『琉さん事件です』 破
衝撃的なニュース。それは、メンシェ教徒による刑務所襲撃であった……。
「ん……。あ、琉に起こされる前に目が覚めた……」
アンニュイな声と共に、布団からのっそりと這い出す赤い影。布団を畳み、手櫛で乱れた髪を直す仕草は何処はかとない色気を醸し出していた。洗面台の鏡を見る赤い瞳。ロッサは身なりを軽く整えると、扉を開けて部屋を出た。
「あれ、琉は何処~? ……ん?」
操舵室に来たロッサ。しかしそこに琉の姿はない。キョロキョロと周りを見渡すと、舵の上に上着とサッシュがかけてあった。そして半開きになった甲板への扉から、何やら声が聞こえて来る。
「はぁぁぁぁぁ……。ふんッ! はぁッ! でやぁッ!!」
甲板に出たロッサ。そこには上半身に何も着ず、筋肉質な肉体を外に晒して拳を振るう男の姿があった。腰だめに構えた拳が真っ直ぐに風を切り、時折繰り出す蹴りが宙を切る。何を見据えているのか、大きなその目はメンシェ教徒やハルムと出くわしたときのように鋭くなっていた。
「琉、何と戦ってるの?」
ロッサの声に気付き、琉は構えを解いた。近くに置いてあったシャツとベスト、パルトネールを手に取ると琉はロッサに近づいた。
「おはようロッサ、今日は早いね。今のはちょっとした運動だ、汗かいたしシャワー浴びてくるぜ」
琉はそういうと、舵にかけてあった上着とサッシュをも腋に抱えて自室に入って行った。ちょっとした後、琉は上着を含めた服一式を着こんで現れた。
「……そうそう、大事なお知らせが一つ。ハイドロには帰れなくなった」
「帰れない!? 一体、どういうことなの?」
琉は上着の内ポケットから携帯電話を取り出し、ロッサに見せた。画面を見たロッサの顔には徐々に怯えの色が浮かび、仕舞いには携帯電話を持ったまま硬直した。琉はヒョイと携帯電話を取り上げるとロッサにいった。
「要するに、アイツらが今まで以上に好き放題やり始めたってことだ。こんな調子じゃあ、しばらく帰れないだろうね」
「それじゃ、一体いつになったら帰れるの!?」
「それは……どうも言えん。ただ分かったのは、ヤツらはただのよそモノ嫌いの田舎者集団ではなく、軍事レベルの兵力と統率力を持った恐ろしいテロ集団だったということだ」
「そんな……。じゃあ、わたしの居場所は……どこにあるの?」
肩を落とす琉とロッサ。今の状況では、何処に行っても危険だろう。
「ロッサ、安心しろ。君の居場所なら俺が作ってやる。だから……とりあえず飯にしようぜ、こういう時こそ腹ごしらえが必要だ」
落ち込んでばかりはいられない。琉はロッサと一緒に食堂に向かった。こういう時こそしっかり食べねば対応出来ないというのを、琉は誰よりも知っていた。
各種野菜と砂豆で出来た豆腐、缶詰を開けて炒めて卵でとじる。いわゆるチャンプルーと呼ばれる、シンプルな炒め料理である。大体朝はこの料理が多い。しかし飽きがこないよう、琉は毎回入れる具材を少しずつ変えているのであった。
「とりあえず、今日の予定だ。まずアルとゲオ達に連絡し、帰れなくなったことを伝えよう。……しばらくはあの工房で使ってもらうかな。それから、昨日持ち帰ったモノの整理もしないとな。売れるモノがあったらすぐさま売りに行っとこうか」
朝食を取りつつ今回の予定を話す琉。ハイドロ島に帰れない上に今海に出るのは危険と、今の琉には仕事がなかった。そこで、アル達の工房でしばらく使ってもらおうという魂胆である。これは、単純に食っていくアテを探す他にメンシェ教から身を隠すという目的も含まれていた。
朝食を終え、早速アル達に電話を掛ける琉。
「……そうだ、あっちでロッサに出来ることは何かあるかな? ま、いざとなりゃ俺が教えりゃ済む話か……っておい、えらく時間かかるなぁ?」
番号を入れてはや1分。いつまで経っても出る気配がない。電話は事務所と仕事部屋の二つにある他、職人二人もそれぞれ携帯電話を持っているはずである。
「喋らない、の?」
「相手が電話に出ないと気付かないさ。仕方ない、出かけてるんだろうな。アルに直接掛けてみるか。駄目ならゲオに、だな」
番号を打ち直し、琉は再び携帯電話を耳に当てる。
「……さぁ、今度は出てくれよ……!?」
ブチッという音が鳴り、電話が途絶えた。それも電話に出ず、一言も喋らずにである。つかさず今度はゲオにも掛ける琉。だが……
「只今、電話に出ることが出来ません。改めておかけ直し下さい」
ここまでくると流石におかしい。琉は携帯電話を懐にしまうと言った。
「何かあったとしか考えられん。こうなりゃ直接工房に行こう。ロッサ、一人でいるのは危険だから一緒に来なさい、良いね?」
アードラーを呼び出し、バイク形態に変形させて街中に向かう琉とロッサ。すると二人の目には、異様としか言えぬ光景が映ったのであった。
本来なら皆仕事に取り掛かり、街には多くの通行人が出歩く時間帯である。ところが、今の街は午前中とは思えぬほどに静まり返り、外には誰も出歩いてはいない。それどころか話し声すらも聞こえてこないのだ。
「ねぇ、琉……。どうして今日は皆いないの?」
「分からん。しかしこの様子じゃあ工房も心配だぜ……」
道行く者は誰もおらず、今の街はただ砂塵と蜃気楼が揺らめくだけのもぬけの殻と化していた。殺風景かつ不気味な光景に戦慄する琉。
「琉……震えてるの?」
無意識のうちに震える琉の背。しがみついていたロッサに、それは直に伝わってくる。琉は元々そこまで勇敢な性格ではなく、特にこういった予想外かつ前代未聞の事態には弱い所がある。恐怖心を押し殺し、アクセルを掛ける琉。そして裏通りの入り口に近づいた時だった。
「大人しくしろッ! 薄汚い亜人種の分際が、我々メンシェに逆らうとは何事だ!!」
「やることが汚いのはそっちの方だ! こっちこそ、オイラ達の工房を荒すのはやめてもらうよぉ!」
「生意気な……。やっちまえッ!!」
怒号。フードを被った連中。そして極めつけは……
「今の声は……アル!? よし、掴まってろよロッサァ!!」
ハンドルを握り直し、アードラーのエンジンがうなり声を上げる。一気に加速するアードラー。琉は懐からトリガーパーツを取り出し、ダイレクトにパルトネールに取り付けると、
「パルトネール・シューター、パラライザー! ……ロッサ、飛び降りるぞ!」
赤い閃光がフードの男を一人捉えた。琉はアードラーのハンドルを切り、停車させると同時に飛び降りるとパルトネールを構えた。
「何だ貴様は!? ……うがッ!?」
「アル、ゲオ、大丈夫か!?」
突っかかって来たメンシェ教徒を一人気絶させると、琉は工房の中に向かって叫んだ。
「琉ちゃん!? 早く逃げないと駄目だよぉ! メンシェ教が大暴れし始めたんだよぉ!!」
「うるさい! ここも大人しく、我々に従えば良いモノを……。ん? 貴様、彩田琉之助かッ!?」
メンシェ教徒の一人が琉の顔を見るや否や声を張り上げた。
「だったらどうした!? ほれ、アンタ達の大好きな異端者と悪魔が、わざわざ表に出てきてやったぜ!?」
挑発しながらもパラライザーを放つ琉。更に残りの連中を、液化したロッサによる体当たり攻撃が吹き飛ばしてゆく。あらかた片づけた後、琉とロッサは工房の中に掛け込んで行った。
「おい、大丈夫か!?」
「オイラは大丈夫だよぉ、だけどウチの子が一人……!」
アルの指す方向にトヴェルクの少年が一人倒れており、ゲオが付きっきりで面倒を見ていた。
「琉ちゃん、この子はヤツの銃を一発食らっちまったんだ……。そのせいか、腕が全く動かねぇんだ!」
見ると少年の右肩からは大量の血が流れている。深々と突き刺さる一つの銃弾。それを見たロッサが声を上げた。
「琉、これ……聖弾!? 早く取らないと!!」
「よし、そうとなれば……」
パルトネールを腰に差し、懐からメスとピンセットを取り出す琉。ロッサとアル、ゲオの見守る中、琉の処置が行われた。
「うぐッ! ……っつぅ……」
麻酔などしている場合ではない。弾を取り除かない限り、彼の腕は動かない。
「我慢してくれ、もうすぐだ! ……よし、取れた!! アル、ゲオ、消毒液は!?」
弾を摘出した琉。アルが持ってきた救急箱から消毒液を取り出して吹き付けると、すぐさまガーゼを当てて包帯を巻き付けた。
「ありがとう……ございます……っつう!?」
それでもまだ、少年の肩には激痛が走る。ゲオは少年を抱えると、奥の部屋へと連れて行った。そこには他の職人達も待機していた。
「皆、しばらくここに身を潜めるんだ。オレはヤツらの所に殴りこみを掛けて来る!!」
ゲオのセリフに驚いた琉。思わず大きな声を出して言った。
「おいゲオ、何を考えてるんだ!? 今そんな行動を起こしたら……」
「仕方ねぇだろ! ……オレと、アルの家族が……」
「家族が? ……まさか!?」
急展開を見せる第六章! 暴走を続けるメンシェ教徒に対し、琉はどう戦い抜くのか!?