翔馬の立ち位置
新年の祝賀会では、綱吉は誰よりも声高に笑っていた。
白髪は増えたが、威厳はいささかも衰えてはいなかった。
…まさか、その翌週に急逝するとは、誰が想像しただろう。
史実の通り、綱吉は麻疹にかかり、数日のうちに亡くなった。
年の初めから江戸は喪に包まれ、幕府中が慌ただしく動いた。
葬儀の支度、政務の引き継ぎ、そして次の将軍をめぐる静かな駆け引き。
その渦中でも、翔馬は水面下で将軍任命待ちの家宣と繋がっていた。
家宣には新しい幕政の形が必要だった。
そこで翔馬は、ひとつ提案をした。
「側近に、新井白石という人物を登用なされては」と。
学識・誠実ともに申し分ない人材だと伝えると、家宣は静かに頷いた。
さらに翔馬は願い出た。
「私は表には出ず、陰にて支えたく存じます。必要な折にだけ、意見を聞いていただければ。」
家宣はその申し出を快く受け入れた。
その日のうちに、翔馬はひとつの木箱を家宣に渡した。
中には、幕府へ献上した無線機とは別周波数の手回し式通信機と、紙コップほどの小さなイヤホンマイクが収められていた。
「殿下、これをお使いください。
人払いをする必要もございません。窓辺で軽く手回しすれば、いつでも私と話ができます。」
家宣は目を丸くし、しばし沈黙した後、声を殺して笑った。
「まるで妖の術のようだな。さすがは未来技術だ……良かろう、黒子殿。」
こうして、二人の密談は音もなく始まった。
幕閣の誰も知らぬ、夜の静寂を割る“声なき策謀”である。
そして一月下旬。
家宣邸にて、新井白石と翔馬の初顔合わせが実現した。
白石は細身の体に眼光鋭く、学者のような風貌から初対面ながら静かな圧を放っていた。
「かねてより、あなたの噂は耳にしております。将軍の恩賞を辞し、民のために尽くす人格者だと聞き及んでおります。」
その口調は柔らかかったが、問いの刃が隠れていた。
「あなたにとって、“民のため”とは、いかなる義なのですか?」
翔馬は、試されているのを悟った。
少し間をおいて、静かに答える。
「……天は人の上に人を作らず、人の下に人を作らず。互いを尊び、見下さぬこと。それが、争いを未然に防ぐ平和な世のための道だと信じております。…世の東西関わらず、歴史上、権威に溺れた国は、小さな反感が大きなうねりとなりとなり討伐されるのが世の常。歴史から紐解くと、皆が幸せに暮らせる社会が見えてきます。それが目指すべき道かと。」
白石の眉がわずかに動いた。
「儒の教えを学ばれたか?」
「いえ、独りで考え、たどり着いた考えにすぎません。」
(例の台詞は未来の偉人からのパクリだが。)
白石は沈黙し、やがて口角をわずかに上げた。
「……面白い。理に背かずして、型に縛られぬ。なるほど、評判通りの人物だ。」
家宣も満足げに頷いた。
「これで三つ巴が揃ったな。白石、翔馬、そして私。
まずは綱吉殿からこれだけは守り続けてくれと遺言で懇願された『生類憐みの令』あれを終わらせよう。ワシが就任したら真っ先に着手するぞ。」
イキイキと目を輝かせて話す家宣の言葉に、思わずニヤけてしまった。遺言を半月で覆すとは。肉禁止のストレスは、相当広がっていると想像する。
「その生類憐みの令撤廃の話ですが…実は、未来館にて次の試作に入っております。」
「ほう?」と白石が首を傾げる。
翔馬はにやりと笑った。
「……大規模な養鶏場を、作ります。」
白石と家宣が目を見合わせ、思わず苦笑した。
「肉は、大きな体を作る素になるものでございます。安定的に民に肉を食してもらうためには、効率的かつ理にかなった施策をせねばなりませぬ。その食肉に最適なのは鶏でございます。肉も卵も美味くて繁殖も成長も早い。」
ふたりとも納得して頷く。
「そのために必要なのが、土地です。できれば農業に貧弱で民が困っている地がいい。
私が新井様を紹介したのも、打ち壊しになり幕府の属領となった久留里藩(千葉)のことが心に引っかかっていたのが理由のひとつになります。
新井様は久留里藩の出身ですよね? 格別な思いをお持ちだと存じ上げます。私に久留里の地の産業育成をお任せいただけたなら、必ずや成功させる自信があります。
就任されてからの仕事になりますが、その際はぜひ私をご指名ください。それまでは技術を蓄積しておきます。」
…ほう、また面白いことを言い始めおった。
「うむ。わかった。この件に関しては、お主の計画を吟味したうえで決定していこう。」
新しい歯車には、チーユという潤滑油が注がれ、ゆっくり回り始める。




