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第30話:境界に立つ者

境界というものは、線ではない。

それは、触れられるものと、触れられないものを分ける“認識”だ。

越えられる者は、それを線だと思わない。

越えられない者だけが、それを壁だと思う。

そして本当に厄介なのは――

そのどちらでもない場所に、最初から立っている存在だ。

空間が、静かに軋んでいた。

さっきまでの歪みとは違う。

重さでも、圧でもない。

もっと根本的な――

“存在の衝突”のようなもの。

アッシュはゆっくりと息を吐く。

胸の奥がざわつく。

戦いの前の緊張とは違う。

もっと本能的な、拒否反応に近い感覚だった。

「……あれ、やばいな」

目の前。

“外から触れてきている存在”。

人型に見えるが、形は安定していない。

輪郭が崩れ、内側が空白で、視線を合わせるたびに少しずつ位置がズレる。

見えているのに、確定しない。

存在しているのに、掴めない。

「近づくな」

ゼルの声は低く、静かだった。

だがその一言には、これまでにない強さがあった。

リナが一歩後ろに下がる。

「……あれ、なんなんですか……」

ゼルは答えない。

ただ、“それ”を見ている。

アッシュは横目でゼルを見る。

(やっぱ違うな)

ここに来てからずっと感じていた違和感。

それが、はっきり形になっている。

ゼルはこの空間に“合わせていない”。

最初から、“ズレていない場所”にいる。

いや――

そもそも、“同じ側にいない”。

「なあ、ゼル」

アッシュは小さく言う。

「お前さ……どっち側なんだ?」

問い。

軽い口調だが、中身は重い。

ゼルは少しだけ沈黙する。

ほんの数秒。

だがその間に、空気が変わる。

そして、答えた。

「今は、お前らと同じ側にいる」

アッシュは笑う。

「“今は”かよ」

その時だった。

“それ”が動く。

ゆっくりと腕を上げる。

空間が裂ける。

音はない。

だが、確実に“削れている”。

「来るぞ!!」

アッシュが叫ぶ。

反射的に動く。

だが――

届かない。

避けたはずなのに、距離がズレる。

「っ!!」

かすれる。

腕の一部が“薄くなる”。

痛みよりも先に、存在が削られる感覚。

「ぐっ……!」

リナが悲鳴を上げる。

「アッシュさん!!」

ゼルが一歩前に出る。

それだけだった。

だが――

空間が“止まる”。

“それ”の動きが、一瞬で鈍る。

アッシュの目が見開く。

「……は?」

ゼルは何もしていない。

武器も使っていない。

力を放った様子もない。

ただ、そこに“立った”だけ。

それだけで、“外の存在”が反応を変えている。

「……おいおい」

アッシュは笑う。

「なんだそれ」

ゼルは前を見たまま言う。

「干渉してるだけだ」

「それを“何もしてない”って言うんだよ」

アッシュは呆れたように言う。

だがその目は、興奮していた。

ゼルはさらに一歩進む。

“それ”との距離が縮まる。

普通なら、触れた瞬間に削られる。

だが――

何も起きない。

“それ”の方が、わずかに後退する。

リナが息を呑む。

「……え?」

理解が追いつかない。

あり得ない光景だった。

ゼルは静かに言う。

「これは“外”だ」

「だから内側のルールは通用しない」

アッシュが口を挟む。

「じゃあお前はどうなんだよ」

ゼルは答える。

「俺も同じだ」

その一言。

空気が変わる。

リナの顔が固まる。

「……同じ……?」

ゼルは“それ”を見たまま言う。

「内側の存在じゃない」

アッシュは笑う。

「やっぱそうかよ」

どこか納得したような声。

だがその中には、わずかな緊張もあった。

「じゃあ今まで何やってたんだよ」

「観測だ」

ゼルは即答する。

「お前らを見てた」

アッシュは肩をすくめる。

「監視かよ」

ゼルは少しだけ否定する。

「違う」

「選別だ」

その言葉に、空気がさらに重くなる。

リナが震える。

「選別って……」

ゼルは続ける。

「ここまで来れるかどうか」

「それだけだ」

アッシュは笑う。

「なるほどな」

拳を軽く鳴らす。

「じゃあ俺は合格ってわけか」

ゼルは答えない。

だが――

否定もしない。

その時、“それ”が再び動く。

今度は速い。

一瞬で距離を詰める。

だが――

ゼルが動く。

ほんのわずかに手を上げる。

それだけ。

空間が“固定”される。

“それ”が止まる。

完全に。

「……おい」

アッシュが呟く。

「それ、ズルだろ」

ゼルは静かに言う。

「ルールが違うだけだ」

そして――

軽く手を振る。

その瞬間、“それ”の存在が“薄れる”。

削れるんじゃない。

“存在できなくなる”。

『……外部干渉……遮断』

声が崩れる。

“それ”が揺れる。

そして――

消えた。

完全に。

静寂。

空間が元に戻る。

アッシュはしばらく動かない。

そして、息を吐く。

「……レベル違いすぎだろ」

ゼルは振り返る。

「ここから先は、お前の領域じゃない」

アッシュは笑う。

「だったらどうすんだよ」

ゼルは一言。

「引き返すか、進むか選べ」

リナが不安そうに見る。

「……どうするんですか……?」

アッシュは迷わない。

「進むに決まってんだろ」

ゼルは小さく頷く。

「だろうな」

そして三人は、さらに奥へ進む。

“内側”と“外側”の境界を越えて。

ここまでお読みいただきありがとうございます。

今回は“外部存在”に対するゼルの干渉を通じて、彼が通常の存在とは異なる立ち位置にいることを明確に描きました。

また、これまでの戦闘とは異なり、単純な力ではなく“存在の階層差”による優位性が強調されています。

物語はここから、完全に新たな段階へと移行します。

主人公がこの差をどう埋めるのか、あるいは別の形で超えるのかが今後の軸となります。

引き続きお楽しみいただければ幸いです。

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