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百円の彼女  作者: 上村俊貴
はじめての家事
8/23

その1

 テスト初日、一つ目のテストの終わりを告げるチャイムが鳴り響く。

 一つ目は数学Aだった。

 前日と今朝は、沙耶の事もありほとんど勉強できなかったが、日頃から勉強している尚吾にとってその程度は問題にならない。

 次の科目の確認をするのも面倒だったので、特に何もしないでいると、一人の少女が話しかけてくる。

「ねえねえ、さっきのテストどうだった?」

 癖一つ無い艶やかな黒髪を肩にかかるくらいまで伸ばし、黒水晶の様な深い黒の瞳は知的な光を宿している。

 街を歩けば、すれ違った男の全員が振り返らずにはいられないような、恐ろしく均整のとれた顔立ちに、日本人離れした圧倒的プロポーションを持ちながら、その表情はどこか親しみやすい雰囲気を醸し出している。

 彼女の名は、工藤綾香。

 入試で歴代最高得点を叩き出した私立工藤学園始まって以来の才媛である。

 察しの良い方は、気づいたかもしれないが、彼女は工藤学園を経営する、工藤財閥の元トップにしてこの学園の理事長、工藤源十郎の孫娘でもある。

 要するに超お嬢様だ。

 しかし、彼女はその事を全く鼻に掛けたりせず、誰にでも気さくに話しかけてくる。

 その容姿と性格で、男子から学年と問わず圧倒的人気を誇る彼女だが、そんな一見完璧な彼女にも弱点はある、それは尚吾と肩を並べるほどの運動音痴だということだ。

 つまり、今年はじめのスポーツテストで生まれた女版運動音痴のガリ勉というわけだが、彼女のほうは、天才ドジッ娘美少女と呼ばれている。まあ、本人は知らないわけだが。

「ねえ、尚吾君ってば、聞いてる?」

 そして綾香は、同じ運動音痴の尚吾に親近感を持っているらしく、頻繁に話しかけてくるのだ。

 クラスでただ一人尚吾のことを、村上くんではなく尚吾くんと呼ぶ女子でもある。

「ああ、わるいわるい。さっきのテストだろ?まあまあかな」

「またまた、そんなこと言って。どうせ全部できたんでしょ?」

 ちなみに、尚吾の入試の成績は綾香に一歩及ばず二番だった。

 そのことを、知っているのか知らないのか、そんなことをいってくる。

 基本的に入学試験の結果は、本人しか知らないはずなのだが、綾香なら知っていてもおかしくないだろう。

「綾香がそれを言うなよ」

「あははは、私なんてそんなにすごくないよ。尚吾君のほうが頭いいでしょ?」

「さすがにそれはない」

「いやいや、数学は入試の時も尚吾くんのほうがちょっと上だったし」

「そうなのか?」

「そうだよ、尚吾君のほうが二点高かった」

(それは知らなかった。俺のほうが上の科目もあったんだな)

「って、綾香てめーやっぱり俺の入試の成績知ってんな?」

「は、はははは………バレちゃったか」

 やはり、知っていたか。

 まあ、今さらそんなことで驚く尚吾ではない。

 入学して二ヶ月、初日に綾香に話しかけられたときから、今までにこんなことは日常茶飯事だった。

 例えば、尚吾のスポーツテストの結果や身体測定の結果を知っていたり、尚吾の家に押し掛けてきたこともあった。

 その話を始めると長くなるので、また今度話すことにしよう。

「ほらっ、もう席に戻らないと次のテストが始まるぞ」

「はーい、じゃあまた後でね」

 そして、二つ目の英語表現のテストが始まった。


 英語表現のテスト時間も残り少なくなり、尚吾がすべての問題を解き終えてしばらくたった頃。

『マ……タ………マス…………ター』

(なんだ?誰だテスト中に話しているやつは。それになんていってるかわかんねーし)

 しかし、その声は消えるどころかどんどん大きくなり、それにつれて明瞭になっていく。

『マスター、聞こえていますか?マスター?』

(!?)

 その声は、間違えなく沙耶のものだった。

 試験監督の教師や、他の生徒たちが無反応ということは、これは頭のなかに直接響いているということだろうか?

 確かに、仮想デバイスを装着した状態であれば念話機能でテレパシーの様なことも可能だが、テスト中にそんなものをつけていれば、カンニングとなってしまうため、今の尚吾は当然つけていない。

 しかし、このまま放っておけば、沙耶はどんどんの大きな声で通信しようとしてくるだろう。

 渋々尚吾はかつて仮想デバイス念話機能を使用したときのことを思い出しながら、沙耶の通信に応じる。

『聞こえてるよ。どうした、沙耶』

『あっ、マスター! ふぅー、やっと通じましたか』

『で、何の用だ。俺は今テスト中なんだが』

『おっと、それは失礼しました。しかしマスター、私はお腹が空いたのです。マスターは、いつ帰りですか?』

『なんだ、そんなことか。今日はテストを二つ受けたら終わりだから、十一時半くらいには帰るよ』

『そうですか、では私は洗濯でもして―――――――』

「そこまで、ペンを置けー。後ろのやつ解答用紙を集めてこい」

 途中で沙耶の言葉と試験監督のテスト終了の指示が重なり、後半はよく聞き取れなかったが、まあ、聞こえた限りだと洗濯をしておいてくれるそうだ。

 と、そこで、尚吾は昨日ことを思い出した、沙耶が100円で売られていた理由を思い出した。

 沙耶は、家事ができない。

 その事実を思い出したとたん、尚吾は急速に嫌な予感がしてきた。

 そして、帰りのホームルームが終わったとたん、全力で家に急いだ。


 尚吾が出ていった後の教室で、綾香は呆然としていた。

 今日こそは、尚吾と一緒に帰ろうと思っていたのだが、その尚吾は、ホームルームが終わると同時に、そそくさと帰ってしまった。

 確かに尚吾が早く帰るのはいつものことではあるが、ここまで、綾香が呼び止めることもできないほど早く帰ってしまうことは今までになかった。

 今までの尚吾ならば、綾香が呼び止めれば待ってくれていたので、これまでも何度か放課後に話したことはある。

 そして、何度も一緒に帰ろうと誘おうしたのだが、なかなか最後一歩が踏み出せずにいた。

 尚吾の家に一方的に押し掛けたこともある綾香だったが、一緒に帰るというのはその、なんというか、恥ずかしかった。

 私はいつから尚吾のことが好きなのだろうか?

 そもそも、私は尚吾のことが本当に好きなんだろうか?

 始めて親しくなった男の子だから、勘違いしているだけではないか?

 等々、いざ行動に移そうとすると、いろいろなことが頭をよぎり、とうとう動けなくなってしまう。

 しかし、今日の休み時間の会話で、確信した。

 私は、尚吾君のことが好きだ。

 確かに、私は勉強が得意かもしれない。

 だからと言って、テスト前に緊張しないわけではない、けれど尚吾君と話していると、自然に緊張がほぐれて、そのあとのテストはすこぶる調子が良かった。

 今までも、私に言い寄って来る男子はたくさんいた。

 告白されたことだって、一度や二度ではない。

 だが、誰もがその一回きりで、綾香は今まで、特定の男子と仲良くなったことはなかった。

 もし、仲良くなったとしても、しばらくしてその男の子が私に告白して、私がそれを断って、何となく気まずくなって………そうやって、男の子たちは、私の周りからいなくなっていった。

 でも、尚吾君は違った。

 私と同じで運動はできないけど、勉強は得意で、何より私のことを特別扱いしないで対等に接してくれる。

 もしかすると、尚吾くんにとって私は、勉強のライバルとしてしか見られてないだけかもしれないけど……………。

 今はまだ、それでもいい。

 これから、尚吾君には私がどれだけ魅力的な女の子か教えてあげればいいのだから。

「よーしっ、がんばろうっ」

 放課後の騒がしい教室のなかで、綾香は一人呟いたのだった。                  

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