徳川家宣政権 発足
政権交代には例年、月単位の調整がつきものだ。
史実では五月までかかったが、この時代では年度内の三月にて将軍任命までこぎつけた。恐らくは、組閣や協力者を水面下で前もって固めていたために、事が順調に進んだのだろう。
そしてもうひとつ忘れてはならないのが、翔馬の存在だ。
最初は「町民上がりの切れ者」と囁かれていたにすぎなかった。だが、いつしかその名は江戸の町のみならず、災害復旧の折に見せた所業が諸藩の民にまで届いていた。
『江戸の英雄』
人々にはそう呼ばれ、寸劇にまでなっている。
民はその公正さに心を寄せ、藩主たちはその知恵を買い、そして老中たちは信頼を寄せた。
未来館で共に働いた職人や学者たちも、口を揃えて「翔馬さまは、誰よりも人を見てくれる方だ」と語る。
そんな人物が、非常勤とはいえ将軍の相談役となれば、誰もが「何か面白いことが起こる」と胸を躍らせた。
その空気が、家宣の任命を早めたと言っても過言ではない。
3月31日
桜が満開の江戸城。青空を舞う花びらが、まるで時代の幕開けを祝福しているかのようだった。
厳かな儀式の中、徳川家宣が正式に将軍に任命される。
江戸の町は歓喜に包まれ、人々は新たな世の訪れを噛みしめていた。
翔馬は初めて上座に通された。
しかし、そのままでは目立ちすぎる。
俺は日陰の存在であらねばならぬ。
翔馬は静かに席を立ち、誰よりも後方へ…全体が一望できる位置へと移った。
そこから見えるのは、将軍、白石、老中たち。
一人ひとりの表情、息づかい、緊張と安堵の入り混じる瞬間。
翔馬は目を細めた。
「これが、次の時代の形になるのだな」
儀式から数日後、最初の改革が断行された。
長く民を縛ってきた生類憐みの令が、ついに撤廃されたのだ。
町は歓声に包まれ、祝う声と笑いが溢れた。
肉食が解禁されたことで、人々の目には久方ぶりの活気が戻っていた。
だが同時に、別の現実も顔を出す。
肉はどこにもない。
上も下も関係なく、誰もが肉を渇望していた。
その熱気が街路の隅々まで伝わってくる。
そんな中、家宣からの伝令が届いた。
「天礎どの、例の養鶏の件、よろしく頼む。久留里の地を自由に使ってもらってかまわん。」
翔馬はその書状を手に、しばらく黙していた。
風に乗って花びらが一枚、文の上に舞い落ちる。
静かに息をつきながら、翔馬はその花びらを指先で払いのけた。
「よし、わかった。時代を、動かそう。肉は正義だ。」
彼の目には、すでに次の景色が映っていた。
久留里の丘に立ち並ぶ鶏舎。
そんな光景を描きながら、屋敷への帰路につく




