おまけ 民間伝承風後日談
これはね、わたしの友だちが友だちから聞いた話なんよ。ほんとうにあった話らしいけん、そんつもりで聞いてよね。
いまから十年か二十年前のことやけど、幼い子供を二人かかえた、あるシングルマザーの女がおったと。その女は、もともと悪か人ではなかったとやけど、二人の子供の世話があまりに大変なもんやけん、最初のうちは、目に入れても痛くないほど可愛いと思うとったのに、だんだんとこんなことなら子供なんて産まんどけばよかったと思うようになっていったったい。なにしろ子供は二人とも小そうて、いうこともきかんなら、すぐにピーピー泣きよるし、ひとりでご飯もよう食べんなら、いつなんどきなにをするかわからんけん片時も目ば離せんやろう。
そんな毎日に女はほとほと疲れ果て、やがて子供さえおらんどけばどんだけよかろうかと願うようになったって。そして、とうとうある日女は、少しだけ食べ物をやって、外に出れんようにドアを外から塞いで、子供をマンションの部屋に置き去りにして出て行きよった。
マンションの他の住人の人たちは、子供が二人だけで閉じ込められとうなんて知るわけないやん。だけん、なんもできんかったちゃけど、ひと月ほど経ったら、マンション中に臭かにおいがするようになって、どうやら女の部屋からみたいだということで、女がどこにおるかわからんもんやけん、管理人に鍵ば開けてもろうて部屋の中に入ったったい。そしたら、ハエがぶんぶん飛んどるような腐ったゴミだらけの部屋で、二人の子供が、かわいそうにミイラになって飢え死にしとった。
そのあと女は警察に捕まって、裁判で刑務所に入れられた。女と二人の子供が住んどった部屋には、子供の幽霊が出るごとなって、借り手が誰もおらんごとなった。なんでも、夜になると骨と皮だけの子供の幽霊がどこからともなく現れて、「お母さん、お腹が空いた」て、一晩中泣くんだって。そりゃあ、誰も借りんよね。
で、それから何年も経って、やっと女が刑務所から出てきたと。しかし出てきたもんの、世間体が悪かいうことでひっそりと暮らしとったんやけど、そのうち、前住んどったマンションの部屋に子供の幽霊が出る噂ば聞いたそうや。
女は、幽霊なんておるわけなかろうもん、なんばいいよっちゃろうと思うけど、うしろめたか気持ちもあるもんやけん、気になって仕方なかったと。それである夜、我慢しきれんごとなってマンションにこっそり忍び込んだわけたい。そして前住んどった部屋に行ったちゃけど、よう考えたら部屋の鍵もいまは持っとらんし、入れんことに気づいた。で、ドアの前でどないしょう思うとったら、突然、なあも触らんのにドアがひとりで開いたげな。女はびっくりしたし、幽霊の出る噂も聞いとったけん、こわか気持ちもあったけど、どうしても部屋の中に入らずにおれんかった。それでおそるおそる入っていったら、前住んどった部屋が、真っ暗で、がらんとしとった。
と、暗かとこから「お母さん、お母さん」って子供の声がしてくるやないね。女が驚いて声のしたほうを見とると、二人の子供が、ひとつも歳をとらんと、あのころのままの姿で、暗闇の中から、すうっと現れてきた。女はこわか思いよりもなつかしさが先にたち、子供の幽霊も、「お母さん、お母さん、やっと帰ってきてくれたんやね」と、二人とも女にしがみついてくる。
「いい子でいるけん、いうこときくけん、お母さん、もうどこにもいかんどいて。ずっとそばにおって。お母さん、お母さん」
「どっかいったらいやや。おいていったらいやや。お母さん、お母さん」
そうやって幽霊の二人の子供が泣いてすがってくると。
女は初めて、自分がどげなほどに悪かことをしたか思い知らされた。なんてことをわたしはしたんだ。この子らになにをしたんだ。悔やんでも悔やんでも後悔し切れん思いが胸にこみ上げてきて、女はぼろぼろ泣いた。涙が枯れるまで泣いた。
「ごめん、ごめん。お母さんが悪かった。許してな、許してな」
「泣かんで、お母さん。泣かんで」
子供の幽霊は一言も女を責めんと、ひたすらすがってくる。やっと母親と会えたと嬉しそうにする。
「お母さんが帰ってきた。お母さんが帰ってきた。もう、ずっと一緒。ずうっと、ずうっと……」
二人の子供の幽霊は、満ち足りた子供らしい顔を女の胸に埋めるようにして、現れたときと同じようにすうっと消えていった。
女はその場に泣き伏した。手を合わせて、自分の罪の深さを呪うた。身も世もないほどに泣いたけど、泣いても泣いても、泣き切れん。女はわんわん泣いた。声ば上げて泣いた。泣いても泣いても、救われんかった。
その後女は、その三階の部屋ば借りて、以前のように住むようになったと。幽霊がでる部屋やし、誰も借り手がないけん、家賃はバカみたいに安かった。家主さんに頼んで、マンションの敷地の一角に、大小二体のお地蔵さんばおかせてもらい、一日もかかさず、手を合わせ、花を手向け、お供えをし、雨に濡れたら冷たかろうと祠も作った。もちろん掃除も欠かさん。そうやって女は日々を送った。小学校にいく子供たちのために、緑のおばさんのように交通指導したり、子供が怪我せんように、気持ちよく遊べるようにと、近所の児童公園の清掃や手入れもしたりしよった。ほかにも子供のためになることは、自分から進んでなんでもやった。図書館のお話会で絵本を読み聞かせするなら、子供会の廃品回収では汗を流し、貧乏でお腹いっぱい食べれん子のための、公民館での月に一度のお食事会では食材を提供し腕をふるった。子供の世話をするのがなかなか難しいシングルマザーたちの相談相手になるなら、子供を預かってもやり、裕福でもないのに援助をしてやったりして、マザーたちを支え励ました。
飲食店と弁当屋と掃除婦の三つのパート仕事をかけもちでこなしながら、空いている時間を、女は子供たちのために使った。貯金もせず、保険にも入らず、生活はいたって質素で、そうやって切りつめて余ったお金は、けして多くはなかったけど、子供たちのために使った。子供たちさえいてくれれば、なあもいらんと女は思うとった。子供たちの喜ぶ姿が好きで、笑い顔が大好きだった。
女の過去の事件を知らん人たちは、そんな女をよか人と思うとったけど、むかしのことを知っとる人たちは、自分の子供を殺した女やぞ、なにするかわからんと、口さがのう言うとった。知らんかった人たちも、そんことを知ると、女ばこわかと疑うようになった。しかし、女が一途に子供たちのためにつくす様子を見ていると、みんな、女のことをよく思うようになって、誰一人悪口を言うもんはおらんようになった。それぐらい女は熱心だった。
そして数年が経った、ある日のこと――。
女の姿が二、三日見えん。もしかしたら、病気でもして寝込んでいるんやないかと、マンションの住人が心配して女の部屋を訪ねると、テーブルに伏せるようにして女は死んどったそうや。
ベランダの窓が開けっぱなしになっていて、そこから風が入り込み、テーブルの上には、誕生日ケーキがあり、花柄の取り皿があり、子供が食べやすい大きさの鳥のから揚げがあり、プリンが二つあり、ちらし寿司があり、スパゲッティがあり、ジュースがあり、飴があり、チョコがあり、子供用のフォークとスプーンと箸とコップがならべてあった。子供二人と、大人ひとりの、家族三人のテーブルやった。
生前の女の姿が最後に見られたのは三日前で、近所のケーキ屋に、注文しておいた長男の誕生日用のケーキを受け取りにきていたと。毎年の注文で、ろうそくの数はいつも三本。
「わたしの子は、歳を取らんと。いつまでもずっと同じ歳」
女はそう言うて、ケーキを持って帰っていってた。
長男の誕生日に死んだ女の顔は、とても幸福そうで、唇には微笑みさえ浮かんどった。
「やっと家族一緒になれたんよ」
みな、そう言って女の死を悲しみ、女はみなに見送られて手厚く葬られた。
話はこれでおしまい。きっと、女と二人の子供はあの世で仲良う暮らしとうと思うよ。お地蔵さんはいまでもあって、近所の人やマンションの住人たちから慕われているって。子供のことをお祈りしたらご利益があるらしか。
あっ、これほんとにあった話やけんね。嘘や思うたら、いかんけんね……。
<了>
実際の事件で亡くなられた、二人の子供たちのご冥福をお祈りいたします。
合掌。