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海外出張の日々 (3)

 ユングレーンに続いて新しい対抗案を出したのは、ニエミ。北欧フィンランドの通信機器メーカーだ。これにより、ついに三つ巴の混戦状態に突入した。


 しかも新しい案は、CMIPと呼ばれる通信方式を使ったものだった。シーミップと発音するこの通信方式は、ネットワーク管理のために開発された、国際規格で定められた標準的なものである。ユングレーンの出してきた案は独自色の強いものだったが、その点、CMIPは真逆だ。開発の世界ではCORBAのほうが普及しているとは言え、ネットワーク管理の世界に限れば、成り立ちから考えてCMIPはまさに王道と言える。


 これは、とても静観していられる状況ではなくなってきてしまった。遙香は頭を抱えた。何をどうしたらよいのか、見当もつかない。


「ジェシー、どうしよう」


 途方に暮れた彼女は、ジェシーに泣きついた。


 初めてニエミが対抗案を出してきたのは、十二月上旬のこと。その日の午前中、ジェシーはセキュリティのワーキンググループに参加していた。彼女は昼休みに彼をつかまえ、ことの次第を訴えた。


 彼は口を挟むことなく、うなずきながら話を聞く。そして聞き終わると「ちょっと情報収集してこよう」と、他社からの情報収集に出かけて行った。要するに、雑談を装って話しかけ、本音や裏事情を聞き出そうというわけだ。


 雑談を終えて遙香のところに戻って来た彼は、浮かない顔をしていた。


「まずいな」

「どうしたんですか?」

「ニエミはもう開発が終わって、STを始めたところらしい」

「えっ」


 遙香は絶句した。


 STとはシステム試験のことだ。


 こうしたシステムの試験は通常、単体試験、結合試験、システム試験と三段階に分けて行われる。業務上は、略称で呼ばれることが多い。単体試験の略称はUT、結合試験はIT、システム試験がST。いずれも英語の名称をもとにした略称なので、略称のほうは英会話の中でも普通に使われている。


 システムのアプリケーションは一般的に、機能ごとに分割して開発される。そのように分割したものをモジュールと呼ぶのだが、モジュールごとの試験を単体試験、全モジュールを組み合わせて装置全体で行う試験を結合試験と呼ぶ。


 システム試験は、さらにその先の、最終段階の試験である。実際の運用を模した環境で、他の装置と共に試験する。ニエミではこのシステム試験を開始したと言っているのだ。


 一方、CCテックでは、やっと単体試験が始まったばかりである。それもすべてのモジュールではなく、一部のみ。まだまだ先は長い。てっきり自分たちがどこよりも先駆けて開発しているとばかり思っていたのに、これでは半年近くも遅れをとっているではないか。


 焦った遙香は、すぐさま出張先からメールで中間報告を入れた。さらに帰国後は、出張報告を作成するのと併せて、宮園に口頭で状況報告をした。


 ところが宮園は、遙香の報告にもあわてた様子がない。それどころか「おかしいですね」といぶかしげに首をひねった。


「フィンランドのサービスインがそんなに早いという話は、聞いたことがないんですよ。そこまで早いのなら、もうプレスリリースが出ていないとおかしい。そもそもシステム試験をしようにも、管理対象の装置がまだ開発段階のはずなんだけどなあ」


 サービスインとは、業務上で正式に稼働を開始すること。この場合だと、フィンランドのキャリアによる次世代ネットワークのサービス提供開始を意味する。


「だからシステム試験と言ってるのも、誇張してるか、何か勘違いがあるのかもしれません」


 宮園の冷静な分析に、やっと遙香の肩から力が抜けてきた。


「ただ、それはそれとして、新しい対抗案が出てきてしまったのは、あまりよい状況ではないね。引き続き、各社の反応を確認してきてもらえますか。まあ、みんなたぬきだから、あまり本音は聞かせてもらえないかもしれないけどね。できる範囲でかまいませんから」

「わかりました」


 この頃になると、遙香もジェシーにならって、休憩時間に雑談の輪に参加するようになっていた。それも仕事のうちだと理解している。なまりのきつい相手からの聞き取りが苦手なのは相変わらずであるものの、川浦電機の有坂に寄生してしのぐことを覚えた。なり振りなど構っていられない。使える手は何でも使う。


 有坂は総合的な英語力こそ遙香に及ばないものの、会合の参加歴が長いだけのことはあり、相手がどれほどなまっていようが割としっかり聞き取れる。だからジェシーが別のワーキンググループに参加しているときには、有坂の隣に座ることにした。


「有坂さん、あれが聞き取れるんですねえ。すごい」

「慣れですよ、慣れ。しゃべるほうはさっぱりです」


 同じJDD派ということもあってか、有坂は嫌な顔を見せることなく遙香の面倒を見てくれた。情報収集をしたいと相談すれば、休み時間に知り合いに引き合わせて雑談を振るまでしてくれる。とても頼りになる味方だ。


 聞き込みの結果、ドイツの電機メーカーであるホイスラーだけはニエミの案を支持していることがわかった。どうやらホイスラーはニエミと同様に、フィンランドのキャリアと取引があるらしいのだ。川浦電機がCCテックと歩調を合わせてJDDの案を支持しているのと、まったく同じ構図だ。


 それ以外の各社は、様子見の姿勢を崩していない。「個人的にはJDDの案はよいと思う」などと言う者はいるが、あくまでも個人的な感想であり、会社の方針ではなかった。そもそも社交辞令でしかない可能性も十分にある。


 大半が中立ということは、希望がなくなったわけではない。かと言って、気を抜いてよいわけでもない。遙香にとっては、何とも言えず宙ぶらりんな状態だった。


(この先は、政治力がものを言うのかもしれない。会合の参加者に社会経験を積んだ人が多いのは、だからなのかも)


 当初は宮園が出席していた理由がわかった気がする。自分に何ができるだろうか、と遙香はため息をついた。


 * * *


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