尋問
日本人…そう名乗った彼らは想像していた“原住民”と顔は似ているが、その姿恰好は似ても似つかなかった。
体格は明らかに我々ルーシより小さい。だがその身を包むのは、獣の皮でも粗布でもなく、見たこともない仕立てのよい布地の軍服、身体の線に密着する不気味な武装。明らかに文明を有している。
そして何より、その動き…軍隊アリだ。命令ひとつで、瞬時に陣形が変わった。声ひとつで、全員が同時に動いた。
(なんだ、この統率は。この辺境のどこに、こんな軍隊が潜んでいた?)
砦に移送されるまで、私はずっとその恐怖をごまかすため唾を飲み続けていた。身体検査は侮辱ですらない。もはや“処置”だった。下着の縫い目から靴底、髪の毛の中まで容赦なく調べつくされ、我々はまるで病院の台に置かれた患者のように扱われた。怒りは湧かない。ただ、畏怖だけが残った。
砦で待っていたのは、さらに理解不能な存在だった。
(あれは、人間なのか?)
ルーシでも滅多にお目にかかれぬ背丈の熊のような大男。肩幅は木枠の扉ほどあり、太い腕は丸太のよう。顔は日本人のそれだが、瞳には冷たさと獣の光が同時に宿っていた。
「アレクセイ・イワノヴィチ・コズィリンだな?」
流暢なルーシ語。
その声は…そう、あの“声を増幅する漏斗の兵器”から響いていた声と同じだと気づき、背筋が凍えた。
「尋問か?」と、声が震えた。
「ああ。」と彼は淡々と言った。
逃げ道はない。
祖国を裏切るわけにはいかない。
だが、生きて戻れるとも思わない。
沈黙が落ちた。
殺されると覚悟した時の無力感。そしてこの沈黙。
だが男は唐突に言った。
「トボリスク、ボヤール、父・セルゲイ・ブラーヴィン…」
息が止まった。
その単語の羅列は、私の素性、生い立ち、父の失脚、それによって起こった我が家の崩壊…すべてを表す。
なぜだ。
「なぜここまで知っている?
日本の間諜か?
あんたはトボリスクの者か?」
そう問いただすと、彼は吐き捨てた。
「質問するのはこっちだ。お前は答える側だ。世間話じゃないんだ。俺を怒らせるなよ?」
その声に、私の喉はきつく閉ざされた。
広間からコサック兵の罵声が聞こえた。
ルーシ語で日本人を罵る内容だ。
男は眉ひとつ動かさず扉を少し開け、部下に命令した。
あっという間に、罵声の主が羽交い絞めにされて部屋へ押し込まれた。
「さっき尋問……って言ってたな?ちょうどいい…」
男は無造作にナイフを取り出し、指でクルクルとナイフ回しをする。
「お前たちの国ではどうやるか知ってるぞ。コイツで実践してみよう。」
そこで行われたのは、尋問ではない。
拷問だった。
我々が“未開の亜人”にやってきた拷問と同じ…いや、それよりも遥かに酷い。
筆舌に尽くしがたいやり方で彼を生きたまま…
やつは表情一つ変えない。淡々と四肢を止血帯で縛ると、体を切り刻み、関節を折る。
コサックは泣き喚き許しを請い、やがて気絶した。
男はその体を蹴って転がし、私の方を振り返った。
「さ、君の番だ。穏便に済ませたいよね」
笑った。
奴は初めて表情を見せた。
氷のような笑顔だった。
私は…敗れた。完全に。
祖国を裏切るなどありえないと思っていた。
だが、生きるためには何を差し出してもいい…腹の底からそう思っていた。
私は本来はただの貴族だ。
気持ちとは裏腹、実際あのような拷問を目の当たりにしたら、恐ろしさで口を閉ざしていられなくなる。
私はすべてを話した。
極東に点在する砦の位置、兵数、武装、補給計画。
北のチュクチの状況。
本国との連絡手段、航路。
軍の構造、士官の癖、コサックの指揮系統。
すべてだ。
私はすべてを売った。
売らねば殺されると思ったし、売っても殺されると覚悟した。ただ、その場を逃れることで一杯だった。あの光景を…思い出すだけで気が狂いそうになる。
全部吐き出した後、もう本国には戻れないのに生に執着する自分が情けなくなり、苦痛の少ないやり方で自害する方法をずっと考えていた。
死に際くらい自分で決めたい。
拷問されるくらいなら… その考えがずっと頭を離れない。
だが…次に私が通されたのは、牢ではなかった。
温かい料理の並んだ食卓だった。
白い小麦の麺が湯気を立て、上には鳥肉や野菜が揚げられたものが乗っている。
信じ難いほど美味かった。
私は口角が上がっているのに気づき、慌てて顔を伏せた。
…なぜ捕虜にこんな食事を?
…どんな魂胆だ?
しかし恐怖以上に、胃袋が歓喜していた。
他のコサックたちも同様だった。
皆、私語は禁止のため口を開けないまでも、表情でわかった。
その後は“尋問”ではなく“事情聴取”が行われた。
しばらく経つと、我々は拘束されたまま、南へ移送された。
そこで私は…別世界を見た。
百メートルを超える巨大な黒鉄の船。
煙を上げる鋼鉄の塔。
そんな驚くべき巨艦に乗せられ、本来我々が制圧するはずだった南の入江に連れていかれた。
そこで見たものは更に圧倒された。
沖に停泊する同型の大型艦が三隻もあるではないか。
我々が10年いや、100年かけても極東に持ち込めない量の、甲板を埋め尽くす物資。
それを鉄の腕のような機械が持ち上げ、次々と陸へ運ぶ。
地上では、煙を吐きながら地面を削る車が走り回っている。
…こいつらは……神か?未開人だったのは俺たちの方なのか?
そこで我々は足枷をつけられたまま、街づくりの肉体労働に従事した。
だが虐待は一切ない。
食事は温かい。
雨風をしのぐ屋根もある。
夜は兵士たちの監視の下で、奇妙な「ゲーム」と呼ばれる遊びまで許された。
建築がひと段落した時は、美味い蒸留酒が振る舞われることもある。
ペリカという報酬も与えられ、売店で好きなものを買う権利も与えられた。
そのうち、別のルーシの捕虜たちも続々と連れてこられるようになり、私はルーシでの職務上、班長としてルーシ人捕虜をまとめる役を任せられた。
日本人は、蜘蛛の巣のように網を張り、次々とルーシ人を捕らえていく。
…これは侵略か?
…いや、違う。これは圧倒的な“秩序”だ。
彼らの秩序の中では、我々が異物だっただけだ。
それもとびっきり小物の。
私は、ある夜気づいた。
…この生活、悪くないな。
売店で買った焼いた鳥と、酒をかき込んでいる時にふと幸せだと感じてしまった。
ひと月ぶりの酒が美味すぎて、つい手持ちのペリカを浪費してしまった。
ここぞとジャガイモの揚げたやつまで…心の底から美味かった。
仲間とカードゲームに興じ一喜一憂する。
そんな些細なことに喜びを感じる。
本国へ凱旋し栄光をつかむこと。それだけを支えにここまで生きてきた。
栄光のため、泥水をすするような生活をしてきた。
だが、いま、義務から解放され、私は初めて“普通の生活”というものを知った。
体を動かし、飯を食い、眠り、時々笑う。
こんな人生があるとは、想像すらしなかった。
こうして我々は日本人の“人柱”として働き、やがてその地には街が築かれた。
アバチャ…彼らがそう呼ぶ町が。
私はもう、祖国に戻るつもりはない。
あのほこり臭い砦にも、飢えた狼のような隊長にも、帰りたいとは思わない。
ここで死ぬなら…悪くないのかもな。




