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社員意識調査 (1)

 席に戻ったところで、とりあえず受信メールを確認する。


 するとその中に「社員意識調査への回答依頼」というタイトルのメールがあった。全社員を対象にした調査で、一週間後までに回答する必要があるらしい。メールの中にあるリンクを開くと、回答サイトがブラウザに表示された。


(つまんないアンケートだな。さっさと終わらせちゃおう)


 質問内容ごとにいくつかのグループに分かれていて、アンケートのトップページには回答状況がそれぞれパーセントで表示される。小分けにしたつもりなのかもしれないが、それでもげんなりするほど設問が多かった。最初は「現在の仕事にやりがいがありますか?」「現在の仕事に対して興味や関心がありますか?」のような、職場に対する満足度調査のようなものから始まる。


 その後も、職場環境、人事制度、上司などについての満足度を尋ねる設問が続いた。回答を続けるうち、遙香はあることに気づいてしまう。


(私って、びっくりするくらい職場に不満がないんだなあ)


 仕事にも上司にも、これといって不満がない。小野寺が直属上司だったときでさえ、特に不満なんてなかった。周りが心配するほど偏屈な上司とは思わなかったし、仕事がやりにくいとも感じなかった。


 小野寺は遙香の作業量に対して、神経質なほど気を配っていた。おかげで最初の一年間は、一度も残業をすることなく終わってしまったほどだ。一度くらい残業してみたいなあ、と妙な憧れを抱いてしまうくらいには、ホワイトすぎる勤務環境だった。別の部にいる同期に話すと「それ、どこのCCテックの話⁉」と爆笑されたものだ。やはり普通は、部署にもよるが、新人といえども状況次第では残業三昧らしい。


 今にして思うと、あれも小野寺の細かさがよいほうに作用した結果だったのかもしれない。


 そしてもちろん、現在の上司である篠崎に不満などあろうはずもない。


 職場の雰囲気について言えば、社風というよりは事業部カラーのほうが大きいと思われる。事業部の規模が小さいネット管は、事業部内全員がそれなりに顔見知りという、どこか中小企業めいた雰囲気があった。遙香は大企業に似つかわしくない、この事業部の雰囲気が好きだ。


 そんなことを思いながらも、さくさくと回答を進める。あまり深く考えずにどんどん回答をクリックして進めるうち、やがてひとつの設問で遙香の手が止まった。


『あなたは何のために働いていますか?』



 三つまで複数選択可という選択肢の中に、遙香の求めるものがないのだ。


(え、なんで?)


 選択肢に挙げられているのは「能力を高めるため」「人間性を高めるため」「自分の才能を発揮するため」「夢をかなえるため」「理想のライフスタイルを実現するため」「社会的地位を得るため」「人生経験を豊かにするため」「やりたいことを見つけるため」「生きがいを得るため」「国民としての義務を果たすため」「人間関係を豊かにするため」「社会に貢献するため」。


 何度か繰り返し選択肢を読んでから、遙香は嘆息した。


(どうしてこんなに、意識高い系の選択肢しかないんだろう)


 やたら選択肢が多い割には、遙香の求めているものがない。


(なんでないの? 収入のためっていう、一番大事なものが!)


 しかも、「その他」という選択肢がない。普通ならこんな設問には、「その他」として自由記入欄を用意するものじゃないのか。選択したいものがひとつもないので、何も選択せずに回答を確定させようとすると、エラーが表示される。必ずどれかしら選ばなくてはいけないらしい。


 適当に選べばよいのかもしれないが、それも何だか釈然としない。


 しばらく悩んだ末、いったん回答を途中保存して中断した。


 * * *


 翌日の昼休み、いつものようにトンボヤにて。


 まだ社員意識調査の件が引っかかっていた遙香は、先輩二人に聞いてみることにした。


「千絵さんと篠崎さんは、もう意識調査の回答終わりました?」


 二人は口々に「うん」と答え、篠崎が「調査がどうかしたの?」と尋ねた。


「『何のために働くのか』って質問があったじゃないですか」

「あったね」

「何かそんなのもあったわねえ」

「あれ、何て回答しました?」


 遙香の質問に、千絵と篠崎は顔を見合わせる。


「人間関係とか、国民の義務とか、適当につけたわよ」

「おお、さすが千絵さん。あたしは自己中だからね、社会的地位! 偉くなりたい!」


 篠崎の赤裸々な魂の叫びに、千絵と遙香は笑ってしまった。


「で、それがどうかしたの?」

「いえ、何て答えようか悩んでしまって」

「ハルちゃん、真面目だねえ。あんなもの、何だっていいのよ。どうせ集計値が公表されるだけなんだし。あたしと一緒に、欲望だだ漏れで行こうよ。ほら、社会的地位!」


 篠崎に押されてたじろぐ遙香に、千絵が笑いながら助け船を出す。


「こらこら、シノちゃん。ハルちゃんが引いてるでしょ。でも、ほんと、何でもいいのよ。適当で」

「はい」


 遙香は素直にうなずいた。さすがに「『収入のため』以外に何もない」などという俗物的すぎる本音は、恥ずかしくて口に出せない。そのまま静かに食事を続けていると、篠崎が話題を変えた。


「そう言えば回答してるときに、妙に表示が重かったんだよねえ。最近、社内のネットワーク重くない?」

「特に重くはありませんでしたけど」

「そうねえ。私も重いと思ったことはないかな」


 遙香と知恵は顔を見合わせ、それぞれ答える。


「そっかあ。あたしのPCが何か調子悪いのかな」


 同意が得られず、篠崎はしゅんとして眉尻を下げた。その様子を見やりながら、「PCの調子が悪い」という言葉に、遙香はつい前日の出来事を思い出す。同期に相談されて、対処方法を教えるメールを出した、あのことだ。


「篠崎さんもですか……」

「え、ハルちゃんもPCの調子悪いの?」

「いえ、私じゃなくて。昨日、同期から相談されたとこだったんです」

「そっかあ」


 せっかくなので何か助言できることがないかと、遙香は少し質問をしてみた。


「ウェブページを開くのに、どれくらい時間がかかります? 重いのはネットだけですか?」

「重いときは、三十秒くらいかかるかなあ。言われてみれば、ネットだけじゃないかもしれない。ドキュメントの編集してても、ときどき急に反応悪くなることあるわ」


 三十秒と聞いて、遙香は「えっ」と目をむいた。そんなに遅かったら、仕事にも支障が出そうだ。


「それは異常です。ちゃんと調べたほうがいいですよ」

「んー。やっぱそう思う?」

「はい。マルウェアに感染すると、そんなふうに重くなることあるので、スキャンしてみるといいかもしれません」

「セキュリティスキャンは、かけた。でも何も出なかったんだよね」


 遙香がぱっと思いつくことは、すでに試した後らしい。「そうなんですか」とうなずいてから、少し考えて別の案を伝える。


「ディスクに異常があっても、重くなることがあります。ハード的に問題ないか、まずチェックするといいかも。ハードディスクやSSDのハードエラーをチェックできるツールがあるので、使ってみてください。セクター不良が見つかっても、軽いものならOSの機能を使って修復できます。あとでツールのダウンロード先と、修復方法をメールしますね」

「うん、ありがとう」

「それでも改善しないようなら、OSのクリーンインストールが一番確実です」

「わかった、やってみるよ。ありがとう」


 昼休みが終わって席に戻ると、遙香はまず、篠崎に約束したメールを送信する。次に、意識調査の回答サイトを開いた。そして「あなたは何のために働いていますか?」の設問に、何も考えずに最初の選択肢にチェックして、先に進めたのだった。


 すべての設問に回答し終えてから、受信メールを確認する。


 するとメールの中に、タイトルが英語のものがあった。差出人の名前は、ジェシー・ハミルトン。タイトルには「ITCFに寄稿する文書の草案」と書かれている。昨日知らされた、新しい仕事に関するメールらしい。


 メール本文を開くと、簡単な自己紹介から始まっていた。


 ジェシーはCCテックのアメリカ支社の社員で、ブルックリンのオフィスに勤めていると言う。CCテックのアメリカ支社は、オフィスが二つある。ひとつはサンノゼ、いわゆるシリコンバレーで、もうひとつがブルックリンだ。


 サンノゼには、開発部隊がいる。海外システム部がサンノゼのオフィスと付き合いがあるらしく、サンノゼの名は遙香もたびたび耳にしたことがあった。だが、ブルックリンはあまり聞き覚えがない。


 ブルックリンはマンハッタンと同じく、ニューヨーク州の行政区のひとつだ。マンハッタンからは、イースト川をはさんだ対岸にある。そう離れた場所ではないのに、地価は段違いらしい。それが理由で、マンハッタンではなくブルックリンにオフィスを構えたのだと遙香は聞いた。おそらくマンハッタンとブルックリンの関係は、日本だと都心部とその周辺のようなものなのだろう。


 メールには、ドキュメントファイルが添付されていた。前日、宮園から紙で渡されたのと同じ内容だ。このファイルの内容を精査し、必要があれば編集した上で、送り返してほしい、というのがメールに記載されている依頼内容だった。


 こうして遙香の、日本にいながらにして英語漬けの日々が始まったのだった。


 * * *


 ジェシー・ハミルトンからメールがあった翌日、遙香はまた別の人物から英語のメールを受け取った。サラ・ラティフィというイギリス支社の社員からだ。


 サラはロンドンの研究所に所属している。ネット管からの委託業務として、遙香たちのサポートをすることになったのだと言う。ただし委託内容は、あくまでもサポートでしかない。会合に出席するのは宮園担当部長やジェシーだし、そこへ持って行くための草案を作成するのは遙香だ。


 ならば、何をサポートしてもらえるのか。それは、草案の体裁を整える手伝いだった。スペルや文法のチェックはもちろん、国際標準の文書としてふさわしい言い回しかどうかの校正もしてくれる。ITCF向けの文書はイギリス英語で作成する必要があるため、アメリカ式のつづりや慣用句を使ってしまったときには、それも校正の対象となる。


 英語力にそこまで自信のない遙香には、この上なく頼もしいバックアップ体制だった。


 しかもまた、素晴らしく仕事が早い。うまい具合に時差が分散しているお陰ではあるのだが、寝ている間に仕事が進むのだ。出来上がった文書を、まず遙香が一日の終わりにイギリスのサラ宛てに送る。それをサラが編集し、アメリカのジェシー宛てに送る。ジェシーは必要に応じてさらに編集を加えたり、コメントしたりしてから遙香に送り返す。


 こうして遙香が翌朝出社したときには、ジェシーとサラ、二人の手を経た文書が送り返されているというわけだ。


 一週間もすると、これがすっかり遙香のルーチンとなってきた。

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