事件のその後 (5)
遙香がしばし考え込んでいると、智基は意味ありげに含み笑いしてから、話を戻した。
「それにしても、ほんと、なりすましWi-Fiなんて、よく見つけたよなあ」
「運がよかっただけだってば」
たまたま同じSSIDが二つ並んでいるところを目撃したおかげで、異常に気づけただけだ。そしてたまたまカイルが会合に参加していたおかげで、アクセスポイントの電源が落とされていることまで突き止められた。遙香ひとりなら、手も足も出なかっただろう。
日本の会合で容疑者を絞り込めたのだって、宮園のお膳立てと、カイルの活躍あってのことである。
そう遙香が説明すると、智基はわざとらしく閉口したような顔を作ってみせた。
「そう言うけどさ、その人たちを動かしたのは、遙香の警告だろ? 何か変だなと思って、その後も遙香が根気よく調べ続けたから、サイバー攻撃に気づけたわけだし。もし遙香が調べたり報告書に書いたりしなかったら、今もずっと見つからずにスパイウェアを仕込み放題だったんじゃない? 遙香じゃなきゃ、きっと何もしなかった。だからこの事件が解決したのは、遙香のおかげなんだよ」
そんなこと、と遙香は思った。が、同時に既視感に襲われる。そうだ、会社でも同じやり取りがあった。評価面談のときに、佐野から智基と似たようなことを言われ、そのときも「そんなこと」と思ったのだった。
「遙香さんは、ちょっと自己評価が低すぎるんだよなあ。ま、原因があの人だろうってのは予想がつくけど」
またしても既視感のあるやり取りに、「智基が佐野さんと同じこと言ってる」と笑ってしまう。
「佐野さんって、上司だっけ?」
「うん。課長」
「よくわかってる人だな」
「もっと自信を持って仕事をしてほしいって言われたよ」
「そうだね。そんで、自信を持って仕事ができるようになったら、うちへ来なよ」
「そんな予定はありませんが……」
さらっと転職を勧める弟に、遙香はうろんげな眼差しを向けた。だが智基は少しも悪びれない。どこまで本気なのか、したり顔で自社アピールを続ける。
「CCテックに務め続けるより、給料も上がるよ」
「初任給は同じはずですけど」
「初任給は、だろ。でも、うちに来れば昇格が早いからね。給与にも差がつくよ」
遙香は内心そっとため息をついた。
(それが嫌だから、CCテックを選んだんだけどな)
父の会社で働けば、智基の言うとおり昇格が早いだろうことは疑っていない。でもそれは、「社長のお嬢さん」に対して様々な「配慮」が裏でなされた結果だろう。それを自分の実力と勘違いして、思い上がってしまいそうで怖かった。だから、きちんと客観的に評価される場所で働きたかったのだ。そこで評価されるなら、本当に実力が評価されていると安心できるから。
それに、ずっと実家にいたら、父と弟に甘やかされ続けてダメな人間になってしまいそうで不安だった。初出張の朝、寝過ごしそうになったように。あのときだって、自分ひとりで朝を迎えたなら、きっとちゃんと起きられたはずなのだ。なのに智基がいることで気が抜けて、無意識に甘えてしまっていたように思う。大変よろしくない。
けれどもそんな胸の内は、まさか恭一郎や智基の前で口に出すわけにはいかない。だから彼女は、からかうような声で逆に智基に水を向けた。
「そう言う智基さんは『偉くなりたーい!』って言ってた割に、どうして花形の人事部じゃなくて裏方の総務を志望したんですか?」
「んー。俺にとっては、別に人事部は花形じゃないから、かなあ」
「そうなの?」
意外に思う遙香に、智基は「うん」とうなずく。
「そもそも人事部がキャリアパスとして人気あるのって、経営者と連絡取り合う機会が多いからなんだよね。顔と名前を覚えてもらいやすいから、昇進の機会も増えるだろうって下心から人気なんだよ。でも俺の場合、どの部署にいようが、社長と連絡なんて取り放題だからさ」
「そりゃそうだわね」
思いもよらない理由に、遙香は吹き出した。何しろ、父にメッセージを入れて五分以内に智基から電話がかかってくるほどである。日頃から密に連絡を取り合っている様子がうかがえる。
「だったら、会社全体のことが見られる部署で働きたいと思ったわけ。裏方って、つまり何でも屋だからさ。会社のいろいろなところ全部が見渡せるんだ。秘書課も総務なんだよ」
彼女が思っていた以上に、彼はいろいろ考えているようだ。いつの間にか自分より先に、しっかり地に足を付けた大人になっている。「へえ」と相づちを打ちながら、ほんの少しだけ感傷的な気持ちになった。デザートに出された、スポンジケーキの代わりにメレンゲを使った繊細な食感のケーキにフォークを入れて、遙香はつかの間、物思いにふける。なお、甘い物が苦手な智基のために、彼の前にはデザートの代わりにチーズの盛り合わせが置かれていた。
遙香自身は、智基と違って経営に携わりたいなどという野心はない。そもそも適性がないと思っている。
「俺は遙香みたいに頭よくないから、技術のことなんてよくわかんないし、裏方から始めるしかないんだよ」
「文系なんだから、当たり前でしょ。頭がいいか悪いかの問題じゃないよ」
理工学部で情報工学を専攻した遙香に対し、智基の専攻は父と同じ経営学。技術系の知識がないのは、当然だ。そもそも専攻が違うだけで、高校も大学も同じ学校を卒業している。得意科目の違いは当然あるだろうが、あくまでそれは個性の問題だ。頭の良し悪しとは関係ない。
だが、どうやら智基は理系にコンプレックスがあるらしい。
「でも技術の会社で経営者を目指すなら、本当は技術を知ってるべきなんだよね」
「そうかなあ。お父さんだって文系じゃない」
「え? 違うよ。お父さんは理系だよ」
「文系だよ。智基と同じで、経営学」
「院で経営学修士をとったってだけだろ。大学は理系だよ。物理学科だって聞いた」
初耳である。遙香は驚きのあまり、「うそ」と目を見開いて固まってしまった。大学院で経営学を修めたと聞いたら、当然、大学の専攻も経営学だったと思うではないか。
「親の具合が悪くなって、いつ会社を継がされるかわからなくなったから、あわてて経営学をとったらしいよ」
確かに父方の祖父は、遙香が幼い頃に亡くなっている。幼い娘を残して妻を亡くし、次いで大黒柱の父も亡くし、若き日の恭一郎は受難続きだ。
「だからさ、うちの会社の経営者層にも技術がわかる人は必須なんだ。そういうわけで、遙香さんも早くうちに来てください」
不意をつかれ、遙香は口に含んだばかりの食後の紅茶にむせそうになった。
(移籍の話に戻ってる……!)
父から何か言われているのだろうか。それとも、新手の冗談だろうか。遙香は苦笑しながら、前と同じ答えを繰り返した。
「そんな予定はありませんってば」
「ちぇっ。給与面で訴えれば食いつくと思ったのに。働く理由は収入しかないって、前に言ってなかった?」
チーズをつまみながら、智基はふてくされた顔で文句を言う。
確かに言った。遙香の記憶にもしっかり残っている。けれども彼女は澄ました顔で「人は変わるものなのよ」と白々しくうなずいてみせたのだった。
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