな?
「ヘンリーを天国へ!」
「あっ、バカアキト!」
俺が思わず叫ぶと、ヘンリーの上から光が溢れ、彼の姿が宙へ浮いた。
怪訝そうなヘンリーの視線が痛い。
それでも彼は、深々とお辞儀をして、光の中へ溶け込んでいった。
「もー、バカね! 声を出すならせめて裏声にしてよ!」
「バカはお前だ! そんなオカマみたいなこと出来るかっ!」
「やるのよ! やらないとあんたも主神様に叱られるんだからね!」
「くっそ、汚ぇぞ……」
その後も、迷える魂を天国へ地獄へと送りまくった。
男、女、老人、子供、亜人、奇怪な生物、善人、悪人と、枚挙にいとまがない。
フランに言われた通り、仕方なく裏声で対応している。
プークスクスとフランは笑いが止まらないようだ。
だんだん女神代行として慣れていく自分に、俺が恐怖を感じ始めた頃。
ジリリリリリ
始まった時と同様、終業のベルが鳴った。
同時にフランが大きな溜息をつく。
「ふー、終わったぁー。今日の仕事はこれでおしまいよ。お疲れ様、アキト。初めてにしてはなかなかだったわよ。見習い女神よりも筋がいいくらいにね」
「そ、そうか……それはよかった……しかし疲れた…………」
だけど、今日って言われてもなぁ。
なんだか三日くらい仕事をしてた気分だぞ。
この部屋には時計もない。
しかも休憩すらなかった。
俺の時間感覚など、とっくに麻痺しているわけで。
机に伏してぐったりしていると、パソコンをいじっていたフランの素っ頓狂な声。
「えぇぇ!? これ本気なの!?」
「なにがどうしたー、もう驚かないぞー」
「明日の業務スケジュールをチェックしてたんだけど……」
「うん?」
「……滅亡の危機に瀕した世界を救済せよ、だって……」
「はぁあぁぁぁあぁあ!!??」