1710年 新年 江戸にて暖かい食卓
二か月を超える北の旅を終え、翔馬の乗る自動車が江戸の屋敷に帰り着いたのは、冬の風が頬に痛いほど冷たくなった頃だった。新年も過ぎ、1710年も2月に入ろうかという時だ。
門前では、屋敷の面々が勢ぞろいして出迎えていた。
「天礎さま、お疲れ様でございました!」
先頭に立つ藤川が深く頭を下げる。
「……あぁ、今回は本当に疲れた。骨の折れる仕事だったよ。」
翔馬は苦笑を浮かべ、雪の混じる風を背に屋敷を見上げた。長い遠征の果てに、ようやく辿り着いた我が家。その光景に、胸の奥がじんわりと温かくなる。
そのとき、少し離れたところで、和装にアイヌの首飾りや耳飾りを合わせた少女が、はにかむように立っていた。
ピリカレラ。以前よりもお洒落に、表情にも凛とした自信が宿っている。
「おお、ピリカレラ。江戸はどうだ? 元気にしていたか?」
「ええ。みんないい人で……学校にも行って、千花ちゃんと街に出たりして。毎日が楽しいです。」
翔馬の問いに、ピリカレラは少し照れくさそうに笑う。
「そうか、それは良かった。じゃあな、今日はこいつでご馳走といこうじゃないか。」
翔馬は車の後部座席を開けると、氷漬けにされた木箱を次々と降ろした。中にはモシリの海の幸がぎっしりと詰まっていた。鮭、帆立、タラ、鹿肉のフィレまである。
「うおお……! これは見事だ! こんな魚、江戸では見たことがない!」
「この貝、なんて大きさだ……! 調理法がわかりませぬ!」
「モシリの魚!嬉しいです!」
「任せろ。こう見えて俺は料理は上手いぞ。外は寒いから、中に入って準備だ!」
囲炉裏の炭が赤々と燃える中、翔馬が慣れた手つきで鮭を串に刺し、帆立の殻を火にかける。
香ばしい匂いが漂い始めると、屋敷中の空気が一気に和らいだ。鹿肉は塩を振り網焼き。そして上に和風醤油ソースをかける。ちょうど厨房にあった大根をおろして乗せる。鹿肉の和風ステーキだ。タラはたっぷりの野菜とともに鍋へ。
「う、うまいっ……! うますぎる!こんな美味いもん食ったことがねえ!」
金之助が感激の声をあげ、箸を止められずにいる。笑い声が絶えず、屋敷中が幸福な湯気に包まれた。
食後の多幸感に浸る中、ピリカレラがぽつりと口を開いた。
「一般講座で、農業の授業を受けました。知らないことばかりで……学ぶって、こんなに楽しいものなんですね。他の人達は鶏の話でもちきりでした。」
翔馬が微笑む。
「おお、そうか。久留里で鶏を飼っているんだ。今度見に行ってみるか?俺も視察しないといけないし。」
「いいんですか? ぜひ行きたいです!」
「じゃあ、明日行こう。」
「えっ、あ、明日? 急ですね……まぁ、いいですけど。」
「朝に将軍へ報告に行かなきゃだから、そのあとに出よう。」
「はい。……楽しみにしてます。」
焔の光が彼女の横顔を照らし、髪の間から覗くアイヌの飾りがほのかに揺れた。
翔馬はその姿に、初めて会ったときの怯えた少女の面影を思い出す。今、彼女の瞳には、希望が宿っている。
…あぁ、よかった。江戸が、彼女に笑顔を取り戻してくれた。
翔馬は心の中で静かにそう呟き、杯を掲げた。
その向かいで、ピリカレラは翔馬の横顔を見つめながら、内心で歓喜の声をあげていた。
翔馬さまと二人きり。この人のそばで、もっと多くのことを知りたい。
それはまだ名もなき感情だったが、確かに彼女の中に新しい感情が息づき始めていた。




