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対抗案

 智基の研修が終わるのと同時に、遙香の少しのんびりした一週間が終わった。宮園が海外出張から帰ってきたのだ。とんでもない土産とともに。


 遙香は宮園に渡された資料を手に、篠崎に泣き言をこぼした。


「篠崎さん、これどうしたらいいんですかね……」

「どうしたの?」

「ユングレーンが対抗案を出してきたそうです」

「ん? どういうこと?」


 遙香は、宮園から聞いた状況をかいつまんで説明した。


 これまでは、国際規格の叩き台として提出された草案は、遙香たちの作成したものだけだった。このまま何ごともなければ、JDDの仕様がそのまま通りそうな見通しだったのだ。


 ところが、そうすんなりとは事が運びそうもなくなってしまった。今回の会合で、スウェーデンの通信機器メーカーであるユングレーンが別案を出してきたからだ。これではどちらの仕様を採用するかで、真っ向対決になってしまう。


 篠崎は思案げにあごに手を当てた。彼女は現在、遙香の人事上の上司ではあるが、プロジェクトの上での関わりはない。遙香の仕事は「特務」として、単独で請け負っている形になっている。だから篠崎にできることと言えば、第三者の立場からのアドバイスだけである。


 篠崎はまず、一般的な質問から始めた。


「どうにかしたら、互換性とれない?」

「無理です。まず通信方式からして、うちとまるで違ってて」

「ふうん。ちなみに、どんなの?」

「全部テキストで通信する感じで、完全に独自のコマンド仕様なんです」

「いまいちイメージわかないな。たとえばどんな感じなんだろ」

「どんな感じかって言うと……。インターネット系の通信プロトコル、たとえばHTTPとかSMTPとよく似た感じですね」

「おう……。そりゃ確かに、どうしようもないわ」


 CCテックがJDD向けの開発で使用しているのは、CORBAという通信方式だ。読み方はコルバ。機種の異なる装置間での通信を簡単にすることができる標準規格で、今回のような開発では比較的よく用いられる。


 もちろんテキストベースのコマンドなどとは、互換性のとりようがない。


 自分にはお手上げな問題であることを悟り、篠崎は別の質問を試みた。


「宮園さんは何て言ってるの?」

「うちの案が採用されるような資料を作ってくれって」

「何かもっと具体的に『こういう内容で』とか言われなかった?」

「それだけです……」

「丸投げかーい!」


 篠崎は呆れたように天を仰いでから、深くため息をついた。ついでに呪詛を吐く。


「何だかなあ。そういうのは、会合に出席した人が具体案を出しなさいよ。出てない人には、雰囲気も何もわかんないじゃないの。だいたい、どうして入社三年目のハルちゃんに丸投げなのよ。役職は飾りじゃないんだから、見合った仕事してほしいわ。担当部長の肩書き分、ちゃんと働け!」


 前半は、遙香もまったく同じ気持ちではある。しかし立場上、同意するのがためらわれる。後半にいたっては、冴え渡る篠崎の毒舌に、遙香はいささか引き気味だ。そんな彼女をチラリと見やり、篠崎は困ったように笑った。


「……なーんて、ハルちゃんには言えるわけもないしねえ」

「はい」


 おずおずとうなずいた遙香の前で、篠崎は「うーん」としばらく考え込んだ。ややあってから何か思いついた様子で、「そうだ」とポンと手を打つ。


「アメリカからも会合に出てる人いたよね?」

「はい」

「誰だっけ、名前忘れちゃった」

「ジェシーです。ジェシー・ハミルトン」

「そうそう、ジェシーだ。その彼女に相談してみたらどうかな。んで、そっちからも丸投げされるようなら、また教えてくれない? そのときは、ちょっと上に相談してみるわ」

「わかりました」


 遥香は自席に戻り、篠崎のアドバイスに従ってメールを書き始めた。ジェシー・ハミルトンへの問い合わせのメールだ。まずは、宮園から「ユングレーンが対抗案を出してきた」と聞いたこと、さらに「JDDの仕様を通せるような資料を作成するように」と指示を受けたことを書く。最後に、具体的にどのような資料があればよいのか教えてほしい、と締めくくって送信した。


 * * *


 翌日、遙香の問い合わせへの返事がジェシーからあった。


 さっそく篠崎に報告する。


「篠崎さん、ジェシーから返事がありました」

「お。何だって?」

「気にせず、今までどおり資料を作成してくれって」

「へえ。それで大丈夫なの?」

「そこを何とかするのが、会合に出席するメンバーの仕事だから、まかせてくれって言ってます。もし別に資料作成が必要なときには頼むから、そのときはよろしく、ですって」

「頼もしいな!」


 篠崎は肩の荷が下りたように破顔した。そして「それに引き換え……」と低い声でボソッとつぶやくので、遙香は苦笑するしかない。後に続く言葉が容易に想像できてしまうが、わからなかった振りをして聞き流した。


 ジェシーのメールには、いま篠崎に話した結論だけでなく、その根拠も記されていた。


 ITCFでは標準化する規格のことを勧告と呼ぶが、この勧告は、最終的には分科会ごとに参加者による投票で賛否が決まることになっている。ITCFではこうした分科会をワーキンググループと呼ぶ。現在、遙香たちのワーキンググループに参加している日本企業は三社。CCテック、遙香たちが代理を務めているJDD、そして川浦電機だ。


 CCテックとJDDはもちろんJDD案を支持するし、川浦電機からも支持の約束をすでに取り付けてある。JDDは川浦電機にとっても主要な取引先なので、当然彼らもJDD派なのだ。ユングレーンが出してきた案については、今のところ他の企業からの支持がない。どこも中立で様子見している状態だ。ただ、ユングレーン案はあまりにも独自色の強すぎる仕様なので、賛同を得にくいであろうことが予想される。


 だから、今はまだ心配しなくていい、とジェシーは遙香に請け合ってくれた。


 こうした裏事情は、遙香にとって予想外のものだった。技術的な国際標準というものは、てっきり技術的に最も合理的で優れたものを規定するものとばかり思っていたのだ。けれども実際には、国や企業間の政治的な駆け引きによる部分も結構ありそうだ。

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