江戸評定の間
江戸城、大広間。
畳を埋めるように並ぶ老中・奉行たちの列。その中央には、青ざめた顔で正座する松前藩主・松前昌広。
翔馬は一歩前に進み出て、静かに口を開いた。
「松前藩の蝦夷地統治について、いくつか確認したい。まずは、函館の代官所で行われていた徴税と交易の帳簿。これを御覧ください。」
襖が開き、書状を抱えた与力たちが次々と帳簿を差し出す。帳面は乱れた筆跡と朱印だらけで、数字の改ざん、架空の取引、徴収の上乗せが明白だった。
広間にどよめきが走る。
「これは……」
藩主は一瞬、顔を引きつらせたが、すぐに冷静を装い言った。
「それは代官の不始末。藩として指示したものではございませぬ。あくまで現場の暴走でございます。」
翔馬は、わずかに目を細めた。
「つまり、藩主の耳には一度も入っていなかったと?」
「……信頼して任せておりましたゆえ。」
「では、こちらをご覧いただこう。」
翔馬が合図をすると、与力に手縄を引かれた函館代官が、足を引きずりながら広間に連れられてきた。
顔はやつれ、ボンレスハムのように縄で縛りあげられている。
「そなたの名は?」
「函館代官、小山田左京でございます……」
「問う。おぬしが村々を苦しめ、税をむさぼり、交易品を横流しにしたのは、すべておぬしの独断か?」
代官は一瞬ためらい、俯いた。
そして、震える声で言った。
「……はい。私の一存にございます。」
「偽証は死刑に処すぞ?いいのか?」
激しく動揺する代官。
広間に沈黙が落ちた。
翔馬は、わずかに頷くと、机に次の帳簿を置いた。
「そうか。私の得た情報とは隔たりがあるようだな。」
翔馬の声が低く響く。
「これは長万部、様似、これは厚岸、釧路、これは知内…すべて松前藩の管轄地での帳簿だ。筆跡、印形、徴収率、すべて同じ癖がある。つまり、藩ぐるみで同様の搾取を行っていたということだ。相場を指示する松前藩主の名で送られた書簡も見つけた。どう言い逃れするか?」
老中のひとりが眉を吊り上げる。
藩主・昌広は言葉を失い、口を開けたまま震えている。
「し、しかし、それは……!」
翔馬は、扇を閉じる音をわざと響かせて遮った。
「民を顧みず、己が安泰のみを望む支配。それが、貴殿の言う『統治』なのか。」
その時、広間の襖が開き、外で待っていたアイヌの民がぞろぞろと、長老の導きで入ってきた。
女性たちは怯えながらも、懸命に持ち寄った証文や壊れた器具、焼け焦げた家財を差し出す。
その中に、ひとり若い女がいた。墨を入れていない素肌の腕。
彼女は緊張に唇を震わせながらも、通訳として声を発した。
「……彼らは言っています。交易で得た鮭も、毛皮も、役人が値を勝手に決め、脅して奪っていったと。頑張って働いた自分たちの分も取り上げられ、その冬は食料が絶えたくさん死んだ。命をかけて採取したものをただ同然で奪っていく。断ったら殴られ、切られる者もいる ……私も…体が変わる頃から和人に何度も暴行されて…汚れてしまったので…村に居場所はなく…墨も許されずに…」泣き崩れて言葉にならない。
広間に重い空気が流れる。
将軍・家宣は静かに立ち上がった。
白い衣に身を包み、厳然とした姿で松前藩主を見下ろす。
「松前よ。これだけの証拠と怨嗟を前にしても、まだ己の無実を申すか。」
藩主は顔を伏せ、言葉を失った。
やがて、将軍の声が響き渡った。
「松前藩は廃藩。お主は打ち首じゃ。」
「打ち首…ざわ…ざわ…」
老中の列が一斉にざわめく。
家宣は手を上げて静めると、続けて言った。
「お主は統治能力に欠けると断言する。蝦夷地は直ちに幕府の直轄とする。統治に資する者は幕府が登用し、重罪に値する者は死罪。知らずとも罪に加担した者は投獄のうえ強制労働に処す。
……そして、ここにいる怒れるアイヌの民よ。」
将軍はゆっくりと彼らの前に進み、膝をついた。
誰もが息を呑む中、家宣は深く頭を下げた。
「これまでの仕打ち、まことに申し訳なかった。民を救うのが我らの務めであるのに、長らく目を閉ざしておった。恥じ入るばかりだ。」
老中たちは顔を見合わせ、誰も声を出せなかった。
翔馬は静かに目を閉じ、その姿に敬意を払う。
家宣は顔を上げ、言葉を続けた。
「今後、蝦夷…いや、『アイヌモシリ』と呼ぶ地に、公正な交易所を設ける。不正を防ぐため、和人もアイヌも共に役を担う奉行所を設置する。暴力と搾取は、今この時をもって終わりとする。」
そして、将軍は柔らかく微笑んだ。
「共に新しき国を築こうではないか。互いを認め合い、誇りをもって。」
長老が涙を流し、若い女が嗚咽を漏らした。
翔馬は深く頭を垂れ、胸の奥で静かに呟いた。
(やったな、将軍…)




