その6
朝、いつもの時間より少し早く目を覚ました俺は、異変に気がついた。
まず、場所が違う。
そこはいつも寝ている寝室ではなく、リビングのクッションの上だった。
「そうか、昨日俺………」
寝起きではっきりしていなかった意識がゆっくりと覚醒していく。
「そうだ、確か風呂をいれてる途中で…ダメだ思い出せない」
どうやら、風呂をいれている途中で寝てしまったらしい。
しかし、いつもと違う点がもう一つ。
俺の体に柔らかくて温かいものが密着している。
本来この季節なら温かいではなく暑いだろうが、クーラーの効きすぎたこの部屋においては、心地よい温かさだった。
「……………えっ」
そこで俺の意識は完全に覚醒した。
女の子だ。
いや何を唐突にと思う方もいるだろうが、女の子である。
俺の体に密着して眠っていたのは、女の子というか、あのアンドロイドだった。
そして唐突に、呆然として動けない俺の前で、彼女は目を覚ました。
ムクリ
「ふぁぁぁ〜〜〜」
キョロキョロ
「あっ、おはよぉございます、マスター?」
「あっ、はいおはようございます」
つい反射的に挨拶を返してしまう。
すると、彼女は唐突に…………再び寝転がった。
「それでは、おやすみなさぁーい」
「ああ、おやすみ。って何でだよ!」
危ない危ない危うく相手のペースにのまれるところだった。
俺は再び寝てしまった彼女を起こして、今の状況を質問した。
「まずは………そうだなー、じゃあ何で音声案内が無かったんだ」
すると彼女はキョトンとした様子で、
「おんせいあんない?」
と逆に質問してきた。
「あーえーっと、お前?アンドロイドの初期設定の音声案内の事だ」
と俺が説明しても、彼女はよくわかっていない様子で首をかしげるばかり。
「仕方ない、まあもう起動してるしいいか。じゃあ次、勝手に起動してるってことは、お前にはもう名前があるんだろう?」
すると今度ははっきりと
「わかりません」
即答だった。
「そうか、じゃあ名前も考えないとな」
とはいえ、こんなこともあろうかと考えていたのだった。
「じゃあお前の名前は沙耶だ」
「さや?」
「ああ、そうだ。沙耶だ。漢字はこう書く」
そう言って俺は、近くのメモ用紙に沙耶とかいて彼女もとい沙耶に渡してやった。
沙耶は、自分の名前が書いてあるメモをしばらく見つめたあと、
「ありがとうございます、マスター」
そう言って、柔らかい微笑みを魅せた。
「っっっ」
沙耶の笑顔の威力たるや相当なものだ。
まあ、本人は自覚していないだろうが。
しかし、俺にはそれよりも気になることがあった。
「そのマスターってのやめてくれないか?」
そう、沙耶の俺の呼び方だ。
「どうしてですか、マスター」
どうしてそんなことを言うのか、と言った様子で、平然と聞き返してくる。
「どうしてって………」
いざ、問われると面と向かっては言いづらい。
もちろん、どうしてかという問いにたいしての答えなど、そんなもの決まっている。
俺は、別に便利で従順なアンドロイドが欲しかった訳ではない。
彼女が欲しかったのだ。
とはいえ、アンドロイドと言えど沙耶は女の子で心もある。
ここで本当の事を言ってしまうのは、要するに告白するのと同じである。
そうやって俺が言葉につまっていると、沙耶が、
「マスター、お腹が空きました」
そういって、台所の方に歩いて行ってしまった。
どうやら、俺のことを名前で読んでもらうためには、もう少し時間かかりそうだった。
「アンドロイド家にいたこと無いからよくわかんねーんだけど、動力源は人間と同じ食事なのか?」
「はい、私の場合はそうです。アンドロイドにもいろいろ種類があるので、一概にアンドロイド全てがそうだということはできませんが、私の体の作りはほとんど人間と同じです」
「そんなもんなのか?」
「そんなもんです。私はアンドロイドですが、日本の少子化問題を解決するために、ありとあらゆる部分において人間と同じです」
「あーっ、わかったわかった。そういう生々しい話しはいいから。とにかく、沙耶はお腹が空いたんだな?」
「そうです」
「わかった、朝食にしよう」
いつもより早い時間に起きたとはいえ、そろそろ朝食にしないと学校に遅刻してしまう。
尚吾は慣れた手つきで朝食を用意していく。
5分後、テーブルの上には、トーストとサラダ、それからウインナーにスクランブルエッグといった、オーソドックスは洋風な朝食が出来上がった。
それを見ていた沙耶は目を輝かせながら、尚吾の向かいの席に座る。
「「いただきます」」
二人で声を合わせて挨拶し、食べ始める。
「マスターマスター、これはなんと言う食べ物ですか?」
食事をはじめてから少したった頃、沙耶がスクランブルエッグをフォークの先でつつきながら聞いてきた。
「それはスクランブルエッグだ。食べたこと無いのか?」
「はい、未知の食べ物です」
「そうなのか?じゃあその他は?」
「他のものは知っています、食べるのははじめてですが、焼いたパンにウインナー、それからサラダですよね?あってますかマスター?」
「ああ、あってるぞ」
どうやら、沙耶はすべて知らないわけではなく、スクランブルエッグの事だけを知らなかったらしい。
「マスター、どうやら私のデータは少しバグが発生しているようです。生活に支障をきたすほどではありませんが、一部の一般常識的な知識と………よくわからないデータにアクセスできません」
「バグが発生?大丈夫なのか?それに、よくわからないデータって?」
「バグを方はそれほど問題ありません。よくわからないデータは、なんのデータか、何に使うかすら、よくわからないのです」
「そっか。まあ、今すぐどうなるってもんでもないんだろう?じゃあ今はご飯の方が大事だろう?」
「そうですね」
そうは言っても沙耶の顔はとてもは不安そうだった。
そこで、
「それよりさ、そのスクランブルエッグ食べてみろよ。うまいぞ」
少々強引に話題を食事に戻した。
こんなことでは、効果がないかもしれないと、少し不安だったが、どうやら効果ありらしあった。
沙耶はスクランブルエッグを一口食べて、
「ん〜〜〜〜〜〜っ、美味しいですマスター。マスターは料理が得意なのですね」
と幸せそうな顔でそう言った。
それにしても、沙耶は本当においしそうにご飯を食べる。
「まあな」
沙耶があんまりストレートに誉めるので、恥ずかしくなって、ついそっけない返事になってしまう。
両親が共働きだったこともあり、尚吾は家事全般が得意だった。
なかでも料理は、尚吾自身割りと好きな方だったため、プロ並みとはいかないまでも、そこら辺の定食屋よりはおいしいという自信もあった。
しかし、実家を出て約一年半、最近は自分で作った料理を自分で全部食べるのが普通となっていたため、久しぶりに誰かに誉められるのは素直に嬉しかった。
が恥ずかしいものは、恥ずかしい。
「本当においしいです、マスター。どうしたのですか?お顔が真っ赤ですが」
こっちの気など知らないで、沙耶は首をかしげる。
「なっ、何でもないっ!」
と、つい強めの口調になってしまったが、沙耶は特に気にならない様子で、すでに意識は食事に戻ってしまったらしい。
沙耶が、尚吾の気持ちに気づくにはまだまだ時間がかかりそうだった。