大江山 ーニッケル鉱山
江戸の幕府役人の間で、大江山に眠る奇妙な石の話を翔馬が持ち出すと、皆首を傾げるばかりだった。
青みを帯び、叩けば鈍い音がする…その見た目と感触だけでは、何の役に立つかなど到底想像できない。しかし翔馬は、未来の情報でこれはニッケルであると知っている。
価値があるものだと知られると、利権関係が面倒なことになりそうなので、翔馬はあえて合金作成のことは明言せずに、表向きにはこう説明した。
「この石、京の職人が染め物の媒染材にできるかもしれぬと申しております。また畑に混ぜ、土の性質を調べるにも面白いと。さらに、鋼を鍛える際に少し加えてみると、思わぬ変化が得られるやもしれません」
この説明を受け、出てきたのは幕府の鉱山奉行補佐役だった。鉱山奉行は幕府直轄の鉱物資源を管理する役職で、補佐役は現場や調査、許認可の手続きを担っている。
翔馬は、将軍からの任命で省庁を越えた連携交渉が可能な立場でもあるから、交渉の窓口は嫌でも話を聞かないといけない。
老練な役人で、金銀銅の採掘だけでなく、石材や特殊鉱物の扱いにも明るい。翔馬の話を聞き、眉をひそめつつも、表情は柔らかかった。
「なるほど、学問研究や職人の遊びの範囲であれば、よかろう。ただし、金銀財宝をを勝手に掘り荒らすはならぬ。必ず役人を伴わせよ」と老役人は念を押す。
「…亀岡という場所にも、同様に珍しい鉱脈があるとの噂を聞きまして、今すぐというわけではないですが、後々調査採掘の許可をいただければ…」
「うーん、何をもって珍しいのかワシは知らんが、あそこには特別に何かが出るという話は聞かないが?お主が調べてみたいのであれば、それも許可する。」
――亀岡には、タングステン鉱脈が眠っている。これも後に必須になってくる重要素材のひとつだ。あわよくば、この場を借りて…と考えていたが、すんなりと許可をもらい安堵。
タングステンは、ダイヤモンドの次に硬い鉱物で、金属加工の工具の刃に使われ、半導体や電球の材料にもなる。もったいなくて使う気はないが、重くて硬いことから、砲弾の弾頭にも使用できる。とにかく、最上を目指すのであればぜひ採取したい鉱物だ。
ただ、現状では輸送路の問題で手が出せないし、手元にあったとしても加工技術がない。
翔馬はにっこり微笑む。「承知いたしました。街道を少し整備し、蒸気車を通して運搬することも考えております。将来的には年貢や資材輸送にも役立つでしょう」
役人たちはうなずき、手続きを進めることを約束した。その日の午後、翔馬は無事、大江山と亀岡の石採掘と蒸気車搬入の開発許可証を受け取った。幕府の書類に朱印が押されると、これまでの努力が一つの形として結実した瞬間だった。
翔馬は許可証を手に、すぐに身支度を始める。京都と言えど日本海側の遠方になる。街道を歩いて行く選択肢はもとより無い。便利のために文明を発達させたのだから、俺は船で行くぞ。
こうして、翔馬は静かに胸を高鳴らせながら、大江山へと向かうことになった。
ーーー
翔馬は決断した。
「よし、この蒸気運搬船をニッケル採取計画にしばらくは転用する。ちょうど石炭や鉄鉱石の在庫がだぶつき気味だし、タイミングは悪くない。」
高野が少し心配そうに聞く。
「翔馬どの、往復800里(3,000キロ)だぞ。しかも日本海の冬は荒れると聞き及んでいるが…」
翔馬は笑った。
「そのための蒸気船だろう?波が高かろうが風が強かろうが、この船なら耐えられる。」
出航の日、江戸の港では人足や船員たちが慌ただしく荷物を積み込む。翔馬は甲板に立ち、冬の冷たい風を受けながら、航路を地図で確認した。
「一度、長州まで西に進み、関門海峡を経て日本海に入る。天橋立をくぐり、日本海側の港に入る。片道4日、往復で8日を予定している。無理はするなよ。」
船員の一人がうなずく。
「はい、御意。風と波を読みながら、安全第一で参ります。」
出航後、瀬戸内海までは穏やかだったが、日本海に出ればやはり荒れていた。後半は特に波が高く、船は大きく揺れる。人足たちは甲板でロープを抑えながら声をかけ合う。
「おい、こっちも押さえろ!」
「波が高すぎる!少しスピード落とせ!」
「あぁ、もう駄目…気分悪い…」
翔馬も船室から指示を出し、蒸気エンジンの出力を微調整する。4日後、ようやく目的地の港が見えてきた。
岸に着くと、近くの農民たちが驚いた表情で船を見つめている。
「…なんじゃ、あの船は!徳川の葵紋の旗を掲げているぞ。その下の太陽みたいな旗はなんだ?」
翔馬は船上から声をかけた。
「安心せよ。幕府のものだ。無用な心配はせぬよう。」
幕末に生まれたと言われる旭日旗をこの世界にもってきた。既成事実として俺が広めることにした。
農民の言う太陽の旗は旭日旗だ。
サイドの開口部を開き、接岸。農民たちが興味津々で近づいてくる。
「おお、幕府の船とは…ほんまにデカいな。」「こんな大きな船は初めて見たぞ」
翔馬は補佐で同行している高野に向かって言った。
「高野さん、役人の所在と宿屋、風呂屋の位置を確認して、予約を取ってくれんか?俺はちょっとあの農民らに船内を見せてやるから。」
「フフ…見せるのも仕事の内だからな。わかった。」
高野は早速農民に尋ねる。
「すみません、役所はこの港のどちらですか?」
「向こうの小高い丘の上にあります。」
「宿屋は…?」
「港の正面通りに二軒ございます。風呂屋は少し歩きますが、河沿いにありますよ。」
宿の手配も終わり、日もまだ高かったが、船旅の疲れを取るため、この日は全員を休日とすることに決めた。船員も人足も、甲板で腰を下ろして深呼吸をしながら、冬の海風に身を任せる。
宿屋に到着した一行は、早速風呂に入り、ほっと一息。
「いやあ…やっと温かい湯に浸かれるとは…」と、ある船員がつぶやく。
「まだ頭が揺れてるような気がする…」と別の人足が肩を揺すりながら笑った。
翔馬も、暖かい湯につかりながら、明日から始まる鉱山調査と運搬作業の段取りを頭の中で整理する。大きな船を日本海に浮かべ、ニッケルを江戸に運ぶ…期待に胸を膨らませながら、この日は高野と一杯交えてから寝た。
ーーー
翌日、翔馬は、念のために雪かきを装着したブルドーザー型蒸トラックを走らせ、街道の状態を確認していた。幸いにも道は十分に整備されており、蒸気自動車が問題なく通れる状況だ。ただし、ところどころ狭い田んぼ道になっているため、操作には慎重になる。
「よし、この調子なら資材も一度に運べる」と翔馬は満足げに頷く。
同行した高野がメモを取りながら、「これなら初日で高炉の資材も鉱山入り口まで運べそうです」と報告した。
鉱山は、川沿いに12キロ遡上した河岸の田んぼの淵の山にあり、直線路で想定以上にアクセスしやすい。現地に高炉を設置し、精製されたニッケルと副産物の鉄だけを荷積みして持ち帰る予定だ。
その方が効果的だ。
初日は、鉱山入り口に高炉用の資材を置き、作業員たちは宿に戻って休息を取った。疲れた体を湯に浸し、皆静かに夜を過ごす。だが、翌日からは本格的な作業が始まる。
まずは10人の同行した人足に採掘を任せるのだが、採掘が上手くいくようであれば、現地採用も視野に入れている。
人足は慣れた手つきでトラックから資材を下ろし、高炉の組み立てに取り掛かった。
「翔馬様、このブロックはどう積めばいいでしょうか?」と若い作業員が尋ねると、翔馬は手元の設計図を示しながら説明する。「この順序で積むと、熱の回りが均一になる。高炉の効率が違ってくるぞ。」
数日間、蒸気トラックは荷台を連結して鉱山と港の往復を繰り返す。鉄骨や耐火煉瓦、コークスを運びながら、高炉は徐々に形を成していった。作業員同士の呼吸もぴったり合い、連携も取れている。
高炉が完成した後、翔馬はまず鉄とニッケルを含む鉱石を選別した。燃料は船に積んできた石炭とコークスでまかなえる。初めて炉に火を入れ、作業員たちは蒸気の立ち上る高炉を見守った。
「翔馬様、煙が上がりすぎでは?」と若手が心配そうに声を上げると、翔馬は笑って答える。「大丈夫だ。温度が高すぎても低すぎてもダメだ。じっくり見て調整するんだ。」
炉が安定すると、鉄とニッケルを抽出する作業が始まる。
「ニッケルは少ないが、鉄と混ぜると鋼に特別な性質を加えられるんだ。」作業員たちは興味深そうに、そして慎重に作業を進めた。
二か月が過ぎた頃、成果は明らかだった。鉱石から精錬された金属は、鉄が約120トン、ニッケルが約1トン。現地での精錬により、運搬の効率も格段に上がった。
ほんの1トンではあるが、これは大きな進歩になる。
「皆、よくやったな!」と翔馬が声をかけると、作業員たちは汗まみれの顔で満足そうに頷いた。
作業の合間、作業員の一人が冗談めかして言った。「これで江戸の鋼も少しは強くなるんですかね?」
翔馬は微笑みながら答える。「うむ、これを使えば未来館で作る機械も、さらに耐久力が増す。君たちの仕事は単なる採掘じゃない。日本の未来を支えているんだ。」
こうして、現地に高炉を置き、月に一度石炭を補充しながら鉄とニッケルを回収する体制が整った。現地の農閑期の農民たちの働き口にもなり、船員や作業員は、任務を忠実にこなし、翔馬の指示の下で効率的に鉱山作業と精錬を続けることになる。




