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事件のその後 (4)

「それにしても、あんなに簡単な手口でやりたい放題してたなんて、すごいよなあ。しかも、一年以上も見つからず放置されてたんだろ?」

「うん。そういう仕様だからね。見分けようがないもん」

「だから大企業が軒並み被害を受けちゃったわけか。でもそんな中でCCテックが無傷ってのも、すごくない?」

「え? ああ、うん……」


 ここで遙香は急に歯切れが悪くなる。


 報道によれば、会合の参加企業のほぼすべてが、なにがしかの被害を受けていた。ところがCCテックだけは、被害が何もなかったとされているのだ。実際、ウィルスもスパイウェアも見つかっていない。データ流出も確認されていない。


 その上、事件解明の鍵となる情報を提出したという、世間に誇れる功績まである。


 CCテックの広報にしてみたら、これは自社のセキュリティを世間にアピールできる、またとない機会だ。ここぞとばかりに、自社のセキュリティ意識の高さを誇らしげにマスコミに語り、自社製品のセキュリティ監視システムを宣伝した。


 だが遙香にしてみると、できればそこは自慢してほしくない。この事件関連のマルウェアが社内で検出されなかったからと言って、誰も感染しなかったという証明になるわけではないのだ。


 ぶっちゃけ感染はしていた、と遙香は思っている。ネット管のメンバーも、誰もが薄々それに気づいている。


 ただ単に、検出されなかっただけなのだ。マルウェアを検出するには対応するパターンファイルが必要だが、おそらくはそのパターンファイルが作成される前にあらゆるマルウェアが根絶やしにされただけだろうと遥香は推測している。


 根絶やしにされた原因はきっと、事業部内で大流行したクリーンインストールに違いない。あれが流行ったのは日本で会合が開かれる前のことだった。パターンファイルが作成されたのは会合の最中だが、それより前に根絶やしにしてしまっただけなのだ。だから検出されなかった。当時は、まさかこんな事件と関わりのある話だなんて思ってもみなかったものだが。


 今にして思えば、遙香が標準化の仕事を始めた頃には、PCの異常を訴える者がちらほらいたのだ。篠崎もそうだった。宮園も、退院後にクリーンインストールしていた記憶がある。時期や症状から考えて、この件がらみで何かに感染していた可能性が非常に高い。ただしもう証拠が何も残っていないので、推測の域を出ない話ではある。


 一応、セキュリティ意識の高さのおかげで感染を免れた者も、CCテック社内にいると言えばいる。ジェシーだ。聞けば納得のセキュリティ対策だった。彼は基本的に、フリーWi-Fiを使わない。


 ホテルでは、可能な限り有線LAN使用する。有線LANが使えないときには、米国内ならスマホのテザリング、国外ならポケットWi-Fiを使用していたと言う。だから偽アクセスポイントの被害を受けようもなかったのだ。話を聞いて、遙香も見習おうと思った。


 とにかくそんなわけで結果的に、CCテック社内では目に見える被害が出ていない。しかし、それがネット管のセキュリティ意識が高かったおかげかと問われると、実際問題とても微妙なのだった。クリーンインストールが大流行するほど、異常な不調を感じていた者が多かったということだから。そこそこ蔓延していたのではないかと疑わざるを得ない。つまり、他社よりセキュリティ意識が高かったどころか、よほど劣っていた可能性が多分にあるのだ。


 しかし、もう証拠がない。


 たとえあったとしても、今さら言えやしない。だって広報が散々自社のセキュリティについて得意げなコメントを発表しまくってしまった後なのだから。かと言ってそれに乗っかって「セキュリティ意識が高かったおかげで被害がなかった」などと自ら胸を張るほど、厚顔無恥にもなれないのだった。


 外部の者には説明しづらいこうした事情をざっくり割愛し、遙香は偽りなく語れることだけを端的に答えた。


「たまたまだよ。運がよかっただけ」

「運も実力のうちって言うじゃん」


 素直に同意できず、遙香は「うーん」と苦笑した。歯切れの悪い彼女の様子に、智基は何か言いたそうな表情を見せる。だが実際に口にしたのは、素朴な疑問だった。


「どうして手を変え品を変え、仕掛けるのをやめなかったんだろうな。あれだけの数の企業がやられてたなら、もう十分じゃない?」

「うちを狙ったんだと思うよ」


 CCテックを狙っていたのは、日本の会合での攻撃を見れば明らかだ。USBメモリーなどという、ゼロデイ攻撃に比べたら比較にならないほど安っぽい攻撃手段を使ってまで、CCテックに狙いを定めていた。


「なんでだろ。CCテックからどうしても抜きたい情報があったのかな」

「うちがトクボウやってるからじゃないかって言われてる。あくまで噂だけどね」

「トクボウ?」


 智基がやや表情をこわばらせて眉をひそめるのを見て、遙香は自分の言葉が通じていないことに気づいた。


「あ、ごめん。トクボウなんて知らないよね。特定防衛を略して特防って呼ぶの。防衛省から受注したプロジェクトのことなんだ」

「そっか、びっくりした。暴力団絡みかと思った」


 遙香は「まさか。違うよ」と否定しながらも、自分も新人時代には同じような勘違いをしたことを思い出して笑ってしまった。きっと智基も、トクボウという略称から「特定指定暴力団」という単語を連想してしまったに違いない。


「防衛省向けって、どんなものを作ってるの?」

「さあ。わかんない」

「え? だって請け負ってるんだろ? 別の事業部でやってるってこと?」

「ううん、うちの事業部で開発してる。けど、謎多き人々なのよね……」


 智基は「謎多き人々って何だよ」と笑うが、実際そうとしか言いようがないのだ。


 遙香の部署にも、特防関係の開発に携わっている先輩が二名ほどいる。だが、いずれもフロアで見かけることがほとんどなかった。行き先表示板にはよく「市ヶ谷」と書かれている。これは市ヶ谷にある防衛省のことだ。防衛省に外出していないときは特防向けの専用フロアで仕事をしているので、やはり姿を見かけなかった。


 防衛省向けのプロジェクトは、情報漏洩を防止するために、あらゆるものの管理が非常に厳しい。開発者は事前に申請して登録が必要なばかりか、プロジェクトの守秘義務に関して誓約書まで書かされる。


 開発や試験用のフロアについても、細かく規定があった。まず、一般向けの開発とは別に、専用の場所を用意することが求められる。もちろん専用フロアの入退室も厳格に制限されていて、登録された者を除いて出入り厳禁だ。プロジェクト資料は専用フロアに保管し、持ち出し禁止。だからプロジェクトの関係者以外、資料を目にする機会がない。


 遙香も新人時代に、職場見学として専用フロアを案内されたことがある。特防のプロジェクト室があるのは、同じビル内の九階だ。プロジェクト部外者なので中に入ることは許されず、そっとドアの陰から室内をのぞくだけだった。


 専用フロアは、何とも言えず異質な空間だ。内部は普通の開発フロアだが、部屋の造りが違う。真っ先に目に付くのは、入り口のドア。見るからに他のオフィスのものとは違っていた。いかにも重厚で、頑丈そうだ。ドアの脇にはカードリーダーが設置されており、登録済みの社員証をかざすとドアの鍵が開く仕組みになっていた。


 他のフロアに比べ、廊下と部屋を仕切る壁にも厚みがあり、おそろしく堅牢だ。ビル内の仕切り壁にすぎないというのに、いったい何を警戒しているのか、無駄に丈夫そう。その上、入り口には監視カメラが常時稼働している。特防プロジェクト担当の先輩は「開発者の脱走監視カメラだよ」などとふざけていたが、まあ、常識的に考えて、部外者が入室していないかの監視用だろう。


 開発に使用するマシンをつなぐネットワークも、専用に用意されたものだ。社内のネットワークにはつながない。だから当然、社外とつなぐなどもってのほか。説明を受けたときには「そこまでするのか」と驚いたものだ。だが今となってみれば、まさにこのような事態を回避するために必要な用心なのだと納得できた。


 社内のネットワークとつながっていないから、仮に社内で感染したPCがあったとしても、そこから特防向けの開発マシンに感染する心配はない。万が一、たとえばUSBメモリー経由などで開発マシンが感染してしまったとしても、外部のネットワークと接続していないから、情報漏洩のしようがない。それ以前に、そもそも専用フロア内ではUSBメモリーの使用が禁止されていた。言わば電子的な無菌室である。


 そんなわけで、鉄壁の情報漏洩対策を誇る特防プロジェクトは、何をやっているのか事業部内のメンバーでさえよく知らない、謎のプロジェクトなのだった。


「なるほどなあ。でも、それならどうして特防を狙ってるってわかったのかな?」

「なんかね、犯人のPCから川浦電機のデータが見つかって、どれも特防系のものだったんだって」


 これは有坂から聞いた話だ。実はCIAが事件に関心を示したのは、このことがきっかけだったと言われている。同盟国の国防に関わるデータを狙った形跡がある、ということだから。


 ここで智基は「あれ?」と首をひねった。


「川浦はCCテックみたいに、プロジェクト専用の部屋やネットワークを用意しなかったってこと?」

「いや、絶対してる」

「でもデータが盗まれてたんだろ?」

「ああ。設計資料は流出してないよ。でもプロジェクトの経理データとかメンバー表とか、普通の社内資料もあるからね」


 遙香の説明に、智基は納得したように「そういうことか」とうなずく。


「それならもう、普通にどこかの国のスパイだった可能性が高そうじゃん」

「どうかなあ。あくまで噂だからね。でも個人的には、特防のデータを狙った可能性は低いと思ってる」

「そうなの?」

「うん。だってあの人、日本語の読み書きなんて全然できないはずだもん」


 遙香は、日本の会合で研修センターの管理人が受け取った宅配便の話をした。伝票の差出人の欄が、見るからにOCRで読み込んだテキストだった、というあの話だ。多少なりとも日本語が使える者なら、OCR頼みにせずに自分で入力するだろう。


「そんな人が、日本の会社のサーバー上で特防の資料なんて探せると思う?」

「そうか、言葉の壁か」

「うん。だから川浦電機の流出データも、特防関係だったのは偶然じゃないかなあ」

「でもさ、伝票は作ったわけじゃん? 日本の宅配業者のサイトでさ」

「確認してみたけど、英語のページもあるんだよね。集荷依頼ってリンクもあったから、そこから頼んだんだと思うよ」


 智基は「ふうん」と曖昧に相づちを打ちながらも、どこか納得していない表情だ。食事の手をとめてスマホを取り出し、何やら調べ始める。しばらくして「やっぱりそうだ」とうなずいてから、スマホを置いた。


「集荷依頼は英語のページからでもできるけど、オンラインの伝票作成は日本語ページしかないって書いてある。だから入力はOCR頼みだったかもしれないけど、日本語のページで作成してるはずだよ」

「え、そうなの?」


 あっさりと自説を覆されて、遙香は目をパチクリさせた。


「川浦から流出したのが特防関連だったのも、偶然とは限らないんじゃない?」

「そうかも……」


 何だか急に話がきな臭くなったように思われて、遙香はぶるりと身を震わせた。


「スマホのAR翻訳アプリってかなり使えるんだよ。遙香は英語ができるから、興味なかったかもしれないけど。たぶん、こういうの駆使したんじゃないかな」

「なるほど」


 AR翻訳アプリを使えば、スマホのカメラを向けるだけで、翻訳したテキストが画面上に表示される。単語や短い文章なら、十分に使えるレベルで翻訳される。特にビジネス系は定型文が多いので、翻訳精度が悪くない。


 だから入力フォーム程度なら、スマホ越しにディスプレイを見るだけで不自由なく使えたのじゃないか、と智基は言う。そして日本語の入力フォームが使えるなら、日本のサーバー上で目当てのファイルを探すことができたとしても、不思議はない。翻訳アプリなんて翻訳精度が低くてあまり使えないと思っていた遙香にとっては、驚きの事実だった。CIAが関心を示したのも、それ相応の根拠があってのことだったらしい。


 もしかしたらゼロデイ攻撃コードの入手先や、ジェリー・テイラーの出所不明な収入についても、CIAはすでに何か情報をつかんでいるのかもしれない。だがたとえつかんでいたとしても、国防に絡む問題なら秘匿するだろう。今後この件に関して、遙香が具体的な情報を耳にする機会はおそらくない。

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