閑話:江戸ドライブ
官舎が完成してからというもの、翔馬が屋敷へ帰るのはせいぜい週に一度か二度。しかもそれは、幕府への用事や、鍛冶屋やガラス職人との商談が主な理由であった。
ある日、将軍綱吉への御目通りが叶い、鋼の改良に関する計画書を差し出した時のことである。
綱吉は計画書を一読し、ふと首をかしげた。
「ところで、そちは江戸と未来館の間をどうやって通っておる?」
「徒歩にございます」翔馬は即座に答える。
「なぜ馬を使わぬ? 不思議なことを申すなぁ」
そう言われ、思わず苦笑した。これは以前、番頭にも言われた問いだった。
「馬が小さくて、体の大きい私のような人間が乗れば可哀想に思えますゆえ」
その答えに、綱吉の目がぱっと明るくなる。
「ほう! わしは動物を大切にせねばならぬと常々思っておる。実はな、人が馬に乗ること自体、あまり好きではないのだ。そちの心意気、気に入ったぞ」
思わぬところで意気投合した二人であったが、綱吉は続けて問いかける。
「では、あの自動車なるものはなぜ使わぬ? まだ実用に足らぬか?」
翔馬はやや困ったように頭を下げた。
「恐れながら、十分な性能はあるものの…江戸の町中では幕府の御規制が厳しく、人目につく乗り物は憚られますので……」
すると綱吉は笑みを浮かべ、扇を軽く打ち鳴らした。
「ならば、わしが許す! これを持ってゆけ」
そう言って差し出されたのは、葵の御紋が燦然と輝く許可証であった。これさえあれば堂々と江戸の街中を走れる。翔馬は深々と頭を下げ、その場で拝受した。
…そして後日。
ついに自動車で屋敷へ帰ることになった。幹部の岡部、吉村、高野を乗せ、男4人での「ドライブ」である。
「おい翔馬、これ……ほんとに走るのか?」
高野が不安げに足元を見やる。
「心配するな、俺が作ったんだぞ。壊れたら壊れたで笑い話だ」翔馬が胸を張ると、三人は同時に苦笑した。
「そういうときのお前の自信、半分くらいにして欲しいなあ」吉村が肩をすくめる。
「まあまあ、こうして4人で乗れるだけでも面白いやないか。馬車でも駕籠でもない。新しい風に乗ってるってわけや」岡部が茶を点てるような口ぶりで言い、笑いを誘った。
改良した3速ギアのおかげで時速20キロを超えることもできたが、道行く人々の視線を浴びて、魅せる意味合いも兼ね、歩くほどの速さでゆっくりと進む。
両国橋を渡ると、橋のたもとで商人や子供が立ち止まり、目を丸くして指をさした。
「見ろよ、あのガキども! まるで化け物でも見たみたいな顔だ」高野が指さして笑う。
「化け物じゃなくて発明品だぞ。……よし、せっかくだ。歌でもうたってやろうか」翔馬がふと思いついたように声を上げた。
「歌ぁ? お前、こんな時に?」吉村が呆れたが、岡部がすぐに乗る。
「いいじゃないか。ちょうど流行りの小唄があるだろう」
こうして4人は、江戸で流行っていた端唄を一斉に歌い出した。調子外れも混じったが、拍子木を打つように車輪が「シュッポ、シュッポ」と響き、妙に息の合った合奏となる。
通りすがりの人々はさらに驚き、やがて笑顔で拍手を送る者まで現れた。自動車はただの機械ではなく、江戸の町を舞台にした一座のような存在になっていた。
車の前面には鉄製の凹凸看板「発明奉行 大江戸未来館」。
その文字は誇らしげに陽光を弾き、まるで仲間四人の友情まで照らし出しているかのようであった。




