日本会合 (4)
遙香が篠崎とおしゃべりをしている間、カイルはジェシーと相談しながらシステム監視ソフトの管理画面を操作している。しばらくしてからスマホの世界時計を開いてアメリカ時間を確認し、「うへ、まだ午前二時か」とため息をついた。
「俺、今日は徹夜かも」
「そんなに時間がかかるんですか?」
「時間がかかるっていうより、時差の問題だな」
「時差って、どこと?」
「ダラスだよ。サイバーサルースのセキュリティセンターがあるところ」
サイバーサルース社とは、CCテックが包括契約を結んでいるウィルス対策メーカーだ。サイバーサルースは多国籍企業なので、もちろん日本にも支社がある。ただし日本支社の役割は、基本的には営業とサポートのみ。
製品の開発や、マルウェアのパターンファイル作成は、すべてアメリカのダラスにあるセキュリティセンターで行われている。日本のサポート窓口は、そこへの仲介役でしかない。だから疑わしいファイルの解析を超特急で依頼したい場合、日本のサポート窓口を通すよりも、セキュリティセンターに直接依頼するほうが早いというわけだった。
そしてカイルは仕事柄、直接依頼するための伝手を持っていた。ただし、そのセキュリティセンターはダラスにあるので、アメリカ時間でしか稼働しない。しかも今の時期は冬時間だから、アメリカの始業時間は日本の深夜となってしまう。
そこからアメリカで解析を始めて結果が出るのを待ち、解析内容に合わせて日本での作業をすることになる。どう考えても夜が明けそうだ。そう説明して、カイルは肩をすくめた。
「ま、徹夜する必要あるのは、俺だけだからさ。みんなは遅くなる前に帰ってよ」
だが、深夜までただ待つだけだなんて、時間がもったいない。何か手がないだろうかと遙香が思案し始めたところへ、篠崎のスマホが着信音を鳴らした。
「はい、篠崎です。──えっ。あ、うん。ありがとう」
用件だけ伝えてすぐ切られたようだ。
「小野寺君からだった。今キドジュンに渡したところだって」
「え? まだ木戸さんが出発して三十分経ってませんよね?」
「うん。あたしより早いだろうとは思ってたけど、ちょっと人間離れしてるよね……」
結局、木戸は一時間足らずで四台のノートPCを背負って戻ってきた。用途がわからないので、小野寺が四台すべてを持たせたらしい。ノートPCといえども、ケーブル類まで含めて四台分となれば結構な重量だ。それを片手で軽々と運ぶ木戸に、カイルは子どものようにキラキラと目を輝かせて「さすがニンジャ」と尊敬の眼差しを向けた。
夕食は、出前にした。外食のために飲食店まで往復する時間が惜しかったからだ。飲食店は駅周辺に集中しているが、なにぶんその駅が遠い。
出前は釜飯を頼んだ。これはカイルのリクエストによる。アメリカでは和食と言えば寿司だから、寿司でない和食が目新しく見えたらしい。しかもひとり用の釜という、見慣れない器に興味津々だ。フードデリバリーのサイトで一覧表示した中から「これがいい!」と食いつきっぷりがすごかった。
箸を使う食事は不自由なのではないかと思いきや、意外なことに、ジェシーもカイルも慣れた様子で使いこなしている。今どきはアメリカでも、外食で中国料理や日本料理に触れる機会が多い。それで自然に箸使いを覚えるのだそうだ。
食事をしながら、カイルが犯人についての推測を口にした。
「USBメモリーで仕掛けてくるってことは、やっぱり外部の人間だったのかもね」
「しかも宅配便を使うってことは、日本人なんですかね……」
暗澹たる気分で遙香が相づちを打つと、篠崎が「それはどうかな」と言って、宅配便の話を持ち出した。
「宛名ラベルを見たんだけどさ、あれ、発送したのは日本人じゃないと思うよ」
「そんなこと、見てわかるんですか?」
篠崎の言葉に驚き、遙香は宅配便のパッケージを手に取って、宛名ラベルをしげしげと眺めた。だが篠崎がどうして差出人が日本人ではないと判断したのか、遙香にはわからなかった。筆跡から何かを判断しようにも、宛名は印字されている。
首をひねる彼女に、篠崎はこともなげに「わかる」と断言した。
「だって、おかしいもん。ほら、見てよここ」
篠崎は宛名ラベルにある、差出人の欄を指さした。そこには遙香の名前と、CCテックの住所が印字されている。おかしいと言われて遙香も目をこらし、やっと違和感に気づいた。
「あれ。本当だ」
社名の「CCテクノロジー」の文字が、何とも言えず不自然なのだ。よくよく見てみれば、ロの文字が漢字の口になっているし、末尾の長音記号が漢数字の一になっている。「ネットワーク管理システム事業部」の長音記号も同様だ。フォントによっては違和感がなかったかもしれないが、明朝体なので漢字とカタカナや記号との違いは一目瞭然だった。
その上さらに、「システム」が「ツステム」になっているではないか。
「こんなふうに入力するほうが面倒くさいし、日本人だったら絶対やらない」
「確かに」
「OCRで読み込むと、こうなりやすいのよ。OCRって、カタカナ認識が苦手だからね。でも日本人なら、すぐに変だって気づいて修正するでしょ」
「そうですね」
「これさ、昨日配った名刺をスキャンしたんじゃないかなあ」
「なるほど……」
しかしその割には、宛名の部分におかしな文字がない。だから遙香は不自然さに気づけなかったのだ。「CCテクノロジー」も「研修センター」も、長音記号は普通に長音記号が使われている。それに関して遙香が首をひねっていると、篠崎が続けた。
「研修センターの住所と電話番号は、ネットから拾ってきたんだと思うよ。ここはよく社外向けセミナーに使ってるからね。探せば簡単に見つかるはず」
篠崎の指摘を聞いた後で、今度は指示書のほうを見直してみると、こちらも何だか少し変だった。そういう目で見てみれば、冒頭からしておかしい。大きな文字で「緊急!」と書かれているのだが、普通ならここは「至急」とするところだ。
そもそも、このような事務的な文書にビックリマークを使うこと自体、日本人であれば普通はしない。その後ろに続く、手順を箇条書きにした部分の日本語が特に不自然でなかったので、すっかり見落としていた。翻訳ソフトを使って作成したと言われれば、納得できる文章だ。
ついでに宅配便の問い合わせ番号で検索してみたところ、荷物を受け付けたのは新横浜の支店だということがわかった。会合の参加者はだいたい新横浜に宿泊しているから、参加者の中に犯人がいる可能性が急浮上してきた。もっとも、そう思わせるためにあえて新横浜から発送したという可能性だってあり得る。受付支店が新横浜だったというだけでは、まだ何とも言えない。
そして残念ながら、それ以上の詳細は、問い合わせ番号からは調べることができなかった。
遙香は篠崎の推測を通訳して、ジェシーとカイルに伝えた。するとジェシーは、「なるほど」とうなずいてから、軽く眉根を寄せる。
「何か気になることでもありました?」
「ああ、いや。日本人じゃないと思わせるために、わざとそう工作した可能性も捨てきれないなと思っただけなんだ」
それを聞いて、カイルも「それは俺もちょっと思った」と同調した。
「日本語の事情はよくわかんないけどさ、ちょっと誤認識が多すぎない? 苦手なものがあるにしても、最近は認識率が上がってるはずなんだけどなあ」
カイルの所感を聞くと、確かにそうかもしれないと思ってしまう。けれどもそれと同じくらい、篠崎の推測に説得力があるとも思う。だって、ひらがな、カタカナ、漢字と三種類の文字を混然と使用する日本語は、ラテン文字圏とはOCRの認識率が違って当たり前だ。
遙香は曖昧に「どうでしょうね」とだけ相づちを打って、話を変えた。
「ところでサイバーサルースの話ですけど、セキュリティセンターに直接メールで送ってみたらどうでしょう? 前に送ったとき、割と対応が早かったんですよね」
「そんなアドレスあるの?」
「あります。研究所に直接送れるアドレスがあるんです。新種かどうか自動判定した上で、新種だったら受け付けて研究員に転送するみたい」
「知らなかった。よく知ってるねえ」
「前に先輩から出張のお土産にウィルスもらったとき、調べまくって見つけました」
「ちょっと待って。ウィルスがお土産って何⁉ 意味がわかんないんだけど」
素っ頓狂な声を上げたカイルに、遙香はそのときのいきさつを説明した。
それは遙香がまだ新人だった頃のこと。南米に長期出張していた部内の先輩が、二か月ぶりに帰国した。久しぶりに顔を合わせたその先輩は、何やらテンションがおかしかった。遙香の目の前でUSBメモリーをチラつかせ、「ほうら、お土産のウィルス。わけわかんないテキストを表示する、あまり害のないウィルスなんだ。あっちのウィルスだから、表示がスペイン語だよ」と得意げに解説する。
「ちょっと感染してみない? 面白いよ」
「いやですよ」
「はい、あげる」
「え、いりません」
「まあまあ。遠慮しないでさあ。採れたてほやほやの、新種ウィルスだよ!」
遠慮しているわけではなく心の底から迷惑なのだが、無理矢理押しつけられてしまった。そのまま物理的なごみ箱に直行させようかとも思ったが、USBメモリー自体には罪がない。それに大変不本意ながら、ついつい好奇心がうずいた。本当に新種なのだろうか。
そこで試しに、自分のPCにつないでセキュリティソフトにスキャンさせてみた。結果は、反応なし。ウィルスというのが嘘でないなら、彼の言うとおり新種のようだ。せっかくだからサンプルとしてサイバーサルースに提供しようと、提出先を調べた。
ところが、どうしたことか窓口がなかなか見つからない。探しに探して、英語のキーワードまで駆使して検索した結果、やっと英語のページにセキュリティセンターへ直接メール送信する方法が書かれているのを見つけ出したのだった。実はセキュリティソフトのメニューからもっと簡単に提出する方法があるのだが、それを知ったのはだいぶ後のことだ。
入手した経緯を簡単に説明した英文を添え、ページに書かれた指示に従ってウィルスを送付した。送付後十分ほどで、自動スキャンの結果が返ってきた。既知のウィルスではないが、ヒューリスティック検知に引っかかったため人手の確認に回すと記載されている。さらにその日の夕方までには「新種のウィルスと確認された。協力に感謝する」とのメールが届いたのだった。比較的害はないが、感染力の高いタイプのウィルスだったらしい。
そう遙香が話を締めくくると、カイルは「信じられない」とドン引きだ。
カイルに言わせれば、ウィルスとわかっている実行ファイルをそのままUSBメモリーに入れて持ち帰るなど、正気の沙汰ではない。抜き身の日本刀を手にして人通りをうろつくのに匹敵するほどの、危険で許しがたい蛮行らしい。
「野蛮すぎる。うっかり手がすべってダブルクリックしちゃったらどうするんだよ。どうしても持ち帰りたいなら、せめてZIPで固めてパスワードかけるくらいしてくれ」
カイルの剣幕に、遙香は笑ってしまった。言っている内容には全面的に同意するが、今重要なのはそこではない。
「先輩の話はとりあえず置いとくとして、明らかにアメリカの就業時間外に処理されてたんです。だから今回も、出してみる価値はあると思いますよ」
横から話を聞いていた篠崎は「なるほど」とうなずく。
「別のセキュリティメーカーの話だけど、リモートワークで時差の違う場所から作業する社員がいるって聞いたことがあるよ。サイバーサルースにもいるかもしれないね」
食事もそこそこに、カイルはサイバーサルース宛てにマルウェアを添付したメールを出した。あまり期待していなかったにもかかわらず、一時間ほどでカイルにサイバーサルース社の研究員から連絡が入る。なんとアイルランド在住のリモートワーク研究員からだった。アイルランドなら、まさにこれからが就業時間だ。
おかげで予定よりも数時間も早く、見通しが立てられるようになった。カイルはニッと悪い笑みを浮かべる。
「よーし。俺はちょっと残って仕込みするから、みんなは先に帰って。また明日ね」
いかにも合法的にやんちゃできるのがうれしいと言わんばかりの笑みだった。
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