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XX  作者: すうじ
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 しばらくして、吉田が一人の女性を連れて部屋に戻ってきた。

「マリ、元気にしてた?」

 女は――川村麻衣子はぎこちない笑みを浮かべてマリを見た。

 麻衣子は地味な女だった。黒い髪は肩にかからないショートカットにし、白いブラウスの裾を飾り気のない黒いパンツにきっちりと織り込んでいた。化粧っ気のない顔にはリムなしの眼鏡をかけて、会う人間にまるで先生のようだと思わせる何かがあった。

 部屋に入ってきた麻衣子は残されていた椅子に座り、机の上に無造作に置かれていたPCに手を伸ばした。ざっと見て重要な新着メールがないことを確認した麻衣子はマリたちに向き直った。

「悪いわね、いきなり呼びつけて」まず麻衣子はマリに謝った。

「どうしてもあなたに頼みたいことがあって」

「別に構わないわよ」マリはぞんざいに受け流す。

「ユメも、放って行ってごめんなさい。ご飯はもう食べた?」

「はい」ユメがうなずく。やはりユメと麻衣子は知り合いのようだ。

「それで母さん」マリは勢い込んで麻衣子に聞く。「本題に入る前に一つ聞きたいことがあるんだけどいい?」

「なに?」

 マリは自分の髪をいじるワンピースの水色娘を指さしながら言った。

「この子は何?」

「聞いていないの?」麻衣子は不思議そうにマリを見た。「話声が聞こえたからてっきりもう知ってるのかと思っていた」

「いや聞いたわよ。名前とか」マリが言いにくそうに答える。「母親とか」

「それなら私から話せることはそう多くはないわね」麻衣子は静かに告げた。

「……冗談でしょう?」マリは信じられないという顔で麻衣子を見た。「タイムトラベラーなんて信じるの?」

「マリはどう思う?」麻衣子が問う。

 マリはキッとまなじりを上げ母を見た。

「タイムトラベラーなんているわけないわ」

「なぜ?」ユメが横から口をはさんだ。「どうして私がタイムトラベラーでないとわかるのですか?」

「なぜって、それは今までタイムトラベラーなんて見たことないし、聞いたこともないからよ」

「今、目の前にいます」

「いやそういうのじゃなくて……だってあなたがタイムトラベラーだとしても、そうじゃなくてただの変な子供だったとしても、わたしには区別がつかないわ。それなら、自分の常識に反するタイムトラベラーと考えるより、変な子供と考えたほうが自然じゃない」

「言いたいことはわかります」ユメはうなずいた。「むしろお母さんの反応はもっともなものでしょう」

「そのお母さんって呼ぶのもやめてよ」今更ながらマリが抗議する。

 ユメは不思議そうにマリを見た。

「なぜ?」

「なぜって、当たり前でしょう。わたしはあなたの母親じゃないからよ」

「私はお母さんの娘です」

「世の中に母親の娘じゃない女はいないわ」

「……つまり、証拠がないということですね」

「話がついてないのに話をもとに戻すな!」

 マリの抗議にユメはちっとあからさまな舌打ちで答えた。

「なんですかこのお母さんは、いちいちしつこいですね」

「もう母親に対する態度じゃないわよ!?」

「じゃあわかりました。これからはママと呼ぶことにします」

「なんか余計いやだわ」

「じゃあ母上様」

「わたしは一休さんの母親か!」

「ママりん」

「もはや痛々しいわ! そんな言い方で母親を呼ぶ奴はいないでしょ! それならお母さんの方が百倍マシよ!」

「わかりました、それじゃあお母さんと呼ぶことにします」

 ユメは余裕の表情でマリを見た。なんだかこの子にはかなわない。そんな気分になった。マリは諦めて話を進めることにした。

「……で、何、この子がタイムトラベラーだって証拠があるっていうの?」マリが聞く。

「そう、そこが問題」

 麻衣子が口を開く。

「マリを呼んだのもそれに関係すること」

「それ?」

「川村ユメと名乗るこの女の子の正体」麻衣子はユメを見た。

 マリはそれほど驚かなかった。なんとなく、この子と何か関係がある話なんだろうなと、そんな気はしていたのだ。

 大体母に呼ばれていった先で、自分を母親と呼ぶ子供に会うなんて、ちょっと出来すぎているだろう。それでなにもないはずがない。

 マリは一つため息をついて、口を開いた。

 いずれにしても、このまま言い合っていても埒が明かないだろう。

「それじゃあ最初から話してよ。わたしにもわかるように」

 麻衣子は話し始めた。


「川村ユメがここに現れたのはつい一週間ほど前のことよ」

「ここ?」マリが問う。

「H山天文台」麻衣子が答えた。

「正確にはここの地下のキセノンタンクの中です」ユメが横から補足する。

「キセノンタンク?」マリは首を傾げた

「キセノンは知ってるかしら? クリプトンの次に重い希ガス」

「それくらい知ってるわよ。でもなんで天文台にそんなものがあるのよ」

「キセノンはある種のダークマターの直接検出に適しているのよ。それで高エネの連中が実験に使ってるの。マリはダークマターは知ってる?」

「知らないわ」

「ダークマターは強い力や電磁気と相互作用をしない未知の粒子こと。様々な観測結果や宇宙論から、宇宙の全エネルギーの25パーセントほどはそれだと見積もられてる。が、今はその詳細は重要なことではない」

 重要じゃないならなんで話したのよ、と思ったがマリは口を挟まなかった。麻衣子と話すときはそういうことはいちいちツッコんではいけないと、マリはそれまで経験から知っていた。

「ここでは今までとは最近開発された新しい観測器を用いて、ダークマターの直接観測実験が行われていた。そして一週間ほど前、事故が起こった」

 そういえばそんなことを吉田も言っていたなとマリは思い出した。

 事件だか、事故だかが起こって麻衣子が呼ばれたと。

「観測装置である液体キセノンタンクがいきなり爆発したの。幸いタンクの周りには人がいなかったのでけが人はいなかったけど。吹き飛んだタンクの残骸の中から現れたのが」

 ユメだった、ということらしい。

「タンクの中はとても冷たかったです」ユメが小学生のような感想を言う。

「まあそうでしょうね。キセノンの沸点は知らないけど、かなり低そうだし」

 というかなんで凍ってないんだろうとマリは不思議に思った。

「で、この子が言ったわけ? 自分は未来から来たタイムトラベラーだって?」

「ええ」麻衣子が肯定した。

「わたし物理とかわかんないし、馬鹿な質問かもしれないんだけど、いい?」

 麻衣子が視線で先を促す。

「その実験でタイムトラベラーが現れるのって自然な結果なの?」

「いいえ、たぶんこの世の物理学者の誰一人としてそんなことは予想していなかったでしょう」

 もちろん私もこんなことが起こるとは思っていませんでした、と麻衣子は言った。

「じゃあなんでそんな話を信じたのよ。言っちゃ悪いけどただの自己申告なんでしょ?」

 マリはごく当たり前の疑問をぶつけた。

「もちろんここの研究者たちもそんな話いきなり信じたわけじゃない。けど、そのあとユメと名乗る怪しい女の子見せたいくつかの物品は、研究者に驚きと衝撃を与えるには十分なものだった」

「なにか証拠でも見せたの?」

「そこまではっきりとした証拠とは言えないと私は思う。でも無視することも難しい。言ってしまえば状況証拠くらいのもの」

「状況証拠?」マリは首を傾げた。いったいそれは何だろうか。

「それは僕が説明しよう」

 いきなり横から男の声が聞こえてマリはびくりと体を震わせた。マリが横を見ると小太りの男がびっくりしたように目を見開いてマリを見ていた。声を上げたのは吉田だった。

「吉田さん、いたんだ」

「君はひどいな」

「存在感がなかったから」

「ひどい」吉田は傷ついたような目でマリを見た。

「それで、状況証拠って何なのよ?」吉田の抗議を無視してマリは聞いた。

 吉田はぶつくさと文句を言いながら、ホチキスで止められた書類を渡してくれた。マリは渡されたプリントをパラパラとめくってみた。それは英語で書かれた論文のようだった。最初のページにタイトルと著者、論文の概要が書いてあった。

「あ、これって母さんの論文なんだ」マリが著者を見とがめ声を上げた。

 タイトルの下にはアルファベットで三人の著者の名前と所属が書かれている。その一つにはローマ字で川村麻衣子と書かれていた。

「ああ、そうだよ。でも一番注目してほしいのはそこじゃない。余白さ」

 マリは論文の余白を見た。最初のページの余白部分にアルファベットと数字の組み合わせで何かの番号が書かれていた。

「これは?」マリが問う。

「アーカイブナンバーだよ」吉田が説明してくれた。

 現在の物理の論文はほとんどの場合、雑誌に出版される前にアーカイブと呼ばれるプレプリントサーバにアップロードされる。プレプリントというのはちゃんとした雑誌に発表される前の論文のことだ。アーカイブにアップロードされた論文にはアーカイブナンバーと呼ばれる英数字の番号が振り当てられインターネットに公開される。その番号を見ればその論文のおおよそのジャンルと発表された年月などがわかるようになっているのだそうだ。

 その論文には次のように書かれていた。

 『1708.07821v2 [hep-th] 21 Sep 2017』

「この日付は何?」マリが問う。

「その論文の最新のファイルがアップロードされた日付だ。そしてその前の番号が最初の版がアップロードされた年月。これが言っているのは、この論文の初版は2017年8月の、たぶん下旬ぐらいかな、にアップロードされ、第2版が翌月の9月21日にアップロードされたってことだ。そして今日は何日だい?」

 今日は2017年の7月3日だった。

「……未来の日付が書かれてる」

 マリはつぶやいた。

「この論文はここに現れた直後のユメ君がここのスタッフに渡したものだ」

 そしてそれを見たスタッフは、念のためにその論文の著者に対して、論文の最初の1ページのコピーを送った。

 麻衣子はそれを見て、確かにそれが現在書きかけの自分の論文だと保証し、逆に、どうしてまだ発表していない論文のことを知っているのかと尋ねた。

 それが、麻衣子がもともと関係のないH山天文台にいる理由だそうだ。

「つまり未来の物を持ってきていたからタイムトラベラーだと信じたってわけね……」

 麻衣子がうなずいた。

「それだけじゃない」吉田が付け加える。

「ほかにもある。例えばユメ君が着てきた服もそうだ」

「服?」マリはユメの服に目をやった。なんの変哲もない白いワンピース。シンプルなデザインのそれから未来感はそこまで感じない。

 マリの視線に気づいた吉田は笑って言った。

「いや今着ている服じゃないよ。それに正確には服というか装備というか……ユメ君はキセノンタンクの中にいきなり現れたというのはもう聞いたね?」

「ええ」

「その時に宇宙服のようなものを着ていたんだ、ほらよく映画とかで宇宙飛行士が着ているオレンジ色や白の服があるだろう? あれみたいなやつだ」

 よかったら後で見せてあげよう、と吉田は続けた。

「で、その宇宙服がどうしたのよ?」マリが問う。

「作れないそうよ」麻衣子が言う。

「作れない?」

 マリの問いに麻衣子はかぶりを振った。

「あんなに熱を通さず、動きやすくて、しかも衝撃にも耐える装備を作ることは現在の素材技術じゃ無理だ、と言っていた」

「それこそ未来の技術でもなければ……そういうこと?」マリが後を引き継ぐ。

 麻衣子はうなずいた。

「ほかにも状況証拠といえるものはいくつかある。研究上の秘密のためすべてを話すことはできない。ただ言えるのは、未来から来たと考えると簡単に説明がつく現象が複数ある。それは確か。でもまだ弱い。私はそれが確かめたい……」

 麻衣子の目に怪しい光が宿る。

「一つ頼みたいことがあるの」麻衣子が口を開く。

 なんとなく、マリは嫌な予感を覚えた。

「なぜそんな顔をするの?」麻衣子は不思議そうに娘を見た。

「なぜって、なんだかすごく、予想以上に超絶めんどくさそうな雰囲気を感じたからよ」

「そんなことはない。たぶん、夏休みまでには終わると思う」

「夏休みって、3週間以上先の話よ」

「最近の学校は授業が長いというのは本当なのね」

「娘の学校の終業式くらい把握しといてよ」

「善処する」

 麻衣子はマリから視線をそらしながら言う。わかりやすい人だなあ、とマリは思った。

 麻衣子は話を戻した。

「確かに、それほど簡単な仕事ではないかもしれない、けどマリならできると思ってる。むしろあなたにしかできない」

「おだててるつもりなの?」

 だとしたかなり下手だ。マリは鼻で笑った。

「事実だ。そうでしょ、ユメ?」

「はい」

 ユメは神妙な顔をしてうなずいた。

「これはお母さん――川村マリにしかできません」

 その表情は嘘には見えなかった。

 それに考えてみると、麻衣子が『おだてる』なんていう高度に社会的行動をできるともマリには思えなかった。母は思ったことを言っているに違いない。

「それに」麻衣子が口を開く。

 マリは麻衣子を見た。

「これはとてもエキサイティングな仕事になるよ」

 麻衣子は笑っていた。

 期待に胸を膨らませて、楽しそうにしていた。

 マリはわざとらしく大きなため息をついた。

「で、何なのよ?」マリがぶっきらぼうに問う。

「何とは?」母が問い返す。

「だから頼み事よ。なにをやらせたいの?」

「やってくれる?」

「そもそもその頼みを聞くためにわざわざこんな山奥まで来たんだもの。できる範囲までなら協力するわ」

 麻衣子はかすかに微笑んだ。

「頼みたいのは簡単なこと。確かに状況証拠はあるけど、私たちは本当にこの子がタイムトラベラーか疑っている」

 だから、と麻衣子は続けた。

「だから、この子が本当にタイムトラベラーか確かめて欲しい」

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