23
夏休みになった。
みくと貴子に勉強を見てもらった試験はマリ個人としては満足できる結果だった。もちろん補修で夏休みをつぶすようなこともなく、マリはだらだらと夏休みを満喫している。
勉強をして、家の掃除をして、食事を作って、たまに遊びに行く、そんな生活を送っている。
そんな彼女のもとに吉田がやってきたのは、夏休みに入ってすぐのことだった。
吉田はK駅の駅ビルで買ってきたケーキの箱をマリに差し出しながら切り出した。
「どうやらまんまとしてやられたらしいね」
ユメは消えた。マリの前からも、吉田達の前からも、文字通り影も形もなく消えてしまった。
ユメが持ってきたカバンも、彼女のために買った服もすべて残して消えてしまっていた。
「それだけじゃないよ。高エネに預けていた例の拳銃、親子判定機も消えてしまっていたよ」
吉田は言った。
「残っていたのは空のカートリッジだけ。結局ほとんど解析も進んでいないから、なんだったのかはよくわからなかった」
「そう」マリは興味のなさそうに相槌を打った。
「一体どこに行ってしまったのか、何か聞いていないかい?」
マリは首を横に振った。
「一体何のために彼女はここに来たんだろう。そういえば、君はユメ君が何のためにここに来たのか教えてもらったかい?」
マリは少し考えた。ユメは何か言っていただろうか。
「……父親を捜すためって言ってたわ。でもそれだけじゃないとも言ってた。あんまり詳しく話してくれなかったから」
「僕たちも教えてもらえなかった。ただ僕たちはもう一つ聞いていた。もしも自分を川村マリと会わせて、自分の父親が誰かを教えてくれたら、すべてを話す、と」
それを聞いてマリは今更ながら納得した。
「だから母さんはわたしを呼んだのね」
マリにはどうして自分が呼ばれたのかわからなかった。麻衣子はタイムトラベルの証拠を確かめてほしいと言っていた。けれど実際にマリたちがやったのはユメの父親捜しであり、確かに全く関係がないとは言えないけれど、それほどストレートな証拠と言うわけでもなかった。前の言葉を使うなら、たとえユメの父親が見つかったとしても、それはどこまでも状況証拠という以上のものではなかっただろう。それなのに麻衣子の口ぶりはこれが分かれば本当に何もかもわかるとでも言うようだった。
「つまり父親を見つけたらタイムマシンのことも何もかも話すと、そう言っていたのね?」
「ああ」吉田はうなずいた。「もっとも、結局ユメ君は詳しいことは何も語らずに消えてしまったのだが……」
マリは黙り込んだ。
「おかげでH山天文台の実験も進まなくなったし、文科省とか国防省の役人も出てくるし、こっちはもう大変だよ」吉田が愚痴っぽく言う。
「国防省ってアメリカの?」
「ああ、そうか君には話してなかったね。ほら言ったろ? タイムマシンは使い方次第ではとんでもない兵器にもなりうるって、実は事故が起こった直後からいろんな機関から接触を受けていてね、結構な大事になっていたんだよ。というかそうじゃなかったら、最初の事故の時点で報道されているだろ?」
「報道規制されてたの?」
「まあね。それにほらユメ君をN女に転入させるなんて無茶も、国の協力があったからできたようなものだよ」
「あれは公文書偽造じゃなかったのね」
「いや偽造ではあるんだけど、国が作った偽造だからね。造幣局が作った偽札みたいなものさ」
マリはそんな大事になっているなんて知らなかった。
「川村さんも大変だったよ。連中の相手をしながら合間を縫ってユメ君の理論を作って……ほらだからなかなか帰って来れなかったんだ。さみしくなかったかい?」
「いえ、全然」マリは即答した。
そうかい、と吉田は言った。
「でもまあこれで普通に戻れるってところかな。今まで本物のタイムトラベラーがいたせいで研究が変に政治的になりすぎていたから。やっと本筋に戻れる」
「それは良かったわね」マリは適当に相槌を打った。マリは吉田の持ってきたケーキを口に運んだ。甘いようなしょっぱいような、妙な味がした。
結局吉田はマリ相手に一時間くらい話していた。よほどストレスが溜まっていたのだろう。最後に吉田はふと思い出したように言い出した。
「……そういえば高エネの連中がおかしなことを言っていたな」
「なにが?」
「あの親子判定装置なんだが、少し気になるところがあるそうだ」
マリは首をひねった。
「あれはどこかに消えてしまったって、さっき言ってませんでしたっけ」
「ああ、そうなんだが今までの解析のデータと空のカートリッジは残されたからね。それで、変なところっていうのは主にカートリッジの方なんだが、カートリッジを見ると、どうも弾が二種類あるらしいんだ。具体的には最初の弾の入っていた部分と、それ以降の弾が収まっていた部分の形が違うらしい。一発目の弾だけ少し大きい」
「大きい?」
「ああ、具体的には、2mmほど弾が長いんじゃないかと言っていた」
「そこに何かが入っていたっていうの?」
「おそらく。これはまた違う研究室で調べてもらったんだが、その2mmだけ深い溝には変な物質が付着していたらしい」
「変な物質って」
「まあ具体的には何かは分からないそうだが、そこの研究室のボスはアレに少し似ていると言っていたな、ええとなんだっけ」吉田はメモ帳を取り出した。「ああこれだ、抗がん剤の一種、らしい」
マリはその意味を考えたが、わからなかった。だからその事実だけを心の中にしまい込んだ。
「そういえば吉田さん、例の論文は出そうなの?」
「例の論文? ユメ君が持って来たやつのことかい?」
マリはうなずいた。
「ユメが正しいなら、そろそろ投稿されるんでしょう?」
「ああ、そのことなんだけどね、川村さんは書き足したいことがあるらしくて、まだ当分かかりそうだよ」
「ふうん……ということはやっぱりユメは本物のタイムトラベラーじゃなかったのかしら?」
「さあね。ただ僕は思うんだけど、彼女はそれほど自分をタイムトラベラーであると信じさせようとしなかったように思うんだ」
「そうかしら……わたしには真っ先にタイムトラベラーだと宣言していたと思うんだけど」
「本当にそうかい?」吉田が念を押す。
マリは最初に会った時のことを思い出す。違う。彼女は自分がタイムトラベラーと思わせる前に、マリの娘だと紹介していた。
「まあユメ君からしたら自分がタイムトラベラーかどうかなんてどうでもよかったんだろうな。彼女にとって大事なことはきっと別にあったんだよ」
「それじゃあ本当にユメは何がしたかったの?」
「さあ?」
吉田は肩をすくめた。
八月の初め、マリは妹と貴子をプールに誘った。二人は二つ返事でうなずいた。
「で、なんでみくちゃんもいるのよ」貴子が言う。
「私の方こそ、先輩がいるなんて聞かされてないです」
「教えなかったもの」マリが素知らぬ顔でとぼけた。
「で、わざわざ呼んだんだからなにかあるの?」
「別に、ただ二人と遊びたかっただけよ」マリが言う。
「それならいいんだけど」貴子が不審そうに言った。
「ただ二人をもてあそびたかっただけよ」マリは言い直した。
「最悪です!」みくが叫んだ。「なんですか、もてあそぶって!?」
「だってあんたたちわたしのことが好きなんでしょ?」マリが確認する。
「ええ、まあ」ストレートな言葉にみくは照れたように頬をかいた。
「好かれるのは悪い気はしないのよね。あんたたちわたしが好きで、わたしに好きになってもらいたくて一生懸命頑張ってるんでしょ? そういう眺めるのは割と愉快なのよねえ」
「悪女だぁ!」貴子が絶望的な声を上げた。
「人聞きの悪いこと言わないでよ」
「人聞きの悪いのはマリンのほうだよ。人の純情をもてあそんでるんでしょ。悪女じゃん!」
「そうかしら……自覚はないんだけど」
「むしろ自覚がないのが怖い!」
「いやでもそれくらい考えないとやってらんないわよ。わたしだってね、えろいことに興味がないわけじゃないの。ただねえ、あんたらが変態すぎるのよ! コスプレさせたり、露出プレイを要求してきたり! まずそういうのなくしなさいよ!」
「そういうのじゃなかったらいいのですか?」まじめな顔でみくが問う。マリは少しだけ考えて、結論が出なかったので玉虫色の答えでごまかすことにした。
「……考えてあげるわ」
「姉さん!」
「だからさりげなく水着の下に手を突っ込もうとするな!」
マリのチョップがユメにクリーンヒットする。ユメは撃沈した。
「まあなに、別にわたしもね、あんたたちのこと嫌いってわけじゃないの。だから何、その、二人とも頑張って、わたしを夢中にさせてね?」
露出の多いビキニ姿で上目づかいに自分を見るマリの媚態に貴子は果てた。
こんな調子じゃ姉さんを攻略するのも大変そうだなあと、みくは空を見上げた。
そこにはうっすらと白く光る、真夏のベテルギウスがあった。
八月の終わり、夏休みの終わり、マリは一本の電話を受け取った。電話を受けたマリはみくにちょっと出かけてくると言って玄関に向かった。
「どこに行くんですか?」
「大学」
「大学? 今からですか?」時刻は4時を過ぎていた。今からでは行って帰るだけでも5時過ぎにはなるだろう。みくはそれを確認して言った。
「わかりました。夕食までには戻ってきてくださいね」
「わかったってば」
「本当ですよ? そうじゃないと私、飢え死にするんですから」
「はいはい」
マリは外に出た。八月の太陽で外は溶けてしまいそうだった。マリは汗を拭いて家の近くの私鉄の駅に向かって歩き出した。行先はその線の終点からすぐの場所にある。
マリが向かった先はK大学理学研究科五号館、母の論研究室だった。研究室には麻衣子が椅子に座ってプリントを読んでいた。マリが部屋に入ってきたのに気が付いた麻衣子は、プリントから目を上げた。
「久しぶりね、マリ」
「別にそれほど久しぶりじゃないわよ。昨日も会ったでしょ?」マリが答える。
川村麻衣子は透き通った目でマリを見た。
「会ったっけ?」
「会ったわよ、少なくともわたしは見たわ。朝、母さんが出て行くところ」
「4時くらいに出たのだけど起きてたの?」
「ほとんど寝てたけど」
「マリは家族が好きなのね」
「はあ?」マリが不機嫌そうに語尾を上げた。
「家族を大事に思っている。みくやユメ、そして私でさえも」
「そんなの当たり前でしょ」マリは呆れるように言った。
「だからユメにも嘘をついた」
「嘘? なんの話? というか、わざわざわたしをこんな場所まで呼んでどうしたいの?」
「あなたに少し聞きたいことがある」
「家じゃダメだったの?」
「家じゃみくがいるから」
ということはみくに話せないことなのだろう。けれどみくに話せないことが何なのかマリには見当もつかなかった。
マリはわざとらしいため息を一つついた。
「いいわ、なにが聞きたいの?」
「私が聞きたいのは一つ。どうしてユメの父親について一つの答えしか教えなかったのか。それだけ」
「……」マリは、答えなかった。
「吉田君から大体のことは聞いている。彼女の持ってきたマシンを信じるなら、みくと小笠原貴子がユメの血縁だという主張を受けたから、あなたはその二人がユメの父親だと推理した。それは合ってる?」
「ええ、どこかおかしい?」
「別におかしくない。たしかに未来なら女性だけで子供を作る技術があってもおかしくないし、なくてもおかしくない。我々には未来を知るすべがない。だからあなたの予想は答えとして成り立つ。だけど違う答えだってありうる」
「どんな答えよ?」
「例えば、貴子とみくが祖父母ではなくて曾祖母になればいい。二人が誰か知らない誰かと子供を作り、その子供たちがさらに子供を作ればいい。。そしてできた子供がユメのようにタイムトラベルし、過去に戻りN女に行って、マリと子供を作ればいい。その子がたまたま二人の遺伝子のみを遺伝させれば、二人は少なくとも遺伝上はユメの祖父母のように見える」
「孫が祖母二人の遺伝子だけを遺伝させるなんて、いったいどんな確率よ」
「確かにその確率は低い。けれど、これなら同性生殖なんて未知の技術は必要ない。ただタイムマシンがあればそれでいい。そしてタイムマシンは今のところ前提として存在している。オッカムのカミソリよ。仮定は少ない方がいい。論理は単純な方がいい。この考えはそういう点で優れている」
麻衣子がコーヒーカップに口をつけた。それからまた続ける。
「勘違いしないでほしいのだが、私は別にこの説が正しいと言うつもりはない。ただこちらの方が仮定が少なく済む分スマートに思えただけ。でもマリはこちらの説を言わなかった。それはなぜ?」
麻衣子が問う。マリは答えなかった。だから麻衣子が問う。
「その理由は、ユメを気遣ったから。違う?」
「……母さんは何でも知ってるみたいね?」
「なんでもは分からない。でも、やっぱりそうなのね」麻衣子は続けた。「もし今の説が正しいなら、これからユメの父親は未来から現在に来なければならない。そして現在にはユメが過去に現れるのに使った、H山天文台がない。それどころかあと数年は再建される見込みもない。だから仮にユメと同じ技術をユメの父親が持っていたとしても、現在に来る手段がない」
マリは口を挟まなかった。
「マリは最初こう考えた。ユメが来る前の世界を仮にAとする。この世界Aではユメの父親がタイムトラベルを行い過去に来て、マリと子供作った。その子供がユメである」
「しかしユメはタイムトラベルを行い世界は変わった。その世界をBとする。Bの世界ではユメによってH山天文台が壊れており、それ以降にはタイムトラベルが行えない。これではまるで自分の父親を捜しに来たユメ自身が自分の父親の存在をかき消したように見える。マリはそんなのは嫌だった。だからマリはAの世界なんてなくても説明がつく、同性生殖の技術がある説を唱えた」
麻衣子はマリを見た。
「違う?」
マリはフッと笑った。
「全然違うわよ。母さんはわたしを買いかぶりすぎよ。わたしは単に自分の思いついた考えを話しただけ」
「そう。私の思い過ごしならいいの。ただ、マリは人に優し過ぎるとこがあるから、あんまり人のことばかり考えるんじゃなくて、自分がやりたいことをやってほしいの」
「……もしかして母さん、わたしに説教したくて呼んだの?」
「? 最初からそうしている」
「すっごいわかりづらいわ」
マリはくすりと笑った。
それから少し話して、マリは研究室を後にすることにした。
「あ、母さんは今日は早く家に帰ってくるの?」
「そうね、今日はそうするわ」
「じゃあわたしお赤飯炊いて待っとくわ」
「……前から気になってたんだけど、マリは私が味付きのご飯苦手なことわかってるの?」
マリはうなずいた。麻衣子は何かマリの機嫌を損ねるようなことをしただろうかと首をひねった。
帰りの電車の中、マリは母のことを考えた。妹のこと、貴子のこと、ユメのことを考えた。
マリは自覚する。
いつの間にか、ユメにお母さんと呼ばれても反発を抱かなくなっていたことを。
いつの間にか、ユメと一緒に登校するのが当たり前になっていたことを。
いつの間にか、ユメの軽口にツッコむのが楽しくなっていたことを。
そんな彼女がいなくなってマリは自分が悲しんでいることを自覚した。さみしく思っていることを地自覚した。ユメにそばにいて欲しいと思っている自分を自覚した。どうしてなんだろうとマリは考えた。
二人の関係は決して普通の親子の関係でなかった
マリにとってユメはいきなり家の中に入ってきた女の子であり、望んで得たわけでも、お腹を痛めて生んだ子でもなかった。親子というより姉妹に近く、姉妹というよりも友達に近かったかもしれない。
でも、いつの間にか、ユメはマリにとって大切な家族になっていた。
マリの頭の中にふと新しい考えが思い浮かんだ。
もしも同性生殖ができるのならば、別の答えもありうる。
ユメの遺伝子の中には当たり前だが、ユメの遺伝子がある。それを使えばいい。つまりユメとマリの間で子供を作ればいいのだ。その上ユメはN女に実際に通っていた。だから未来のマリの言ったセリフとも矛盾はない。一番簡単な答えはユメの父親はユメである、というものだ。
でもこんな答えは絶対にないだろうとマリは思った。だってそうなるとなぜユメと貴子、みくが血縁に近いと判定されたかわからない。それに最初のユメは一体どこから生まれたのかが分からない。だからこれは違うのだ。
マリはそれでも3つ出て来た可能性を平等に考えてみた。
どれが正しいのだろう。
どれが一番幸せだろうか。
それとも正解なんてないのだろうか。
「それはきっとお母さんが自分で決めることです」
マリは振り返った。地下鉄の窓の向こうには当然だけど誰もいなかった。
マリの目の前にはただただ真っ白な、無限の未来が広がっていた。




