48 働く目的
翌日の昼休み、いつものように篠崎と千絵の二人と一緒にトンボヤで食事をしていると、篠崎がふと思い出したように口を開いた。
「今年のエース社員は、ハルちゃんが選ばれそうじゃない?」
「何ですか、そのエース社員って」
「若手社員の表彰制度があるのよ。うちの事業部だと何年か前、小野寺君が表彰されてた」
全社員の中から毎年、優れた業績を残した若手社員を表彰しているのだと言う。若手の定義は曖昧だが、おおよそ二十代なら若手に数えられるらしい。表彰される人数は、たいていは二、三人、多くても五人程度。
そんな少数枠なので、ネット管のような弱小事業部から選出されることはほとんどない。数年前に小野寺が選出されたのが、事業部初の快挙だったそうだ。
それを聞いて、遙香は苦笑して首を横に振る。
「そんなものに、私が選ばれるわけありませんよ」
「あるある。ハルちゃんのおかげで、セキュリティ監視システムの引き合いがすごいらしいもん」
「はい?」
遙香はぽかんとした。ちょっと意味がわからない。
事業部と何の関わりもないシステムの引き合いが増えたことと、遙香の業績と、いったいどのような関係があると言うのか。
「ほら、日本の会合でカイルがシステム持ち込んだじゃない? あのときの話を、うちの広報がいい感じにマスコミにリークしたらしいんだよね。その結果、あのシステムの問い合わせが殺到したんだって」
「それでいくと、功労者はカイルじゃないですか」
「いやいや。そもそも、あの流れを作ったのがハルちゃんってことだからさ」
横で静かに話を聞いていた千絵が、にこにこと前後の脈絡もなく「そう言えば、今年は創立百周年なのよねえ」と口を挟んだ。「そうなんですか」と遙香が相づちを打てば、千絵はおっとりと「そうなのよ」と言って、なぜか楽しそうにうなずく。
「本社で記念誌を作ってるんですって。今年エース社員に選ばれたら、きっと記念誌に載るわねえ。楽しみだわあ」
遙香は閉口した。すっかり彼女が選ばれる前提ではないか。気の利いた言葉を返せずにいると、篠崎が「ああ、だからかあ」と何やらひとりで納得している。何のことだか見当がつかず、遙香が問いかけるように視線を向けると、篠崎は肩をすくめながら説明した。
「また意識調査のメールが来たのよ。去年やったばっかなのに、なんでって不思議に思ってたんだけど。記念誌作るためにわざわざ調査し直してたんだね、きっと」
「なるほど」
篠崎は「張り切ってよけいな仕事増やすの、やめてほしいわー」と文句たらたらだ。去年調査したばかりなのだから、そのデータを流用すればよいではないか、とは遙香も思う。
昼食後、席にもどってメールを開いてみれば、確かに社員意識調査の回答依頼を受信していた。回答サイトを開いてみたところ、何だか妙に設問が多い。感覚的には去年の三割増しくらいだ。
昼休みに聞いた篠崎の「よけいな仕事増やすの、やめてほしいわー」のぼやきに、心のうちで同意しながら、ポチポチと回答をクリックしていく。やがて、見覚えのある設問にたどりついた。
『あなたは何のために働いていますか?』
相変わらず、「収入を得るため」という選択肢はない。
しかしこの一年の間に、遙香の意識は少しずつ変わってきていた。
遙香の意識が変わるきっかけになったのは、おそらく会合での事件だ。あれは愉快犯ではない。明らかに情報を盗み出して、金にするための犯行だった。あのとき、遙香は思ったのだ。働く目的の最上位に置かれているものが収入であり、それ以外に何もないと、もしかすると金のためなら手段を選ばなくなっていってしまうのかもしれない、と。きっとジェリー・テイラーはそうだった。
今の遙香には、回答として提示されている選択肢がそれほど「意識高い系」には見えない。ひとつひとつの選択肢を切り取ってそれだけ見れば、気取った言葉のようにも感じてしまう。でもそんな言葉でひと括りにされているのは、もっと素朴な感情だとわかるようになってきていた。たとえば父の言うところのボケ予防みたいな。そういう気持ちもいくらかずつはあるよなあ、と今の遙香は感じる。
そんなふうに意識が変わってきたとはっきりと気づいたのは、ほんのひと晩前のことだ。智基と話している間に、やっとわかった。それまでも、おそらく漠然とは感じていた。が、きちんと言葉にできるほどには、自分の気持ちが理解できていなかった。
でも昨晩、どうして父の会社を選ばなかったのか考えてみたら、自分が働く目的の一番が収入ではないことに気づいてしまったのだ。本当に収入を最優先で考えるなら、智基の言うとおり、父の会社に就職すべきだった。そうしなかったということは、遙香にはそれよりも大事にしたいものがあった、ということだ。
遙香は軽く頭を振って、今考える必要のないことを頭の中から追い出し、三つの選択肢をクリックした。「人間性を高めるため」「人生経験を豊かにするため」「やりたいことを見つけるため」。
遙香は、客観的に評価される場所で、自分の力を試したい。甘やかされずに、いろいろなことを学んでいきたい。もっと自分に自信を持てるようになりたい。そしていつか、どんな場所でも自分を甘やかすことなくやっていけると、胸を張って言えるようになったら──。
いつかそんな日が来るだろうか。まあ、来るとしても、少なくともまだ当分は先の話だ。それまでは自分が選んだこの環境の中で、精一杯頑張っていこう。




