父と娘 (3)
「お父さん、鷲尾さんを知ってるの?」
「ああ、大学の先輩だ」
やっと遙香にも、事の次第が見えてきた。
「もしかして、鷲尾さんに私の話をした?」
「した」
遙香は内心「つまり、こうなったのはお父さんのせいじゃないの!」と思ったが、口には出さなかった。娘に責められるまでもなく、父はしょげた顔をしていたからだ。
「まさか、そんなことをするとはなあ」
うなだれ気味に恭一郎が説明するには、半年ほど前に大学の同窓会があった。普段なら欠席するのだが、このときは恩師が退官すると聞いて、挨拶がてら出席することにした。そこに鷲尾も出席していたというわけだ。
鷲尾がCCテクノロジーの役員だと聞き、世間話として「自分の娘もCCテックで働いている」と話した。その際、つい「英語が得意だ」と要らぬ自慢をしてしまった記憶が確かにある。
知らないところで父が親馬鹿を発揮していたと聞き、遙香はすっかり呆れ顔だ。
「お父さん……」
「いや、悪かったよ。よけいなことを言わなきゃよかった」
きまり悪そうに謝る父に、遙香も「もういいよ。仕方なかったもの」と苦笑するしかない。これで話を終わろうと思ったのに、ここで恭一郎がとんでもないことを言い出した。
「鷲尾さんに、こんなことになってるって伝えておこうか」
「やめて!」
遙香はギョッとして、あわてて父をとめた。ただでも面倒くさいことになっているのに、これ以上、ややこしくしないでほしい。第一、自分の会社の中のことならまだしも、他社に勤めている娘の仕事内容にくちばしを挟む親だなんて、とんだモンスターペアレントではないか。
彼女は必死に父を説得した。
「うちの部長の岡田さんが『今回はどうしても断れなくて受けたけど、一年だけ辛抱して』って言ってたの。『一年で必ず開発の仕事に戻すから』って」
「そうなのか」
「うん。だから大丈夫。今回の仕事も経験だと思って、これはこれで頑張るから」
「そうか」
父が納得してくれた様子に、遙香はホッと安堵の息を吐いた。ついでに安全のため、強引に話題を変えておく。
「ところで、お父さんは何のために働いてる?」
「どうした、やぶから棒に」
「この間、会社で意識調査っていうのがあってね」
遙香は意識調査にあった設問を、ざっと説明した。そして、その中に「何のために働いているのか」という設問があったのだ、と話す。すると父は、自分が答える前に聞き返してきた。
「遙香は何て答えたんだ?」
「適当に選んだ」
都合の悪いこの質問に、遙香は視線を泳がせながら、はぐらかす。「収入のため」という選択肢がなくて選べなかった、なんて恥ずかしいことは、ちょっと言いたくなかった。実際、嘘でなく適当に、最初の選択肢にチェックして回答したわけだし。
娘の挙動不審な様子に、恭一郎は「適当って何だよ」と笑う。仕方なく頭の中で、必死に選択肢を思い出して答えた。
「ええっと、『能力を高めるため』だったかな」
「ふむ」
それ以上の追求を避けようと、遙香は急いで父への質問に話題を戻す。
「で、お父さんは何のために働いてる? やっぱり、お金のため?」
「そりゃ、ボランティアじゃないからね。当然、収入はほしいよ。でも、それが一番というわけではないな」
「そうなの?」
きっと同意が得られると思って「お金のためか」と聞いてみたのに、あっさり否定されてしまった。「収入のため」以外に選べるものがなかった、なんて話は、やっぱりしなくてよかった。
「働かなくても生活していけるだけの蓄えは、あるからね」
恭一郎のこの言葉には、資産と社会的地位に裏打ちされた説得力がある。実を言えば、父の資産がどれほどあるのか、遙香は具体的なことを何も知らない。でも、つつましく暮らしていくだけなら、働かなくても少しも困らない程度にありそうなことは、容易に想像できた。何しろ、娘が東京の大学に進学するからと言って、高輪に3LDKのマンションをポンと買ってしまうくらいなのだ。
遙香は就職するにあたり、せめて父に家賃くらいは払おうと思って、この付近の相場を調べてみたことがある。同じような広さで、似たような条件のマンションを検索し、賃貸価格を見て仰天した。なんと遙香の初任給を超えていたのだ。手取りどころか、額面をも軽く超えていた。これでは、どうやっても家賃など払いようがない。
それはつまり裏を返せば、この家を貸し出すだけで、それだけの収入が得られるということでもある。
結局、「自分の生活費だけ出しなさい」と言う父の言葉に甘えて、家賃は払っていない。さらに言うと、電気やガスも父が契約しているので、遙香は支払っていない。甘やかされている自覚はある。
それはさておき、父には収入よりも欲しているものがあると知り、遙香は興味を引かれた。
「じゃあ、何のため?」
娘の質問に、恭一郎はにやりと笑った。
「仕事もしないでずっと家にいたら、すぐボケそうじゃないか」
「えっ。つまり、ボケ予防のためってこと?」
父の口から出てきた思いもよらない答えに、遙香はあっけにとられる。ぽかんとした娘の顔を見て、恭一郎はおかしそうに笑った。
「その言い方は、ちょっと身も蓋もなさすぎるな」
「でも、そういうことなんでしょ?」
自分で言ったことじゃないの、と遙香は父にじっとりした視線を向けた。ボケ予防。なんとインパクトにあふれた理由だろう。あの無駄に選択肢の多い意識調査にだって、「ボケ予防」なんて項目はなかった。絶対になかった。
恭一郎は軽く首をひねりながら、言葉を探す。
「うーん。具体的に言うと、人との関わりを持つため、かな。あとは、やりがいや達成感を求めてってところかなあ」
「ふうん」
意識高い系だと思っていた選択肢も、「ボケ予防」だなんてパワーワードを聞いてしまった後では、何だか意味合いが違って聞こえるような気がする。ボケ予防の具体策なのかと思うと、意識高い系というより、何かもっと切実な響きがあるように思えてくるから不思議だ。
その後はもう、遙香にとって危険な話題に近づくことなく、無事に夕食を終えたのだった。
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