評価面談
標準化の仕事が軌道に乗り、年度が明けて、さらにゴールデンウィークも明けて少しした頃、遙香は篠崎から声をかけられた。
「ハルちゃん、交代。会議室Cね」
「はい」
年に一度の評価面談である。先に終えて席に戻ってきた篠崎と交代で、指示された会議室へ向かう。一番小さな会議室では、佐野が遙香を待っていた。佐野との評価面談は初めてで、少々緊張する。遙香が向かいの席に座ると、さっそく佐野が切り出した。
「始める前に、少しこの先の話をしちゃうね」
「はい」
「標準化の仕事だけど、次の出張を最後に抜けてもらうことになってる」
割と近い将来の話であることに、遙香は内心ではいくらか驚きながらも「はい」とうなずいた。でも、もともと部長の岡田からは一年と言われていたのだ。去年の六月に始めた仕事だから、そろそろちょうど一年である。
「やっと宮園さんに飛行機に乗っていいって、ドクターから許可が出たそうなんだ」
「それはよかった」
遙香は安堵に口もとをほころばせた。退院後は以前と変わらず元気そうには見えたものの、くも膜下出血などという病名が病名なので、心配ではあったのだ。医者からも許可が出たなら、もう本当に心配いらないのだろう。
佐野によれば、できればもう少し早く遙香を抜けさせたかったらしい。会合での方針が「実装に直接関わる部分は標準化の対象にしない」と方向転換した時点で、技術者が対応する必要がなくなったから。
けれども、その時点では宮園の担当医が渋ったのだそうだ。できれば一年ほどは控えておいてほしい、と。まだ半年しか経っていなかったので、安全を見て遙香が続投することになった。そして、まだ少し早いがそろそろ一年が経過するということで、改めて尋ねてみたところ、許可が下りたのだとか。
「ハルちゃんの次の仕事は、海外のプロジェクトになると思う。まだ確定じゃないけどね」
「そうなんですか」
「うん、衛星通信のシステムを受注したんだよ」
それから佐野は「さて」と言いながら、テーブルの上に遙香の人事評価シートを広げた。これは遙香が記入したものだ。業務上の目標と、その達成度の自己評価を五段階で記入する。最高評価がS、次いでAからDまで順に下がっていく。
目標を可もなく不可もなく達成できればB。目標を上回れば、その度合いに応じてAまたはS。逆に達成できなかった場合は、その度合いに応じてCまたはDである。
遙香の自己評価では、すべての項目がBまたはAだ。達成できなかった項目はないと思っているので、C以下はない。そこそこ頑張れたと思うものには、Aをつけてみた。でもSはつけなかった。評価の手引きには「目標を大きく上回って達成」がS評価とあるが、ひいき目に見ても「大きく上回って達成」とまでは言えない気がしたからだ。
佐野は、遙香の目の前で項目をひとつずつ指さしながら、遙香の記入した評価と、佐野の評価を声に出して確認していく。すべての評価で、上司評価が自己評価を上回っていた。驚いたことに、佐野の評価にはSがいくつもある。
特に齟齬が大きかったのは、メイン業務だった標準化だ。遙香の自己評価はB。JDDから示された目標が、一応達成できたから。それ以上でもそれ以下でもないので、AやSはつけようがないと思っていた。だが佐野のつけた評価は、Sだ。
「途中から出張まで引き受けることになったのに、きっちりこなしてる。日本での会合だって、立派に成功させてるよね。対抗案が出されて三つ巴になった後も、最終的には一本化できた。それも、JDDからの提案という形をとってね。最善の形で解決できてる。もう文句のつけようがない」
評価の理由を説明した後で、佐野はため息をついた。
「ハルちゃんは、ちょっと全体的に自己評価が低すぎるねえ」
「そうですか……?」
「うん。Bは赤点すれすれでかろうじて達成、Aはまあ、それなりに達成、ばっちり達成できたならS、くらいに思ってつけていいんじゃないかな。自己評価の高い人には、こんなこと言ったらまずいんだけど。ハルちゃんはきっと、それくらいでちょうどいい」
遙香は目をパチクリさせる。それを見て佐野は笑いながら、質問をした。
「ハルちゃんは、自分の強みは何だと思う?」
いきなりの質問に、遙香は戸惑う。必死に考えて、何とか自分の長所をひねり出した。
「通信の知識と、英語力、でしょうか」
彼女の答えを聞いて、佐野は愛想よく「なるほど」とうなずく。
「確かに通信知識はあるね。でも、それは特別な強みにはならないかな。誰でもそういう仕事をすれば身につくものだから。英語力も、確かにあるね。だけど、英語がペラペラじゃなくても別に仕事に困ることはないんだよ。もちろん英語ができたら便利だけどね」
なけなしの長所を「なくてもいい」と一蹴されて、遙香は意気消沈した。いくら考えても、それくらいしか取り柄が思いつかない。なのにそれが「なくてもいい」ものと言われてしまったら、もう何も残らないではないか。だが、佐野はかまわず先を続ける。
「ハルちゃんの評価が高いのはね、もっと違うところだよ。いつでも先のことを考えて仕事をするからなんだ」
「え、そんなこと?」
思いもかけないことを言われて、遙香は目を丸くした。だって、遙香にとっては当たり前のことだったから。仕事をするなら誰だって、今やっていることが終わったら次にどうしようかと考えながら動くものじゃないのか。思わず怪訝な顔で聞き返してしまったが、佐野は笑顔で穏やかにうなずいた。
「そう、そんなことなんだ」
「でも、普通、誰でもそうしますよね?」
「誰でも? 他に、先読みして先手を打つような仕事の仕方をするのは、誰がいる?」
「篠崎さんもそうだし、小野寺さんだって」
「ああ。確かにシノちゃんも小野寺君も、先手の打てる人だね。でも、この二人はどっちも、うちの事業部でトップクラスに仕事のできる人たちだよ。他に誰がいる?」
そう問われて、遙香はひとりひとり、部内のメンバーの顔を思い浮かべてみた。そして「篠崎や小野寺のように、先まで見通して先手を打てるか」という観点で、評価してみる。そうすると、誰もが篠崎や小野寺に比べてどこかが少しずつ頼りない。
もちろん、頼んだことはきちんとこなしてくれるだろう。けれども、たとえば何か困ったことが起きる可能性があるとき、まだ可能性でしかない段階で予防策をとる人は案外いない。実際にそれが起きてしまってから、あるいは起きそうになってからあわてて動く人がほとんどだ。ましてやその「困ったことが起きる可能性」を、事前にあぶり出そうとまでする人となると、確かに篠崎や小野寺をおいて他には思い当たらなかった。
彼女が言葉を詰まらせたのを見て、佐野は「ほらね」と笑う。
「いないんだよ。つまりハルちゃんは、あの人たちと同じレベルの貴重な人材ってことなんだ。だからね、もっと自分に自信を持って仕事をしてほしいな。期待してるよ」
面談の最後にこんなふうに手放しで褒められて、遙香は頬が緩むのを抑えられなかった。
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