アレクセイ・イワノヴィチ・コズィリン ー極東探検隊
私は本来、こんな場所にいるはずの人間ではなかった。由緒あるコズィリン家の名を継ぐはずだった男が、父のいわれなき罪の巻き添えで辺境に流され、読み書きも満足にできない粗暴な連中と肩を並べて生活する…神の与えた試練にしても、あまりに悪趣味ではないか。
このカムチャッカの砦もそうだ。男臭く、寒く、退屈。酒と喧嘩と風の音しかない。だが、もうすぐだ。南には“温暖で豊かな地”があると聞いた。そこを屈服させれば、私は本国に凱旋できる。名誉を回復し、再び社交界の場に立つことができる。
ここの未開の亜人どもなど、銃をちらつかせればすぐにひれ伏す。今回の遠征は70名…過去最大規模の探検隊である。私が彼らを率い、「知恵」を活用しながら南方へと進む。南の入江には弓で応戦する原住民がいると聞いたが、まずはあれをねじ伏せるところからだ。場合によっては見せしめも必要だろう。砦を転々とする生活はこの旅で終わる。これは私が自由を取り戻すための最終章なのだ。
氷が解け、海が穏やかになった今日、探検隊はようやく出発した。簡素な“カマキ”と呼ばれる木組みのボロ船に食料を満載し、10数隻に分かれてコサックを率い海辺を南下する。大船団を私の声ひとつで統率できるのは誇らしい気分になる。夕方になり、そろそろ野営地点を探そうかという頃だった。
岬の先に…見覚えのない“大きな建造物”が立っている。砦だ。大きな旗がはためいている。白地に赤い丸。どこの国だ?この地に国と呼ばれるものがあったか?
「別働隊が砦を築いたのか?」
「いやー わがんねぇっす。この辺りは未開人しか住んでいないはずですだ」
私自身にも説明がつかない。だが、冷静に接触を試みるべきだと思った。先行する数名のコサックを浜へ向かわせ、我々の船は沖で待機した。
その時だった。
「ここは日本国領土だ。武装を解除し、我々の指示に従え」
低く、よく通るルーシ語が海を越えて響いてきた。
なんらかの仕掛けを通して増幅された声が、海の上までもはっきりと伝わってくる。
日本??
地図で見たことがある。南方の小さな島国。侍とやらがいるらしい、そんな連中がなぜここに。私は耳を疑った。
浜では、先遣隊が銃を構え、叫び声を上げながら砦へと歩を進めていた。「ヒャッハー!」波の音にかき消され、彼らが何を言ってるのかは聞こえないが、恐らく他の亜人を制圧する時と同様に威嚇の声をあげているのだろう。
再び声が響く。
「最終警告だ。武装解除せよ。銃を砂浜に下ろせ。従わなければ次は頭を吹き飛ばす」
砦の上から放たれる声音は氷のように冷たく、揺るぎがない。私は胸の奥に、じわりと嫌な汗を感じた。
そして…
先遣隊の一人が、砦へ向けて発砲した。
その瞬間、森と崖と建物の影から、見たこともない姿の兵士が百……いや、二百以上、のっそりと現れた。
木陰から出てきた者の顔は黒く塗られ、はっきりとは見えぬが、この地の亜人と同系統の顔に感じる。
「パン、パン、パン、パン」
四発の乾いた連続音。
それだけで、四人の眉間が正確に撃ち抜かれ、あの声が警告した通りに頭部が花のように弾けた。
私は…理解した。
これは“威嚇”などではない。我々が亜人に行っていたのと同様の、感情のこもらない殺戮だ。
「逃げろ! あいつらと戦うな!」
私は必死に叫び、帆を上げるよう船員に指示した。沖へ行けば助かる。あいつらは船を持っていない。
だが、他の船は混乱し、船上から応戦して瞬時に蜂の巣にされ、海へ叩き込まれていく。
砦の声はなおも響いた。
「武装解除して我々の指示に従え」
落ち着ききった声。あれは戦い慣れた者の声だ。こちらがどう動こうと、勝算に影響しないという確信を持っている。
私は震えた。
ようやく沖へ逃れ、立とうとしたら腰が抜けて動けなかった。安堵して周囲を見渡すと、既に味方は半分に減っている。皆同じ反応のようだ。その時、風を裂く音がした。
「ピュン……ピュン……!」
四百メートル以上は離れている。なのに、隣の船の乗り手が頭を撃ち抜かれ、海へ沈んでいった。
なんなんだ、この銃は。こんな離れた場所まで…
我々が原住民を“玩具”のように扱ったように、今度は我々が“射的の的”にされている。
私は神に祈った。心の底から。
しばらくして射撃は止み、残った者は二十名ほどしかいなかった。
70名の蛮勇なコサック冒険団が、ものの数分で壊滅したのだ。それも一方的に。
「戻る……カムチャッカ砦に戻るんだ。報告を……」
崩れ落ちながら命じた時だった。
…“それ”が現れた。
入江から飛び出してきたのは、帆も櫂もない、聞いたことも見たこともない“鉄の船”だった。
物凄い速度で迫り、あっという間に私たちを包囲し波しぶきを高く上げながら旋回している。
そしてまたあの声
「武装解除せよ。降伏の意思があるなら武器を捨て両手を挙げよ。これが最終警告だ。次は全員生かして帰すことはできない。」
近距離であれば…と銃を撃った者は、次の瞬間銃座から絶え間なく放たれる銃弾により、木っ端みじんになった。
あんな威力の銃なんか見たことも聞いたこともない。
私たちは、シャチに囲まれたアザラシと同じだ。
両手を上げ、銃を海に投げ捨てるしかなかった。
金属の枷で手足を繋がれ、船に連行される。生き残った者はわずか18名。
全員捕虜となった。
私は、冷たい海風の中で思った。
…これで、終わりだ。
私の人生は、つまらなく、どうしようもなく、こんな形で幕を閉じるのか。
遠く、あの白地に赤丸の旗が、風に揺れていた。




