1709年夏 本格無線網の整備
亡き将軍・綱吉の遺命のひとつに、「無線網の拡充」があった。
その言葉を受けた翔馬は、家宣政権のもとでもその事業を引き継ぎ、全国通信の要を築こうとしていた。だが、それは一筋縄ではいかなかった。
まず問題となったのは、電力である。
増幅塔を建てるには山の上のような高地が適しているが、そんな場所に電気を引ける仕組みなど、この時代には存在しない。
「いっそ、山の上で電気を生む仕掛けを考えるしかないな……風車…いや駄目だ。耐久性が心配だし、安定的じゃない…バッテリーがあれば解決するんだけどな。ウーン…」
翔馬は額に手を当て、図面の上でうなっていた。
蓄電池の技術は硫酸が作れるようになってからがスタートライン。今ではまだ夢のまた夢。
電線ひとつ取っても、絶縁ができずに感電や漏電を起こしてしまう。
紙や麻ひもを幾重にも巻きつける案も考えたが、雨に濡れればただの危険物である。
「ゴムがあればな……」翔馬は呟いた。
だが天然ゴムを手に入れるには遠い南洋との交易が必要であり、現実的ではない。
それでも翔馬は諦めなかった。
試行錯誤は数か月に及び、職人たちの手も焼けどで赤く染まった。
やがて、転機が訪れる。
「ガラスだ。ガラスは電気を通さない。」
ガラス職人を集め、細長い管を吹かせた。
銅線をその中に通してみると、確かに電気は漏れない。
だが、硬すぎる。少し曲げるとすぐに割れてしまう。
「……では、柔らかくすればいい。」
そこで考案されたのが、5センチごとの蛇腹構造ガラスチューブである。
節ごとに細くくびれをつくり、連結すればある程度のしなりを持つ。
さらに外側を和紙で巻き、蝋を染み込ませる。
こうして、応急の絶縁加工はできたのだが、いまいちしっくりこない。
「うーん、破損して雨がしみ込むんだろうな…劣化も早そう」
AIに聞くと、柔らかいガラス素材を作るのは可能らしい。
技術的ハードルは高いが、ガラス粉末を油と漆と複数の鉱物の粉末と混ぜてペースト状にし、銅線にまきつけて高温で焼きつけるというものだ。
その複数の鉱物を作るのに苦労を要した。
面倒なので後回しにしていたが、いざ出来上がってみれば、ようやくしっくりくるものだった。
円形に巻いても折れない。銅線を完全に密封して仕上げも美しい。
ただ、衝撃には弱いので、丁寧に扱う必要はある。
試験の結果、濡れた手で触れても感電はしない。
これをもって、ようやく全国への無線拡張計画が動き出す。
今年中に江戸ー大坂間が繋がり、道路網の拡大に合わせ、逐次電波網は広がっていった。しまいには鹿児島から青森まで、日本中を繋ぐことを目的とする。
麓の川には水車を設置。そして鉄塔施設まで電線で繋ぐ。十分高度がとれ、風が強い場所には風力発電を用いた。
保守として、近隣の農民たちには、日々の点検役を命じた。
朝と夕の二度、機械が動いているかを確かめ、異常があればすぐに報告する。
ただし、装置の中身については一切教えない。
まずは幕府が無線技術を占有し、徐々に藩にも技術を分け与える予定である。民衆へ教える予定は現在のところは後回しだ。
庶民へは、
「知らぬことが安全につながる」…翔馬の判断である。
監視人には一人あたり5000文、今で言えば15万円ほどの報酬が支払われた。
その金に釣られて志願者は絶えず、あっという間に人手は集まった。
「おかげで、無線の道ができましたな。」と、白石がある夜、感嘆の声を漏らした。
翔馬は少し笑みを浮かべる。「いや、まだ“糸”の段階だよ。いずれは、この国の隅々まで“織物”のように張り巡らせる。」
こうして一年も経たぬうちに、日本中を繋ぐ三都を結ぶ通信網が完成した。




