筋肉帝国の胎動
あれから三か月。
袖ケ浦の丘陵地では、相変わらず道路工事の槌音が響いていた。だが、同時にもう一つの巨大な構造物群が姿を現しつつあった。長さ五十間(約50メートル)を超える鶏舎が6棟。21世紀に見かける鶏舎とそう変わらない仕組みだ。ここだけで、約6万羽の鶏が収容可能である。
開業からしばらくは、繁殖と卵の確保が主目的であった。雌鳥は廃鶏を除き殺さず、基本的に雄を食用とした。翔馬の頭の中には、すでに計算があった。
「まずは母体を育て、数を増やすのが先決だ。栄養状態が良ければ、雌は毎日卵を産む。優秀な雄は繁殖にまわし、申し訳ないが余った雄は肉になってもらう…人も鶏も可哀想だがオスは外れクジを引くもんだ。いたたまれないが。」
病気による全滅を防ぐため、日本各地から取り寄せた地鶏を掛け合わせ、強靭な系統を作ることに腐心した。病への抵抗性と、肉質、産卵率。そのすべてを、翔馬は独自の記録帳に克明に記していく。まるで医師のカルテのようなその帳面は、やがて「翔馬式改良鶏」の基礎資料として残ることになる。
餌の問題も大きかった。
まだ専用の飼料を量産できる段階ではなく、安い稗や粟を買い集め、米ぬかや魚粉を混ぜて配合する。
「贅沢な餌はいらない。安くて、栄養のあるものを。」
その理念は、後の“庶民のための食肉革命”へとつながる。
三か月目の成果としては上々であった。翔馬は次の目標を定める。
翌年には鶏舎を50棟、さらにその翌年には100棟体制へ。
飼育総数は100万羽。
繁殖によって数が増え続けることを考慮すれば、江戸はもちろん、近隣諸藩にまで鶏を供給できる計算である。
思考を現実に戻すと、さしあたっては…
「究極的には、日本各地に同様の農場を設け、タンパク質接種を日常にする。肉こそが正義。強い体を作る素になる。それが、この国の体力を変える。」
1000年前の弥生や古墳時代から比べると、江戸の人達は拳一つ分小さくなっている。
それだけ栄養状態が良くないんだ。
飼育に関し、豚も検討されたが、それは今することではない。
豚は人間の食料と餌が競合する。飢饉が続くこの時代には、まだ早い。
次に興味を引かれたのは羊である。
羊がいれば、羊毛が取れる。この時代の服装は、薄手の物を重ね着して、はんてんを羽織って寒さをしのいでいる。羊毛の西洋式衣類が普及すると、江戸文化の色は薄まってはしまうが、快適さは大幅に改善される。更には、羊も繁殖が早く、食い物は草だ。そして食肉になる。
だが羊は寒冷を好む。温暖な房総では難しい。翔馬は、地図の北方を指でなぞる。
「北海道……。あそこならいける。」
近ごろ、将軍家宣は翔馬の提言を一度も退けていなかった。
綱吉時代から続く“未来の声”に、家宣は確信と信頼を置いているのがわかる。
「今なら通る。動くなら、この時だ。北海道発の情報にアンテナを張っておこう。」
翔馬は、未来館の波止場に立って海を眺めた。
前方では、通勤用に新造された60人乗りの連結バスが、ゆっくりと前方開放式の揚陸艦タイプの新造艦へと乗り込んでいく。
農場に従事する人や、工事の職人たちを袖ケ浦へと行き来するためのバスだ。
波に光が散り、汽笛とともにゆっくりと新造艦は離れていく。
翔馬は、微かな潮風を胸いっぱいに吸い込みながら呟いた。
「これが落ち着いたら、蝦夷に行ってみるか。」
自室にこもり、構想を練った。




