バード・オブ・フェザー (3)
BoFの後、遙香はさっそく宮園宛てにメールを出した。自分が提案した内容、そしてトビアスとジュリオたちの反応を記した上で、JDDの承認がほしいと書いた。
宮園からの返信は、翌朝にはもう届いていた。と言っても、まだ結論までは出ていない。電話でチラリと確認した結果だけ書かれていた。感触は悪くなかったと言う。
悪くないどころか、「目標が達成できるなら、何でもいいよ。まかせる。好きなようにやっちゃって」くらいの大変に軽いノリだったらしい。正式には遙香の帰国後に、出張報告書ができるのを待って打診することになる。
そんなわけで二日目の朝にもう、遙香はすっかり今回の出張での仕事は終えた気になっていた。室内の後方で有坂の隣に座り、のんびりする気満々である。
ところが世の中、そんなに甘くない。二日目の午前中、会合の開始早々に司会から指名を受けてしまった。
「JDDから、今後の方針について提案があると聞いています。さあ、どうぞ」
「えっ」
遙香にしてみたら、青天の霹靂だ。
狼狽のあまり室内に視線をさまよわせると、左の前方に座っているユングレーン社のトビアスが振り返り、パチリとウインクしてみせた。右の中央付近にいるニエミ社のジュリオも、遙香を振り返ってにこやかに小さく何度もうなずく。
まるで発表会の子どもを見守る親のような眼差しだ。まあ実際、父と似たような年齢の人々ではあるのだが。どうやら、この二人から司会に話が通してあったらしい。会社の方針によって案が対立していただけで、個人としては気のいいおじさんたちなのだ。
(どうせなら、内容まで話しておいてくれればよかったのに……)
内心で泣き言をこぼしてしまってから、遙香は二人の真意に気づいてハッとした。これは、彼女に花を持たせてくれているのだ。会議の場で遙香から話をすれば、JDDからの提案だったと議事録に残る。つまり、JDDが主導したという実績が残せるわけだ。そうなるよう、お膳立てしてくれたのだろう。
腹をくくって話し始めようとしたところ、隣の有坂が小声でにこにこと「頑張って」と声をかけた。「はい」と返事をしながらも、少しだけ肩から力が抜ける。そして腹に力を入れて話し始めた。
「まだ会社の承認はとってなくて、個人的な提案ですが──」
前日のBoFで提案したのと同じ内容を繰り返す。
遙香が話し終わると、すぐさまトビアスとジュリオから援護射撃が入った。
「いい案だと思います」
「理にかなっているし、反対する理由がありませんね」
そのまま前日と同じように、その方針変更を受け入れる場合の修正内容についての話し合いが始まった。ジェシーが言うところの「こういう議論が大好きな人たち」は、トビアスとジュリオに限らなかったようだ。その後、最終日まで会合は大いに盛り上がった。
JDD、ユングレーン、ニエミは、今回の提案に自社に持ち帰り、自社案を変更するかどうかを次の会合で報告することになった。
そうと決まった最終日、会合が終わった後にジェシーが遙香に「お疲れさま」と声をかけてきた。
「次回は、ロンドンだね」
「ロンドンかあ。サラのいるところですね」
「うん」
「ジェシーは、サラに会ったことある?」
「あるよ」
「へえ。彼女、どんな感じの人ですか?」
ジェシーは遙香の質問にきょとんとしてから、吹き出した。笑われる理由がわからず、遙香はムッと眉根を寄せる。その憮然とした表情をおかしそうに見やりながら、ジェシーは遙香の言葉を訂正した。
「ハル、サラは『彼女』じゃなくて『彼』だよ」
「え?」
虚をつかれ、遙香の思考が一瞬停止した。それから時間をかけてじわじわと、ジェシーの言葉が頭の中に染み渡ってくる。ジェシーはサラが女性ではなく男性だ、と言っているのだ。意味がわかると、思わず再び「ええええ!」と大きな声が出てしまう。
そのあまりの驚きようにジェシーはまた笑い出してから、説明してくれた。
「サラはエジプト系なんだよ。あっちではサラって、割と普通によくある男性名だね。英語ではサラって表記してるけど、正確にはサラーフって発音するらしい」
そう言われてみれば、名字が少し変わっていると思った記憶が、遙香にもある。エジプト系だったからか。
(でもサラって聞いたら、普通は女の人だと思うじゃない⁉)
半年以上も付き合いがあるというのに、性別を勘違いしていることについぞ気づきもしなかった。メールでのやり取りでは、お互いに名前を呼び捨てだったから。もしかして、メールで最初から宛名に名字でなく名前が書かれていたのは、敬称を使わずに済むようにするためだったのだろうか。
名前の呼び捨てなら、ミスターかミスかミセスのどれにすべきかなんてことは、考える必要がない。最近は未婚でも既婚でも使えるミズを使うことが多いと聞くが、それにしたって男女は別だ。それを考えると、男女で敬称を使い分ける必要のない日本語のなんと便利なことか。
ロンドンでの会合の初日、少しだけ顔を出したサラと遙香は初めて対面した。長身で恰幅がよく、口ひげをたくわえた、ハリウッド映画にでも出てきそう感じにダンディーな壮年の男性だった。一度実物を見てしまうと、サラが女性名だなんて先入観は粉々に砕け散ってしまう。
ジェシーだけでなく、サラまでも勘違いしていたなんて、と思うと、自分でもおかしかった。外国の名前は、難しい。
そのロンドン会合では、JDD、ユングレーン、ニエミの三社から、前回のニース会合で遙香が提案した内容に対して正式に賛意が表明された。つまり「通信方式などの実装に直接関わる部分を草案から削除する」と方針転換することで、ワーキンググループ内での合意が得られたのだ。
このときを境に、草案からは通信方式などの具体的な実装内容が削除され、寄稿する会社間で意見が対立することがなくなった。少しずつ、だが順調に草案が仕上げられていく。やることは代わり映えしないものの、遙香は胃の痛む思いをせずに済むようになった。
胃の痛む思いと言えば、日本での会合以降、会場内でのサイバー攻撃がぴたりと止んだ。もう正規なアクセスポイントの電源が切られることもないし、なりすましWi-Fiが設置されることもない。警察に通報するという脅しが効いたということだろうか。
容疑者であるメイトランド社のジェリー・テイラーは、ロンドンでの会合を最後に、会合では見かけなくなった。メイトランド社からは、彼に代わって別の者が出席している。きっと異動があったのだろうと、遙香はさして気にも留めていなかった。だが数か月後、すっかり忘れた頃になって、思いもかけない形で彼の消息を知ることになる。
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