第一回 アイヌモシリ議会 開催
モシリ中央議事堂。
まだ新しい木の香を残した大広間に、ざらついた沈黙が落ちていた。
壁には各支庁の紋が掲げられ、中央には円形の大卓が据えられている。その周りに並ぶ椅子の数は40。アイヌの代表、和人の代表、それぞれが20の議席をもつ。
多数決にて議決をとる。
誰もが姿勢を正し、声を潜めていた。
はじめての議会「イコㇿ・カラ・カンピソイ(共に決める場所)」と説明を受けたが、誰ひとりとして具体的に何をどうすればよいのか、確信を持つ者はいなかった。
現代の視点で見れば、ここまで先住民に忖度した政治は回りくどいと感じる部分はあるだろうが、翔馬は先のことを見越している。
このモシリの統治をモデルケースとして、これから先の入植地に応用していくのだ。
無差別で分別のない開発も望まないし、機密を守る上でも強権性は必要になってくる。
だから、幕府の管理のもと、住民がのびのびと暮らせる世界を作るのが目標だ。
十勝代表のオトキリは、掌に汗をにじませていた。
向かいに座る和人の議員…稲田は、固く口を結んで視線を泳がせている。言葉が通じぬわけではない。だが「議論をする」という行為自体が、双方にとって未知だった。
卓の中央で翔馬が立ち上がった。
白布を巻いた額から一筋の汗が落ちる。
「……これより、第一回アイヌモシリ議会を開きます」
日本語とアイヌ語で交互に語る。ざわ、と一斉に息を呑む音がした。
翔馬は、一人ひとりの顔を見渡した。恐れと緊張、そしてわずかな期待が入り混じる。彼は続ける。
「ここは、誰かの命令に従う場ではありません。
皆がそれぞれの土地で考え、感じたことを持ち寄り、
未来を形にしていく場所です。
互いに敬い、異なる言葉でも、心を通わせましょう。」
沈黙が返ってきた。
その沈黙を破ったのは、釧路支庁の若い代表、ペナンペだった。
「……では、まずは、何から話す?」
ぎこちなく、しかし確かに「議会」が動き始めた瞬間だった。
翔馬が頷く。「本日の議題は五つ。順に取り上げましょう。」
卓上の札には墨書きされた議題が並ぶ。
一、公正なる交易制度の確立
二、村の土地の境界と開墾の取り決め
三、医療と衛生の共有
四、教育の統一
五、治安維持のための隊創設
字の読めないアイヌのために通訳しながら意味を伝える。
五つの文字を見つめながら、誰もが唾を飲み込む。
ペナンペがまた口を開こうとしたが、横からトマコマイ支庁の長老ニセウが手を上げた。
「まずは……話し合う、とはどうすることか、そこから決めるべきでないかの?」
場が一瞬凍った。
和人側の席で苦笑いが起きるが、翔馬はその言葉を真摯に受け止めた。
「そうですね。今日の目的は、正しさを競うことではなく、考えを重ねることです。話す順番も、声の大きさも関係ない。全員が思いを語れるようにします。」
その言葉に、少しだけ空気が和らいだ。
誰かが椅子を軋ませ、別の誰かが深く息をつく。
稲田が手元の紙を見つめながら呟く。「では……まず交易について。和人の町との物々交換の規模や内容を整理したい。」
「アイヌの集落で作る道具や毛皮の量も、合わせて報告したい」とペナンペ。
異なる言葉が、ぎこちなくも一つの流れをつくりはじめる。
ーーー
■最初の議題は「交易」
物々交換の問題は、双方で欲しいものの剥離がある時に発生する。
また、相場も公正取引所を開設するにしても、交易品それぞれの交換レートを人の手で随時設定するのは非常に難しい。間違いが生じるのは目に見えている。
例えば、アザラシの毛皮一頭=米50kg=燻製鮭50匹。しかし、アザラシの毛皮=燻製鮭60匹と間違って設定してしまったような場合だ。
品目が数十、数百にまで上れば、必ずミスは発生する。
お金を介することで、交換比率の複雑な整合性に神経を取られる暇も減るし、物々交換時の品不足からの売り控えもなくなる。
やはり、交換の土台となる基本通貨は必要であり、モシリにも貨幣経済を導入するのは必須になってくるだろう。
貨幣について、アイヌからは「そんな薄っぺらい紙切れや小銭で、商品と同等の価値があるわけない」と反対の意見も多かったが、日本国内では貨幣経済が流通の基盤であるという話を噛み砕いて説明した。
「このお金を使わずにとっておけば、交換のための物資や食料が少ない時に欲しいものが買えるようになる」という言葉で、ある程度は理解を得られたようだ。ぎりぎりの線で可決され、徐々に貨幣経済へ移行する同意が得られた。
■第二議題「村の土地境界線」
非常にセンシティブな話題だが、最初で話をつけておかないと後のトラブルの原因となるのは容易に予想できる。
「土地はカムイからの預かり物」これが基本概念のアイヌの間では、和人が境界線を引くことに大きな抵抗があったし実際に言葉を荒げる人もいた。
翔馬が優しく説く「これは、そなたらアイヌの生活文化を守るための結界のようなものだ。この結界を越えて和人が土地を開発することを違法にするという単純な話なんだ。その境界線について、双方で案を出し合って決めて行こうじゃないか。」
和人の計画なしの個人入植を禁じ、開発は幕府が厳密に管理する。
この案は通ったが、各支庁ごとに個別で交渉して範囲を決めていくことになった。
■第三議題「医療と衛生の導入」
病院の概念はアイヌにはない。和人でも、個人の町医者に診てもらうことはあっても、21世紀のように誰しもが高度な医療を受けるシステムはこの時代には確立されていない。
また、町医者自体も過去の迷信に囚われているところがあるのは以前解説した。
現代医療とは程遠い分野だ。
翔馬は、ここ数年の間に、無数の薬の開発にとりかかっていた。
アオカビから採取培養した細菌感染症の抗生物質のペニシリンが実用一歩手前まできているし、天然痘の予防接種も副作用を調整する段階まできている。そして、九十九里の天然ガス田からはヨウ素がとれる。ヨードチンキやうがい薬、消毒薬は既に実用段階まで来ている。
外科手術で使う麻酔についても、エーテル(全身麻酔)は硫酸ができたことで既に実用一歩手前だ。
これらだけでも、かなりの人を救う効果があると確信している。
調べてみると、アイヌも伝統的に鎮痛作用のある樹皮や熊をも殺す毒など、森で採取できる薬品に詳しい。
双方が歩み寄ることで、更なる医療の発展も見込めるだろう。
この議題は、全会一致で可決された。
健康で長生きしたい。これは人類共通の願いだ。
■第四議題 教育の統一
子供に何を教えるかは文化の核心に触れる問題だ。
これも場が荒れたが、翔馬の言葉で落ち着きを取り戻した。
「双方がお互いの言語を学び、お互いの文化を学ぶ。それが平和的に共存できる一番の早道だ。」
実際アイヌは文字をもたないため、会議の書類に目を通すこともできないし、自ら法律を制定することもできない。学術的な知識も身につかず、このままでは社会的弱者となり和人の波に飲まれてしまうのは安易に予想できる。
逆に和人は、アイヌ語が分からぬために、隣人と長年に渡り意思疎通ができず、一方的な力の関係を作ってしまった自責の念がある。
学校は、子供だけに限らず、アイヌの大人も参加できるよう取り決め、可決された。
■第五議題 治安維持隊
外からの無法者、和人アイヌ関わらずの犯罪人、盗み、暴力、騙し…そんな犯罪を取り締まる機関は必ず必要になる。
和人だけの部隊を作れば、また力で蹂躙されるアイヌのトラウマもよみがえる。
だから、治安維持隊にはアイヌも受け入れ、混成部隊を成す。そのためには、当然読み書きができないといけないし、法律を理解しないといけない。
武器の使用は法に基づき厳格な規律のもとに行う。
住民の信認を得られない隊員は、即座に任を解かれる。
議論を重ねるうちに、アイヌは治安維持隊という言葉が難しすぎて発音できないとし、名称は”警察”ケーサツとして可決された。
もうかれこれ6時間は語っただろうか。外は日が沈みかけている。途中で何度か休憩を挟んだが、最初の緊張が嘘のように活気に満ちた白熱した議論が続いた。
翔馬の閉会の挨拶の後、皆は満足げな顔をして離席する。
「議会ってやつも、案外悪くないな。今日はいい経験をした。」
翔馬にこう話しかけてくるアイヌが数人いた。
翔馬「最初の一歩にしては上出来だったんじゃないか?これが二歩、三歩重なっていくうちに、この地も皆の住みよい土地に変わっていくんだ。君たちはそれを決められる立場にあるんだ。こう言われると、責任を感じるだろ?」
「ああ。お主がお遊びでやっているのではないと分かった。ワシも日本語を勉強しなければな。お互い協力してこの地を住みよい場所にしよう。」
抱擁を交わし、記念すべき最初の議会は終了した。




