シュムシュ 占守島、再び
翔馬は大きな岐路に立たされていた。
シュムシュを国の勢力下にいれることで、一応の日本領土の形は歴史上のものと同規模となる。
これで一旦の拡大政策は終わりになるはず…
だが、ルーシの影響力に怯えながら、常に北方の守りを意識する世界にはもうこりごりだ。
ここで止めるか、先に進むか。
進むのであれば、戦闘は必至である。
”条件のいい場所”でルーシとは国境を分けるが理想の形だろう。
今、この極東にいるルーシ人はすべて集めても1000から2000人ほどしかいない。
これが百年後ともなれば、内地化に伴い人口も増え、先住民の従属化も終わり完全に主権を確立されてしまう。
”開かれた”国際社会の時代になると、その時に侵攻するとなれば、完全に世界の悪者になる。
西欧列強に寄ってたかって邪魔されることは避けたい。
情報伝達も遅い、群雄割拠の植民地時代の今であれば、そのような侵略行為は非難を受けにくい。
実際ヨーロッパは戦乱続きだ。当のルーシも西方でストレミング王国とバルト海を巡り戦争の真っ最中だ。
管理できるエリア外の極東まで手を伸ばし、目が届かない今だからこそやる。
『極東からルーシを追い出す』
六月の終わり。
議会の記録作成は半ばで部下に丸投げし、翔馬は北に向かう。
それだけ急ぐ理由があるからだ。
シュムシュの夏は短い。暖かいうちにやるべきことが山ほどある。
北の海は鈍く光り、潮はまだ冬の名残を混ぜていた。
翔馬は、将軍の命により「海陸測量隊」いわゆる日本軍に編入された50名ほどの幕府直属武人と技術者を率い、再び占守島の浜に降り立った。
夏とはいえ風は冷たく、霧が低くたなびいていたが、彼らの胸には熱があった。
それは、新たな北の地を「守る」という使命の炎だった。
島の南端にあるウレシパの村は、焚き火の煙で出迎えてくれた。
海辺に立つ木造の柵越しに、漁を終えた男たちが笑顔を向ける。
翔馬が馬を下りると、年老いたウレシパがゆっくりと歩み寄り、
両手を差し出して言った。
「また来たか、ショウマ。前に来た時よりも、目が迷いがない。」
翔馬はその言葉に微笑み、荷を下ろすよう部下に合図した。
木箱の中には、缶詰と野菜の苗が整然と並んでいる。
「おみやげだ。食べ物と“未来の種”だ。」
ウレシパが興味深げに箱の中を覗き込む。
ジャガイモ、キャベツ、ニンジン、大麦、そして小さな籠に収まった数羽の鶏。
「冷たい風の島でも、いくつかは育つ。
大地が固ければ、人の手で柔らかくすればいい。」
翔馬の言葉に、ウレシパは深く頷いた。
「ワシらがこれらを育てるのか?この寒い島でそれが可能であれば、夢が膨らむ。
風に負けぬ草は、根を張る。ワシらのようにな。」
翔馬の目的は、交易の再確認に加え、
北方…ルーシ人の影が漂うカムチャッカ方面に、
新たな監視拠点を築くことだった。
その話を切り出すと、ウレシパは迷うことなく言った。
「北の岬? あそこは誰の地でもない。風の神しかおらぬ。
好きに使えばよい。」
それは“許可”というより、
「この地を託す」という静かな承認の響きを持っていた。
翔馬は頭を下げ、礼として数人の農業指導員を村に残すことを告げた。
彼らはアイヌ語を話せる者たちで、研修にはパラムシル島の村民も数名加わる。
両島ともに「野菜を北で育てる」…その試みは、島にとって初の挑戦だった。
それが上手くいくかどうかは、翔馬ですら確信はない。
千島はカムチャッカ半島より海流のせいで夏は気温が上がらない。
その分、冬も極寒までは下がらないのだが、野菜の生育の面でいえば不利な点は多い。
植物の育成に関しては、冬の寒さよりも夏の温度に影響される側面が強い。
しかし、それが可能であるならば、北方政策は大きく変わるだろう。
浜辺の空き地に畑を作り、鍬の握り方から教える。
和人もアイヌも、土にまみれながら笑い合う光景が生まれていった。
ーーー
翔馬は残る隊員と共に船で島の北端へ向かった。
霧が濃く、沖から見える景色には、道と呼べるものもない。
溶岩台地と草の丘が果てしなく続き、風は絶えず横殴りに吹く。
地図上では小さい島だが、人の行き来が南北で断絶されている意味を地形を見て理解した。
シュムシュ島北端から10キロほどと目と鼻の先、白く霞む水平線の先には、カムチャッカの山影が見えた。
「ここが境か……」と副官が呟く。
翔馬は頷き、地面に杭を立てた。
「日本国領土」ロシア語での注意書きも含め。大きな標識看板を設置した。
「この地に、我らの“眼”を置く。南下を許さない意思をここに示すんだ。」
作業は即日始まった。
強風を想定し、まずは地盤を掘り下げ、
海岸の砂利に火山灰と石灰を混ぜて「人造石」を練る。
それを厚く敷き詰め、コンクリ基礎とした。
その上に、おなじみのツーバイフォー構造で官舎を組み上げる。
隣には巨大な倉庫。石炭や食料、水を保管するものだ。
建物の表面には、防弾のための鋼板を張りつける。
翔馬は細部の設計にも口を出し、断熱材の詰め方、
窓枠の向き、煙突の角度まで調整を重ねた。
「ここでは風が敵だ。だから建物を“立てる”んじゃない、“埋める”ように建てるんだ。」
彼の指示で、屋根は低く厚く、壁は二重構造。
室内には石炭暖炉を設置し、温水を循環させる管を這わせる。
これで冬でも凍えずに過ごせる見込みだった。
夕暮れになると、水平線が赤く染まり、
作業員たちは手を止めてその光景を眺めた。
翔馬は塔の上に立ち、沈む陽を見つめながら呟く。
「この海峡の向こうに進むぞ」
七月の風が吹き始める頃、砦はほぼ形を成した。
まだ塗装も終わらぬが、立派な影が海辺に伸びている。
翔馬は現場監督に任を託し、船を北東へ向けて進めた。
「仕上げは任せる。早いうちに屋根を固めろ。煙突の試運転も忘れるな。ここは夏が来る前に冬が来るぞ。」
部下が敬礼する。
彼らの顔には、疲労と同時に確かな誇りが宿っていた。
海風の中、翔馬は振り返る。
丘の上には新しい砦があり、その向こうに灰色の海。
その果てには、ルーシの地が霞んで見えた。
「次は、あの向こうで何が起きているかを見に行く番か……。」
翔馬の目は遠くを見ていた。




