小田原未来館
■小田原・未来館支部設営と救済
富士山の噴火がようやく鎮まりを見せた頃、翔馬は幕府より下賜された小田原東方の一帯に、未来館の支部を設けることを決定した。
(座標 35.305778943771934, 139.29556470043417)
だが、その地は一面の砂浜であり、直接港湾を築くにはあまりに便が悪い。揚陸できないこともないのだが、長い期間を考えると、ちゃんとした港湾を利用したい。そこで、東海道や廻船の宿場町として栄えている大磯港を拠点とし、物資の陸揚げを行うことにした。幕府領のすぐ隣だ。
大磯から未来館用地までは1キロほど。翔馬は直轄地の使用を幕府から一任されているため、港使用の交渉もすんなりと通った。未来館へは道路と線路で結ぶ。
一か月の間に、未来館の先遣隊と地元農民らが総出で松林を伐り払い、砂地を固め、道を均した。堤を築き、ついには蒸気機関車が走れるだけの幅を備えた線路と街道ができ上がった。
■火山灰撤去と救済の開始
2月後半、最初の部隊と共にブルドーザーや蒸気トラックが到着する。翔馬は指示を徹底した。
「灰を川に流してはならぬ。水害の芽を育てるようなものだ。すべて鉄路で集積場へ運び込め」
重機部隊は、線路の延伸にまずは集中し、かき分けた後に線路を敷いていく。やがて大磯港と小田原未来館を経由した鉄道は、さらに山の手に数キロ伸びた。
広範囲に重機が灰をさらい、それを線路沿いの拠点に積み上げていく。そして、それを機関車に積み込んでいく。延々と続く作業。
蒸気機関車が灰を満載した貨車を日に幾度も往復させる。人足三百人がひと月かけて積む量を、機械は数時間で片づけてしまう。その速さに地域の農民たちは驚嘆し、やがては自ら仕事を請い願った。
■飢えと疲労を癒すもの
だが、農民や避難してきた住民らの顔には、なお疲労と飢えが刻まれていた。耕地は埋まり、家屋は灰に呑まれ、炊く米もない。
その日、未来館の拠点に長蛇の列ができた。
蒸気釜にかけられたのは、見たこともない金属の容器…地震被災地で大活躍した缶詰飯であった。
「ほらよ、熱いから気をつけて」
「これは…米か?いや、魚も…!」
湯気を立てる飯を口にした途端、人々の頬が緩み、涙を流す者すらあった。塩気のきいた赤飯、豆や大根の具材が混じった魚の煮込み…腹を満たす温もりは、荒廃の中で久しく忘れていたものだった。
さらに翔馬は、寝袋を配布させた。分厚い布に包まれると、夜の寒気に震えることなく横になれる。子どもが眠りにつく姿に、母らは深々と頭を下げた。
「殿のおかげで…、この子らは生き延びられます」
翔馬はただ首を振った。
「そうやって、あんたらが安心できる国を作るのが俺らの仕事だ。やるべきことをやっただけよ。報酬はあんたらの笑顔だよ。力強く生きてくれ。」
笑顔と涙が入り混じった不思議な空間だった。
■変わる幕府役人の意識
当初、幕府から派遣された役人の中には、農民や避難民を軽んじる者もいた。しかし翔馬の方針は明快だった。
「被災した人々を客人と思え。彼らは助けを受けるだけの存在ではない。時に彼らは共に立ち上がる仲間だ。それを片時も忘れるではない。」
畑を失った農民が大量に小田原未来館に職を求め集まってくる。
そのほとんどを受け入れ、衣食住を提供した。
食を分け合い、寝床を共にし、作業場に立つ。やがて役人たちもその思想に染まり、農民に「ご苦労」と声をかけるようになった。小田原の地には、支配と被支配を超えた奇妙な一体感が生まれつつあった。
道すがらの農民に、いつもありがとうございますと頭を下げられて、まんざらでもない誇らしい気持ちを感じていた。
「わしらがやってきたのは翔馬殿によると権威主義というものらしい。農民たちと同じ目線で接するのも悪くはないな。感謝されて嫌な気持ちになるものなんていない。これでいいのだろうな…」
■未来館の成長
事業開始から三か月。地震被災地での任務を終えた高野と吉村が小田原へ合流した。
高野「翔馬どの数か月ぶりだな。こっちの様子はどうだ?」
吉村「うわっ、あの灰の山は凄いな。あれ、捨てずにどうするんだよ?海に捨てちゃえばいいのに。」
未来館隣の灰置き場には、数百メートルに渡って灰の山ができている。
翔馬「やあ、ふたりともお疲れ様でした。だいぶ逞しい顔つきになったな。まだまだ山は険しいが、力を貸してくれ。」
ふたりが加入することにより、作業はさらに加速した。線路は一面の灰の原を穿ち、黒い土台の上に新たな未来館の街区が形を成しつつあった。
そんな折、翔馬は二人の幹部に現場を任せ、ふと姿を消す。
「翔馬殿はどこへ…?」
「また、次の備えを考えておられるのだろう。石灰がどうのとか言ってたぞ。」
そこには不安よりもむしろ安堵を覚えた。また何か面白いことをやらかしてくれると信じられる空気がそこにあったからだ。




