その3
あれからしばらくの間、沙耶は尚吾に抱きついて泣き続けていたが、今ではもうけろっとしている。
まあ、目はまだ赤いし、少し鼻声ぎみだが、さっきのように取り乱してはいなかった。
その様子にもう大丈夫だろうと判断した尚吾は、今だに尚吾の片腕に抱きついている沙耶に、さっきの説明で気になったことを一つずつ聞こうと思ったのだが。
その前にこの状況をどうにかしなければ。
さっきから、沙耶の豊かな双丘を押し付けられている。
健全な男子高校生なら、どうやったってどぎまぎする。
それに、今まで服のせいでよくわからなかったが、沙耶は綾香には一歩及ばないまでも、十分すぎるほどにスタイルが良かった。
正直このままでは、話どころではない。
「沙耶?いい加減離れてくれないか?」
しかし、沙耶は首が外れてしまいそうな勢いでくびを横に降って、
「いやです。確かにマスターは私を捨てないと言ってくれましたが、今すぐにそれを信用することはできません」
と、キッパリとそう言った。
そして、続けて、
「それとも、マスターは私がくっついているこの状況が嫌なのですか?…………じゃあ、やっぱり私はいない方が…………」
そんなことを言ってまた泣き出しそうな表情をする。
「い、嫌じゃない嫌じゃない!全然嫌じゃないから、な?」
慌ててそう言った尚吾に沙耶はさっきよりも強く尚吾の腕を一回抱いたあと、ようやく尚吾から離れて
「冗談ですよ、マスター」
そう言う沙耶はどこか楽しげだ。
そこで尚吾もさっきのは演技だと気づいた。
「驚かすなよ、まったく」
やっと沙耶の拘束から解放された尚吾は、やっと落ち着けると思うと同時に、少し残念な気もしていたが………。
ともあれ、これでやっと話を進めることができる。
「じゃあ、いくつか確認したいことがある」
「何ですかマスター」
「沙耶は、本当に洗濯機の使い方を知らないのか?」
「失礼な、そのくらい知っています。洗濯機に洗剤と洗濯物と洗濯板をいれてボタンを押す。でしょう?」
そう話す沙耶はどこか自慢げだ。
恐らく、自分の知識が間違っているなどとは、夢にも思っていないのだろう。
「よーし、沙耶。一旦落ち着こうか」
「どうしたのですかマスター?私は落ち着いています」
「そ、そうか。落ち着いてるか。じゃあ、今の落ち着いた状況にまま聞いてくれ」
尚吾は、そうやって前置きしてから、
「沙耶、お前の知識は間違っている。少なくとも洗濯機に関することについては全面的に」
「どういうことですか?」
尚吾は、本気でわからない様子の沙耶に正しい洗濯金使い方を教えた。
「では、本当に洗濯板は使わないのですか?」
今だに信じられないのか、沙耶は何度の洗濯板について聞いてくる。
「ああ、使わない」
「そうですか…………」
沙耶は自分がやったことが全部間違っていたとわかったのか、少し落ち込んでいた。
しかし、すぐに立ち直って、当然とも言える質問をする。
「では、なぜ水が溢れてきたでしょう?」
それについては、沙耶の説明を最初に聞いたときからわかっていた。
「それはたぶん、沙耶が洗濯機を持ち上げたときに、洗濯機な繋がっていた水道からのホースがちぎれたんだ」
「なるほど、そうゆうことだったのですね」
ようやく沙耶は納得がいった様子だ。
そして、続けてこうも言った、
「じゃあ、まだ水がで続けているわけですね」
「!?」
そういわれてみればそうだ。
尚吾がドアを開け、沙耶が出てきてから、まだそれほど時間はたっていないはずだが、それでも水はたまっているだろう。
「俺が家についたのが11時45分で今が12時ちょうどだから、30分ぐらいか」
とりあえず、どうやっては入るかが問題だ。
「沙耶、お前の力ならドアを開けても俺みたいにならないか?」
さっきの、沙耶の説明を思い出した尚吾は、沙耶に聞いてみる。
「おそらく、可能でしょう。しかし、それではマスターが水に流されてしまいます」
「そうか、じゃあ、俺は沙耶にしがみついていおくってことで、どうかな」
沙耶は、少し恥ずかしそうにしていたが、やがて小さくうなずいた。
かくして、尚吾は沙耶の後ろにたって、沙耶の首に手をまわし、ちょうど沙耶を後ろから抱きしめるような格好になる。
正直、沙耶から微かに香るいい匂いに、どぎまぎしっぱなしだったが今はそれどころではない。
「それでは、開けますよマスター」
「ああやってくれ」
「いきます」
そう言って、沙耶は一気に扉を開ける。
ちなみに、ロックはあらかじめ尚吾が解除してある。
ドバッっという大きな音とともに、一気に水が流れてくる。
俺は、沙耶に必死にしがみついてなんとか水の奔流が収まるまで耐え抜いた。
急いで沙耶の前に出て家に入り、洗面所にある洗濯機へと急ぐ。
尚吾が元栓を探して閉め終えたころ、沙耶がどこか申し訳なさそうに洗面所に入ってくる。
「すみませんでした、マスター」
そう言って沙耶は深く頭を下げる。
「もういいよ、気にすなんって」
尚吾は沙耶の頭優しく撫でる。
「マスター…………」
それでもなお申し訳なさそうにしながらも、沙耶は少しだけ笑顔になってくれた。
それだけで、尚吾は嬉しい気持ちになる。
「とりあえず、昼飯にしようぜ。コマンド:セキュリティ解除」
『コマンド受領、音声コードをどうぞ』
「村上尚吾」
『声音、コード内容、認識。この部屋の現使用者の一人であることを確認しました。ロックを解除しまし、非常用シャッターと開きます』
リビングと廊下を閉じていた非常用シャッターをコマンドで開け、リビングに入る。
幸い、リビングは床が少し濡れているだけだった。
尚吾は冷蔵庫を開けつつ、沙耶になにかリクエストがないか聞いてみる。
「沙耶は何が食べたい」
「マスターが作ってくれるなら何でもいいです」
そういわれてしまうと尚吾も困るのだが、まあ、簡単に野菜炒めでも作ろうかと思い、材料を取りだし、調理を開始する。
しかし、調理器具を用意している時に重大ことに気がついた。
「ま、ま、ま」
「ま、ま、ま?まがどうしたのですか?」
沙耶が、まったく気づいていない様子で、不思議そうに聞いてくる。
「まな板が無い」
絶望的な表情で、尚吾は叫んだのだった。