日本会合 (1)
三つ巴の状態に変化がないまま年が明け、日本での会合の時期がやってきた。
開催地は、新横浜に決まった。横浜と聞いて、参加者たちは一様に大喜びだ。何と言っても新横浜という場所は、観光拠点としては悪くない。新横浜自体は観光地とはほど遠いビジネス街なのだが、横浜市内の観光地へのアクセスがよいのだ。その上、新横浜駅は新幹線の停車駅でもあるから、新幹線で二時間の京都なら十分に日帰り圏内である。
もっとも、開催地を新横浜にしたのは、参加者受けを狙ったからではない。CCテックの研修施設を利用するためだった。新横浜には、CCテックが所有する三階建ての研修センターがある。主に外部の者を招いてセミナーを開いたりするのに使われるため、研修センターなどという無味乾燥な名称の割に、内部は高級感の漂う空間だ。
特に一階の入り口付近は絨毯が敷き詰められていて、まるでホテルのロビーのように落ち着いた雰囲気がある。最寄り駅から少々遠いのが難点ではあるものの、ホテルで会議室を借りて開催するのと遜色ない環境なのだ。
そして何より、徹底的にセキュリティ対策を行うつもりなら、自社の施設を使うほうが、打てる手が増える。ついでに場所代も節約できる。
JDDは会合のホストを務めるにあたり、東京のホテルでの開催を想定して予算を用意していたらしい。おかげで、自社の施設を使って浮かせた費用をカイルの出張旅費に回したい、という要望はすんなり受け入れられた。
JDDにしてみたら、予算を増やすことなくセキュリティ対策のレベルを格段に向上できるわけだ。まさに願ったりかなったりだったに違いない。
CCテックの研修センターは、新横浜駅から徒歩で二十五分、バスで二十分ほどの場所にある。徒歩で二十五分なのにバスで二十分もかかるのは、バスだと遠回りをする路線しかないためだ。しかも研修センターから最寄りのバス停まで、徒歩で十分近くかかる。バスの待ち時間まで含めると歩いたほうがよほど早いこともあり、研修センターへ行くのにバスを利用する社員はまずいない。
社外の参加者には、タクシーの利用を薦めている。
ジェシーとカイルは、会合の始まる二日前に日本入りした。夕方に到着の便なので、到着した日は新横浜のホテルに直行だ。その翌日、遙香は彼らと研修センターで落ち合った。会合が始まる前日のうちにセキュリティ監視のシステムを設置しておくためである。
遙香が研修センターに到着すると、すでに二人とも現地で待っていた。ジェシーは旅慣れているので時差ボケの様子がなく、カイルは単純に元気いっぱいだ。
「ハル、おはよう!」
「おはようございます。ようこそ日本へ」
「日本に出張できる仕事を回してくれて、ありがとう! いやあ、言ってみるもんだよなあ。本当に来られるとは」
日本出張がうれしくてたまらないらしい。嫌々でなくて何よりだ。
セキュリティ監視システムの設置は、昼前には終了した。設置と言っても、実はそれほどたいした作業は必要ないのだ。監視用アプリケーションが入ったノートPCをネットワークにつなぎ、ネットワーク内につながっている設備の情報を設定すれば終わり。動作確認まで含めて、二時間ほどしかかからない。
研修センターの三階にある小会議室を占拠して、セキュリティ監視室とした。今回は一階の大広間を昼食ブッフェに使用し、会合には二階の部屋を使うことになっている。ゲストは三階への立ち入りを禁止する予定だ。自社の施設なので、こうして自分たちの都合によって入場制限するのも簡単である。
予定の作業を終えてしまったので、ジェシーとカイルはもうやることがない。ニューヨークのときとは逆の立場の遙香は、二人に提案した。
「うちのオフィスに行ってみます?」
「ここから東京なんて遠いんじゃないの?」
「それほどじゃありませんよ。新幹線なら新横浜から品川までひと駅だし、十分くらいです」
「マジか。なら行きたい」
「まあ、新横浜駅まで歩くのが一番時間かかるんですけどね……」
そんなわけで、昼前に三人で開発部のオフィスに顔を出した。
ジェシーとカイルを佐野や岡田に紹介し、篠崎と千絵と一緒にトンボヤで昼食にする。
「篠崎さん。午後、半休とってもいいですか」
「お? 東京観光でも行く?」
「はい。ニューヨークでお世話になったから、お礼に観光案内でもと思って」
「どうぞどうぞ。今日の仕事は終わったんでしょ? 行っといで」
行き先の希望を尋ねると、カイルは秋葉原、ジェシーは浅草を希望した。相談して選んだわけではなさそうだったが、秋葉原と浅草はさほど離れていないので回りやすかった。もっとも、観光の中で何よりもカイルが感銘を受けた様子なのは、途中で立ち寄ったコーヒーチェーン店での席取り風景だった。
「ねえ、ハル。荷物を席に置いてから注文に行く人がいるんだけど」
「ああ、席取りですね……」
「あんなことして、何も起きないの?」
「迷惑だと感じる人はいるでしょうけど、わざわざ本人に言う人は滅多にいないと思いますよ」
「いや、そうじゃなくてさ。あんなふうに荷物を放置したら、普通、盗まれない?」
「そういう心配はあまりしませんねえ」
「え、本当に?」
「はい」
「マジで置き引きいないのか。俺、半分ネタだと思ってたわ……。日本すげえ」
気になり出すと、とまらないらしい。日本人が手荷物から目だけでなく手まで離しがちなのを、次から次へと見とがめる。「本当に警戒心うっすいなあ」と妙なところに感心しきりなのが、遙香にはおかしかった。
なんだかんだと二人とも観光を満喫したようだ。最後は東京駅構内の居酒屋で夕食をとり、新幹線口で二人を見送って別れた。
* * *
翌日は、いよいよ会合初日。
会合が始まるのは十時だが、受付は九時半から開始する。遙香たち三人は、さらにその三十分前に集合することにした。
遙香たちは、受付などの運営業務に直接携わることはない。会合の運営は、トラベルに委託してあるからだ。したがって受付業務を担当しているのは、トラベルのイベント部門から派遣されてきた人員たちである。
トラベルは出張手配だけでなく、こうしたカンファレンスやセミナーの開催も請け負っているのだと、遙香はこの会合で初めて知った。受付業務はもちろんのこと、名札の準備から会議室の設営まで、すべておまかせだ。そしてそのトラベルへの委託は、すべて宮園が手配しているから、遙香は一切関与していなかった。
おかげで遙香たちは、運営を気にせず、セキュリティ対策に専念できる。カイルはセキュリティ監視室で待機。遙香は二階の会議室で、通路に近い位置に席をとって待機。ジェシーはロビーで時間つぶしをしながら、不自然に早く入場する者がいないか受付を観察した。
もっとも、遙香たちが一番に警戒しているのは、会合関係者ではなく、外部の人間だ。これまでの会合は、いずれもホテルの会議室を貸し切って開催されていた。つまり、誰が出入りしていても不思議のない場所で開催していた、ということだ。
しかもまた、会合の開催予定は、ITCFのサイト上に公開されている。閲覧制限も特になく、ワールドワイドな公開である。日程と会場についての情報は、誰でもたやすく入手できた。
そのような状況だから、部外者であろうと、会合の開催時間を外しさえすればフロアに出入りするのは簡単なのだ。そうしたからといって、見とがめられることはない。アクセスポイントに細工するのだって、造作もないことだろう。
研修センターが会場に選ばれた理由のひとつには、そのような部外者の侵入を防ぐため、というのがあった。
ピリピリとした空気の中、緊張感を打ち破る明るい声が響く。
「ハルちゃーん。ふっふっふ、来ちゃった」
「あれ、篠崎さん。おはようございます」
出張旅費がかからないので、せっかくの機会と、参加してみることにしたと言う。ニューヨーク会合のときのカイルと同じ理由だ。
「ハルちゃん、ずいぶん早いね。あたしもだいぶ早めに来たんだけどなあ」
「ああ、それはちょっと事情がありまして」
セキュリティ対策の説明を始めたところへ、またひとり「おはようございます」と声をかけてくる者がいた。振り向いてみれば、第一開発部の木戸だ。彼も「せっかくだから」と部長に送り込まれたのだと言う。
先に外で顔を合わせていたらしい篠崎は、「キドジュンたら、ここもチャリで来てるんだよ」と呆れ顔だ。遙香は目を丸くした。
「えええ。川崎からここまで、遠くありませんか?」
「そうでもない。距離は会社に行くのとほぼ一緒かな」
どうやら彼の家は、会社と研修センターのちょうど中間くらいにあるらしい。その木戸から「何か話の途中みたいだったけど」と水を向けられ、遙香は話を戻してセキュリティ対策の説明をした。
聞き終わった篠崎は「なるほどねえ」と嘆息する。
「報告は読んでたけど、そこまで大ごとになってるとは知らなかったわ」
「セキュリティ監視室まで作っちゃいましたからね」
「なら、あたしは始まるまで隣の会議室で様子見してくる」
「だったら俺は、もうひとつの会議室で」
事情を知った篠崎と木戸が手伝いを申し出たので、三人で手分けして様子見をすることにした。しかし結局その日は何ごとも起きることなく、無事に会合の開始時間となったのだった。




