ニューヨーク会合 (4)
会合では、コーヒーブレイク用に飲み物と菓子が供される。用意されている飲み物は、ホットコーヒーとミネラルウォーターだ。受付近くのテーブルに、コーヒーサーバーと数種類のドーナツがかごに山盛りにして置かれていた。ミネラルウォーターは、テーブル脇に段ボール入りのまま山積みにされている。
遙香はミネラルウォーターだけとったが、周りを見ているとコーヒーとドーナツに手を伸ばす人も結構いるようだ。
昼食は、朝食をとったのと同じロビーでブッフェ形式で用意されていた。会合用に、ロビー全体が貸し切りだ。ロビーの入り口でホテルのスタッフに会合の名札を見せて、中に入る。
食事の間、遙香はいろいろな人から声をかけられた。会合では毎回ほとんど顔ぶれが一緒だから、新顔が珍しいらしい。しかもまた、二十代は遙香とカイルしかいないので、非常に目立つ。遙香より十歳ほどは年上であろうジェシーさえ、周りの出席者たちに比べたら浮いて見えるほど若いのだ。
新顔の遙香と同じくらいに、人々から声をかけられている人物もいた。メイトランドの社員で、名前はブライアン・ヘイズ。ただし、遙香とは違い、新人というわけではなさそうだ。話しかける人々とは、それぞれ顔見知りのように見える。遙香の視線を追ったジェシーは「彼もメイトランドか」とつぶやいた。
メイトランドなら有坂の近くに座っている男の会社だ。「彼も」と言うなら、ジェリー・テイラーとも何か共通項があるのだろうか。彼女のいぶかしげな表情に気づき、ジェシーが解説をする。
「彼は前回の会合で、退職前の最後の参加だって挨拶してたんだよ。で、今回は転職後の最初の参加ってわけ」
会合に参加している人々は、転職しても名乗る会社が変わるだけで、相変わらず会合に参加することが多いのだと言う。ブライアン・ヘイズはトーニオからの転職。その近くにいるジェリー・テイラーは、数か月前にユングレーンから転職してメイトランドに移籍したそうだ。
「移籍はよくあることだけど、二人続けて同じ会社ってのは、ちょっと珍しいね」
どうやらここは、随分と狭い世界らしい。ずっと同じような顔ぶれだから、どれほどなまりがきつかろうが、お互い慣れてしまってコミュニケーションに困らないということなのかもしれない。
幸いなことに、雑談なら遙香にも何とか会話が聞き取れるようだった。聞き返してもなお聞き取れずにいるときは、そばに付いているジェシーが小声で繰り返してくれる。同じ言葉を繰り返しているだけなのに、ジェシーが話すと苦もなく聞き取れるから不思議だ。
雑談に交じって、何やら仕事に関わりそうな話題も出てきた。
「そろそろJDDも、ホストやっていい頃合いじゃない?」
にこやかにそう言ったのは、ユングレーン社のトビアス・イェイスト。北欧人の割には小柄で、身長は遙香とあまり変わらない。ほがらかで人懐こい、人好きのする人物ではあるのだが、なまりがきつい上に早口なのがつらい。
午前中の会合でも、彼が発言中に頻繁に使用する「スタテュス」という単語の意味がわからず、遙香は頭を抱えた。辞書を引こうにも、つづりがわからない。昼近くになってやっと気づいたが、実は「ステータス (status)」をローマ字読みしているだけだった。スウェーデン語はローマ字読みする言語なのだろうか。
一事が万事そんな調子なので、彼の英語が聞き取れないのは、遙香の英語力の問題ではないような気はする。けれども何としてでも聞き取らないことには仕事にならないのも、また事実だった。
それはそれとして、トビアスの発言の中の「ホスト」という言葉に遙香は眉根を寄せた。ホストという単語は知っている。だがこの文脈での意味がわからない。「ホスト?」と首をひねる彼女に、ジェシーが説明した。
「会合はね、参加企業が持ち回りで会場を手配するんだよ。それをホストと呼ぶ。今回のホストはトーニオだね」
トーニオは、ユナイテッドテレコム社と同様、ネットワーク製品のメーカーだ。正式名称はトーニオシステムズだが、略称のトーニオで呼ばれることが多い。このワーキンググループの常連で、アメリカの企業である。
余談だが、トーニオの本社はサン・アントニオに置かれている。社名はこの地名にちなんで付けたと言う。わかりやすいので、遙香もトーニオだけは本社がどこにあるか覚えていた。
このトーニオは、会合では基本的に発言はせず、動向確認のみ。川浦電機やメイトランドと立場が一緒だ。そんな企業でもホストを務めたのだから、中心となって標準化を進めたいJDDがホストから逃げるわけにはいくまい。そこは遙香にも容易に想像がついた。しかし、だからといって、彼女に即答できる問題でもないのだ。少なからず予算が必要となる話だから。
「ええっと、上司に相談してみます……」
「よろしく頼むよ!」
とりあえず遙香にできる返事をしたところ、周りは「ぜひ」「頼んだよ」とノリノリだ。そして気の早いことに、JDDがホストを引き受けるのが確定事項であるかのように、開催地のリクエストで盛り上がる。
「東京はもう行ったことあるから、東京以外でよろしく」
「次は京都で開こう。京都だよ、京都。覚えておいてね」
「奈良もいいって聞いたわよ」
「私は北海道がいいなあ」
挙がる地名は観光地ばかり。誰も彼も、自分の観光したい場所を挙げて、言いたい放題だ。戸惑った遙香がジェシーに視線を向けると、彼は困ったように笑って肩をすくめた。
昼食の後、彼が裏事情を教えてくれた。
「参加者はね、みんな観光を楽しみにしてるんだよ。だから暗黙の了解で、会合の日程は必ず金曜日で終わるように組まれてる。帰国前にちょっと観光できるようにね。だからといって、京都だの北海道だのって話は気にしなくていいと思うよ。どうせダメもとで言ってるだけだから」
人気の観光地で開催される場合には、家族を連れて行くことも珍しくないらしい。実際、今回も何人かは伴侶帯同のようだ。
この日の会合が終わった後、遙香は小野寺宛てにメールを出した。内容はホストの件。引き受けてよいかJDDに打診してほしい、と依頼しておいた。
小野寺からの返信は早かった。翌朝、遙香がメールを確認したときには、すでに回答が届いていた。しかも、JDDへの確認まで済ませた上での回答だ。
『JDDのマネージャーに電話で確認しました。ホストを引き受けることは、最初から織り込み済みだそうです。ホスト役も含めてうちに依頼したいとのことなので、話が出たら引き受けてください。時期が決まったところで、費用面をJDDと調整することになります』
ジェシーには、会合で顔を合わせたときにすぐ伝えた。小野寺からの回答内容は予想どおりだったようだ。「まあ、そうだろうね」とうなずいていた。引き受けてよいとわかれば、遙香も気が楽になる。
ところがせっかく確認をとったのに、JDDがホストを引き受ける件については、この会合の期間中には具体的な話が進むことはなかった。二日目以降は、実に平穏そのものだ。初日の朝こそ偽アクセスポイントが見つかるという事件があったものの、その日限りのことだった。
こうして事件は未解決に終わり、標準化もホストの件も遙香にとってはあまり大きな進展がないまま、ニューヨークの会合は終了したのだった。
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