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XX  作者: すうじ
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「それで引き受けたのですか?」

 マリの話を聞いていた少女は信じられない、と首を横に振った。

「そんなにおかしい?」マリは首を傾げた。

「おかしいです」少女はもう一度繰り返す。「姉さんはおかしいです」

 妹はじっとりとした目でマリを見た。


 あの後、ユメについてもう少しだけ話をしてから、マリは吉田に送られて自宅に戻ってきた。

 マリからすると麻衣子に聞きたいことは山ほどあったのだが、麻衣子は「あまり遅くなるといけないから」と、ここにきて常識人のようなことをぬかしてマリを車に押し込んだのだ。これだけの情報でタイムトラベラーかなんてわかるわけないでしょ、とマリが抗議すると麻衣子は「詳しいことは後で本人に聞け」とだけ言って、無理やり車を出させたのだった。

 家に帰ると玄関では塩をかけられたナメクジのようにぐったりとした妹がマリを迎えてくれた。

 なぜそんなにぐったりしているのかと聞くと、妹は「ご飯を食べていないからです」と息も絶え絶えに答えた。ご飯はもう味噌汁に味噌を溶かすだけという段階までできていたのになぜ……マリの疑問に対して、妹は純真無垢な瞳でマリを見ながら、味噌って何ですか? と逆に聞いてきた。マリが押し黙ると、妹は慌てて言いつくろった。

「味噌くらいわかっています。しばかれたり縛られたりして喜ぶ人のことでしょう?」

 マゾだった。

 マリはマゾ汁なんて今まで一度も作ったことはないし、たぶん一生作ることもないだろうと思う。マリはそんなけったいな汁を作る代わりに、まるまる残っていた炊き込みご飯で妹におにぎりを作ってやった。

「それで姉さん、一つ聞きたいのですけど」

 台所を片づけているとお腹も満たされて元気を取り戻した妹がマリに聞いてきた。

「この子は誰ですか?」

 振り返ると、妹は困ったような顔でユメのことを見ていた。ユメのほうは思案顔で妹を見つめ返している。さてどう説明したものか。どう説明しても意味不明になりそうなのが憂鬱だ。マリが考えていると、何かに思い至ったのかユメがポンと手を打った。

「ああ、誰かと思えば、おばさんですね」

 妹の表情が凍り付いた。

「初めまして、みくおばさん」

 よろしくお願いします、とユメは表情を変えずに頭を下げる。

 妹は――みくは能面のような顔のままマリを見た。

 マリはお母さんと呼ばれることと、おばさんと呼ばれるのとでは、果たしてどちらがましだろうかと考えていた。


 マリの話を聞いている間、みくは盛んに「ありえない」とか「おかしい」とか発し、マリの代わりに憤慨していた。

「だいたい話は分かりました」

 マリが母からお願いを聞くまでのことをざっくりと説明すると、みくは腕を組みうなずいた。

「自称タイムトラベラーの嘘を暴くために手を貸すということですね? それは別にいいです。麻衣子の頼みなら姉さんも断れないのもわかります、でも」

 みくは自分の横を見て顔をしかめた。

「でも、なんでその自称タイムトラベラーがここにいるのですか?」

 そこではユメがお茶をすすりながら話を聞いていた。

「私の顔に何かついていますか?」視線に気づいたユメがみくを見た。

「なんでそんなにくつろいでるのですか」ユメが憤慨する。

「勝手知ったる我が家といったところでしょうか」ユメは泰然と答えた。

「この家を知ってるの?」マリが問う。

 ユメは感慨深そうにうなずいた。

「ここで生活していました」

 つまり、彼女の主張するところの未来で、ユメがここに住んでいた、ということだろうか。

「それならちょっと聞いていいですか?」みくが横から口をはさむ。「この家の二階には部屋がいくつあるかわかりますか?」

 ユメは無言でみくを見返した。

「わかりますよね? まだ二階には上がってないですけど、だって未来から来たんでしょう? 部屋の数なんて10年くらいたったところでそう変わりませんものね? ほらほら答えられないんですか?」

 マリはみくの意図を理解する。

 みくはさっそくユメを試そうというのだ。もしも本当に彼女が未来からきて、この建物を知っているのならば、この質問に答えられるはずだ。

「4つです」ユメは短く答えた。

「ぶっぶー違います。うちの二階には3部屋しかありません」みくが勝ち誇る。

「この家の二階にはトイレを含めれば4つ部屋があります」ユメは落ち着いて答えた。

 むむむ、とみくはうめき声をあげた。ユメの言ったことは正解だった。この家の2階にはマリとみくの部屋、それに居間が一つにお手洗いが一つある。

「それじゃあ、お向かいの家の名前はなんですか?」気を取り直しみくは矢継ぎ早に質問する。

「田中さんです」

「近くのスーパーの特売日は?」

「どのスーパーですか?」

「東通りの、グレート丸井です」

 グレート丸井は二人の自宅から300メートルほど西に行った場所にあるスーパーである。お肉が他より安く買えるので二人はよく利用いていた。

「あそこは私が5歳の時につぶれました」

「そんな! あそこの大判焼き好きだったのに……あ、じゃあもしかしてワンピースの最終回がどうなるかとかも知っていたりするのですか?」

「あれはまだ続いています」

「あー、確かになりそうですね……って違います!」

 みくは自分で自分に突っ込みを入れた。

「まだありますか?」余裕の表情でユメが言う。

 みくは困ったように眉をハの字にしてマリを見た。そんな目で見られてもマリにも何も思いつかない。

「ちなみにみくおばさんのちょっとエッチで過激な同性愛もの恋愛漫画の隠し場所は自室の学習机の――」

「わーわーわーあわわわ!」みくの突然の奇声が部屋にこだまする。

「な、なんでそんなこと知ってるんですか!? 姉さんだって知らないのに!?」

「未来のおばさんに教えてもらいました」ユメはしれっと答えた。

「未来の私は何を教えてるんですか!?」みくは机に突っ伏し、顔を紅潮させ上目遣いちらりとマリを一瞥する。

「いや別に気にしてないわよ。あんたも中学生だものね。そういうのに興味を持つのは健全よ」

「しにたい……」みくはほんとに死にそうな声で呻くようにつぶやいた。


「……それで、どうしてこの子がここにいるんですか?」気力を取り戻したみくが同じ質問を繰り返す。

「母さんに頼まれたのよ。しばらくの間家においてくれって」マリが答えた。「『それにそのほうが都合がいいでしょう』って」

「都合がいい? どういうことですか?」みくが首を傾げた。

「その方がこの子がタイムトラベラーかどうかを確かめるのに都合がいいってことらしいわ」

「ああ、さっきみたいなことを私たちでしろって言うことですか……」

 みくは先ほどの醜態を思い出し顔をしかめた。

「いえ、ああいうのはもうさんざんやったそうよ」

 マリは吉田から聞いた話を思い出しながら答えた。当たり前だが、天文台のスタッフもユメに似たような質問を浴びせたそうだ。似たようなというのは、つまり未来から来たなら答えられるだろう、そうでなければ答えられないだろうような質問である。

「あんまり詳しい内容は教えてくれなかったけど、まあはっきりしたことわからなかったんでしょうね。だから、わたしに頼んでいるわけで……ていうか質問でわかるならわざわざわたしに頼むことないじゃない」

「言われてみればそうですね。でもそれならさっきの私を途中で止めてくれてもいいじゃないですか!」

「いやなんか途中から楽しそうだったし」

「そんなことっ……否定はまあ、できませんけど、でもそれじゃあどうするんですか?」

「それが詳しいことは聞いてないの。時間も遅かったし、早く帰れってせかされて」

「そういえば、もうこんな時間ですもの」

 時計を見ればそろそろ日付が変わる時間だった。普段ならマリはともかく、みくはもう寝ている時間である。

「みくは眠くない?」マリが聞く。

「いいえ、全然」

 たぶん興奮しているんだと思います、とみくは言った。

「あんたはどうなの?」マリはユメに目を向けた。ユメは半分ほど閉じた目をしばたたかせマリを見た。

「あまり眠気は感じませんが」ユメはとても眠そうな声で言った。

「絶対嘘でしょ。なに強がってんのよ……」マリは呆れた。

「そういえば麻衣子は今日も帰ってこないのですか?」みくがふと思いついた疑問を口にした。

「ええ、調べたいことがあるって」マリが答えた。

「最近あまり麻衣子の顔を見なかったのも、このことがあったからなんでしょうか」

「たぶんね」マリはうなずいた。

 ここ1週間ほど麻衣子はほとんど家にいなかった。

 日が変わる前に家に帰ってくるのはまれだったし、朝もマリが起きるよりも早くに家を出ることが多かった。家に戻ってこなかった日も数日あったし、もしかしたらみくはこの一週間ほとんど麻衣子の顔を見ていないのかもしれない。

 もっとも麻衣子が家にいないこと自体はそれほど珍しいことではない。麻衣子は仕事柄国内海外含めて泊りがけの出張も多いし、単純に帰るの面倒だから、といって帰ってこないこともあった。

 だから二人はそれくらい慣れていた。

「でもそれじゃあどうするのですか? さすがにいきなりタイムトラベラーかどうかなんて言われても……」みくが言葉を濁す。

「詳しいことは本人に直接聞けって言ってたけど――」

 マリはみくに話しながらユメを見た。

 ユメの目はほとんど閉じかかっていた。

「……あんた、ほんとに起きてる?」

 マリはユメの肩を揺さぶりながら尋ねた。マリの問いへの返事は、かすかな「お母さん……」という寝言だけだった。

 マリとみくは顔を見合わせた。

「詳しいことは明日聞くしかないみたいね」

「そうみたいです」


 ユメはとりあえず母のベッドに寝てもらうことにした。客間はあるが、来客用の布団は最近干していないし、そっちのほうがまだましだろうという判断だった。マリとみくは二人でユメと、それから彼女が天文台から持ってきていた大きなカバンを運び込んだ。

「姉さんはどう思いますか?」ユメを寝かしつけ自分の部屋に戻る途中、みくはマリに声をかけた。

「どうって?」マリが聞き返す。

「もう、わかっているのでしょう? はぐらかさないでください。あのユメという子のことです」

 もちろんそうだろうとは思っていた。少し考えて、マリは答えた。

「わからないわ」

「わからない、ですか?」みくが繰り返す。

 マリはうなずき、頭の中の考えをまとめながら話した。

「タイムトラベラーなんているわけがないと思う。でもそれが嘘だとしたら、今度はどうしてそんな嘘をつく理由がわからない」

「証拠はいくつかあるのでしょう? 論文とか宇宙服とか」

「みくは信じるの?」

「信じているわけではないですけど、でもさっき手ひどくやられてしまいましたから」

「BLくらいわたしは気にしないわよ?」

「姉さん!」みくが頬を膨らませる。本気で怒らせる前にマリは話を戻した。

「……それに、さっきの会話だって別に証拠とは言えないわ。家の間取りくらい前もって調べることはできるもの」

「でも私の漫画は?」

「家探しでもしたらそれくらい見つかるかもしれないわ」

「いつそんなことをしたのですか?」

「わからないけど、平日の日中は基本誰もいないのだから、やれないことはないでしょ?」

「それはそうかもしれないませんけど、でもその嘘のために、そこまでするのでしょうか?」

「普通はしないと思う。でも可能性の話ならできる。可能性の話だったら、論文や宇宙服だってタイムマシンなしで説明できるわ」

 マリは考えをまとめながら話をつづけた。

「例えば宇宙服。それは確かに誰も見たことがない技術で作られているかもしれない。でもそれは、どこかの研究機関や企業が誰にも知らせずに極秘に開発した素材で作られているだけかもしれない。誰も知らない技術はそのまま未来の技術になるわけじゃないわ」

「秘密の研究機関に謎の企業! スケールが大きくなってきましたね!」みくは歓声をあげた。

「なんでうれしそうなのよ」

「だって面白そうじゃないですか?」みくは何を当然のことを、と言わんばかりにマリを見返した。マリにもわからないわけでもないけれど、でも本当にそれが正しければ話だった。マリは自分で言いながら、自分の話をそれほど信じているわけではなかった。

「少なくともこそ泥みたいに人の家の家探しするような連中よりはずっといいです。それで、宇宙服はいいとしても、論文の方はどうなんですか?」

「そっちはもっと簡単よ。論文なんてしょせんはただのPDFをプリントアウトしただけのものよ。インターネットで落とせる画像編集ソフトでも日付くらい変えられるわ」

「確かに日付は偽造できるかもしれません。けど中身は違うでしょう?」みくが当然の指摘をした。

「確かに未来の論文を偽造することは難しいわね」マリも認めた。

 ユメは麻衣子がまだ書きかけの論文を持ってきた。まだ存在しないものは現在のいかなる他人も用意できない。だからそれはタイムトラベルの証拠である。その論理は一見正しい。けれど穴がないわけではない。

「だけど逆に言えば、仮に適当に書いた論文に母さんの名前を付けたとしても、母さんの書きかけの論文、と偽ることはできるかもしれない」

「でたらめなら麻衣子が気が付くでしょう? 来月発表される論文なら、ある程度は完成しているはずです」

「確かにね……でも、もしもその偽造をしたのが著者なら?」

「麻衣子がだましているというのですか?」みくが驚いたように目を見開いた。

「あるいはその共著者とか……まあ、あくまで可能性の話よ」

 もちろんマリもこんな話、心の底から信じているわけではない。みくの言葉ではないがスケールが大きすぎる。そこまでしてユメをタイムトラベラーだと騙すことで得られるものと、コストが釣り合わないように思う。でも、同時にタイムトラベラーなんているわけがないと思っているのも事実だった。

「だから正直よくわからない、としか言えないわね」マリは話をまとめた。

「そうですね……タイムトラベラーについては私もよくわからないので置いときましょう。でももう一つの話はどうですか?」

「もう一つの方?」

「あの子が姉さんの娘さんだっていう話です」

 マリはあからさまにいやそうな顔をした。それをさらりと無視してみくは続けた。

「あの子が本当に姉さんの娘かどうかは別にして、私、少なくとも彼女は姉さんの血縁者なんじゃないかと思うんです」

 マリは視線を上げた。

「なんでそう思うのよ?」

「顔が似ています」

 みくは至極真面目な顔をして言い切った。


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