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1 アブロイド

もう一度繰り返しておきます。

現実の事件に題材を得ていますが、内容は完全にフィクションで、いかなる現実の事件や事実、実在する個人・団体などと、一切無関係です。誤解されませんようお願いします。

また制限はつけていませんが、ホラーであることもあり、話に残酷な内容が含まれることをお断りしておきます。

 名称はマンションとなっているが、そんなりっぱな建物ではない。横長の六階建てで、各階に1DKの部屋が四戸ある。アルミの集合ポストとエレベーターは備わっているが、セキュリティは自由に出入りできるのをそう呼べればの話だ。当然、エントランスといえるような洒落たものはない。

 そのマンションの三階の部屋が、問題の部屋だった。


 話を聞いたのは、二週間ほど前だった。本物らしい。そう聞いた。

「それって……ほんとうに出るってことかい」

 私の問いかけに、ああという返事がかえってきた。

「だから、誰も取材にいきたがらない。勝手なもんさ。――それに事件が事件だろう」

 湯呑に茶を注ぎながら、そのへんはわかるだろうという顔をされた。

 四年前、メディアを通じて全国的に知れ渡った事件だった。確かに、出ても不思議はないと思わせるものがある。

「で、どうする。生憎だが、取材費や稿料をはずむつもりはない」

 ふんぞり返って茶を口にする編集長補佐を尻目に、ちょっと考えさせてくれと私は手帳を出して答えた。一分ほどだ。急ぎの原稿の仕事はなく、コンビニと宅配便のアルバイトのスケジュールを考えただけだ。それも三十秒ほどで、残りの三十秒はわざとだ。誰も引き受けたがらないのなら、少しははずんでもらいたいではないか。

 応接室といっても、衝立で仕切ってあるだけだから応接コーナーだが、そこはニコチンの匂いが染みついている。

「霊能者はつけてくれるのかい?」

 私は返事をさらに伸ばして尋ねた。

「それはない。経費削減がモットーだ。――つまり、保険は一切ない」

「それなら、少しは乗っけてもらわないと」

「独身者のくせにか。死んだって、金を残す相手なんて誰もいないだろう」

 補佐は、ぱんぱんに張れ、丸いメガネをかけた顔に渋い表情を作った。髪はライオンのたてがみの如くに乱れ、唇は明太子を二つくっつけたみたいに分厚く、シャツの襟からネクタイが垂れ下がり――第一、力士じゃあるまいし太りすぎだ。

 しぶしぶ、気持ち程度の上乗せがされ、私は引き受けた。

 心霊ものはこれまで何度も書いたことがあった。眉唾な話ばかりだったが、はっきりそう書くわけにもいかない。かといって嘘は書かないというのが、最低限の私のポリシーだ。おどろおどろしい話を期待している読者には、さぞかし不評だろうと思っていたら、そういった私の姿勢が、リアル感を出していると好評だった。補佐が私にこの取材をまわしたのも、マンションでの事件が、一時マスコミ各社を賑わせたせいだと思えた。怪しい系雑誌の『アブロイド』といえども、扱いには慎重ならざるを得ない。笑って許してではすまされない面がある。かといって、没にするには惜しいネタだ。本物らしいのだ。これを見逃す手はないと、読者に信用度の厚い私にお鉢がまわってきたに違いない。

 それに私としても、そのマンションの一室にほんとうに出るのかという、個人的興味が生じていた。

「取材費には必ず領収書をつけてくれよ」

 資料を預かった私は、デブの編集長補佐のそんな言葉に見送られて『アブロイド』をあとにした。


 資料に目を通しただけで、実際に取材を開始したのは、それから四日後のことだった。バイトが忙しかったのだ。原稿料だけでは生活が困難なのが私の実状である。

 事件のことを最初に調べた。ネットで検索し必要なものは印字し、それから市営図書館にいき、当時の新聞記事を縮小版で読んだ。週刊誌の類も、残っているぶんには目を通した。那加里なかざとマーリアが、どんな境遇に育ち、どういう人物だったのかの深追いはしなかった。事件を原稿にまとめるのでなく、私がするのは、その後の怪談話である。なぜあんな事件がおこったのかは、ほかのライターの仕事であった。

 そこまですませてから、知り合いの霊能者に連絡を取った。これまでの仕事が縁で知った女性だ。霊能者が本業ではなくOLをしている。私個人は、心霊現象や霊能者を全面的に信じているわけではないが、彼女は信用できる人物だと思っている。

 彼女の昼休みに定食屋で会った。現場であるマンションに足を運ぶ前に、アドバイスを受けたいと思ったのだ。

 定食屋は、縄暖簾のかかった小ぢんまりした店だった。

「ああ、あの事件ね」彼女はうなずいた。「わたしなら絶対やめとくわ」

 日替わり定食を前にして、彼女は割り箸の紙袋を取った。水平にして二つに割ると、さっそく食べ始める。

「そんなに危険かい」

「うううん。そういう意味じゃないの。わたしたちみたいな霊感の強いタイプには、荷が重すぎるってこと。考えてもわかるでしょう。ほんとうに出るとしてよ、どんなものをアンテナで捉えちゃうかと思うと、それだけで神経がまいってきそう。悲惨すぎるもの」

 彼女の言わんとしていることはわかる気がした。霊感のない私にしても、この件には不安を感じていた。

「気が変になったりすると思うかい」

「それはないと思う。ただ、トラウマにはなるかもよ。あなたのことだから、伝聞だけじゃ気がすまないでしょうから、その部屋で一晩すごすつもりなんでしょう」彼女は、魚の身を挟んだ箸を宙で止めて私を見つめてきた。「だから、それなりの覚悟はいると思う」

 そして、箸を口に運んだ。

「考えてもみてよ。一か月以上でしょう、その間どんな思いがしていたと思う。それがその部屋にはこもっているのよ。霊がいるとしたら、いまもそれが渦巻いている。そんな部屋で一晩すごすなんて、怖くならないほうがどうかしているわ」

 皮膚の表面がひんやりとした。昼食時の賑わいがあり、料理の匂いが立ち込め、まわりのテーブルからは食器の音がする。正面の彼女はエンジ色の制服姿で、どこから見ても二十代のOLだ。しかし私たちのテーブルには、うすら寒い空気が流れている。

「かなりやばそうだね」

 ええと、しょうゆを塩サバの切り身にかけながら、彼女は素っ気なく答えた。

「しかし、どの心霊スポットも同じだろう。つまり、怨念が渦巻いているという点では」

「そうだけど」彼女は箸を持ったまま視線を斜め上にやり、ちょっと思案して言った。「でも、そこはちがうと思う。うまく言えないけど、そう思う」

「霊の性質みたいなものがかい」

「うん。そんな感じ……」

 彼女は身震いすると、味噌汁をすすった。

 食事をしながら私は彼女からアドバイスをもらった。

「すがってくると思うから用心したほうがいいわ。下手すると、憑かれるわよ。霊がとり憑く時は、うなじか眉間から入ってこようとするから、そこになにかを感じたら危険信号ね。すぐに退散したほうがいい。無視するの。気持ちも耳も貸しちゃだめ。ただ、感じた時はもう遅いかもしれない」

「おいおい、それじゃ困るんだよ」

「なら、やめるべきよ」

 彼女はそう言いつつも、万一の時の対処法を、保証はしないと断ったうえで、私にいくつか教えた。

「どうして引き受けたりしたの?」

「そりゃ、お金のため……」

 彼女の表情を見て、私は口調を改めた。

「もし出るのだったら、誰かが書く必要があると思ったのさ。興味本位だけの記事にするわけにはいかない。わかるだろう」そしてつけ加えた。「もちろんお金のためでもある」

 彼女はなにも言わなかった。

 二人分の勘定をすませ、縄暖簾をくぐって私は言った。

「趣味で参加するつもりはないかい」

「ぜったいにいやよ」

 くるっと背を向けたエンジ色の制服が遠ざかるのを、私は苦笑を浮かべて見つめた。

 私は、ひとりだった。


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