例の物
宝永2年(1705年)7月上旬
半月で幹部棟が完成し、さらに一か月をかけて職人宿舎や風呂、食堂も整い、ようやく人が暮らせる体裁が整った。ここまで実に三か月。官舎群の骨組みが建ち並び、工場の柱も立ち上がった光景は、一帯を別世界に変えていた。
その間、鍛冶屋の庄吉と親父も訪ねてきた。水運の船に荷を積み込み、納品がてら様子を見に来たのだ。幹部棟が仕上がり、従業員棟用の不足分の資材を現場で製作していた頃だった。
「天礎さま、呼んでいただいてありがとうございます。こちらが納品の品でございます」
緊張で声を張る親父の隣で、庄吉は船中で武士に対する礼儀を散々言われたのか、背を丸めて固まっていた。
「庄吉さん、そんなに固くならなくていいんだよ。俺は君のキラキラした目が好きでね。ぜひ見てもらいたいものがある。親父さんも、現場を見れば何か工夫が浮かぶかもしれないし」
肩を叩いてやると、庄吉は鼻をすすりながら笑顔を取り戻した。
庄吉と親父さんは、一通り工場を視察し、機械に驚くのは想定通りだったが、自分たちは鉄を加工することで、発想を具現化できる力を有していることを認識したらしく、新しい「気づき」に喜んでいるようだった。
今回の納品の品は、ドラム缶ほどの鉄のボイラーと駆動系の金具。庄吉に「これは何を?」と問われるも、「完成したら見せるよ。」とぼかす。例の物のための部材だったが、官舎工事に追われ、手が付けられずにいた。
そしてひと月ほど経った今。官舎も資材置き場も工場の外壁も整い、建設は一区切り。秋元を通じて将軍に奏上し、落成の神事が行われることとなった。
食堂用のベンチシートが官舎の外に並べられ、宮司も儀式の始まりを待つ中、橋の向こうから籠の列が現れる。将軍綱吉と老中八名と護衛武士である。
「ほう、三か月でここまで……報告には聞いておったが、実物は大きなものじゃな」
感嘆する綱吉に、老中たちも口々に驚嘆を漏らした。
儀式は厳かに進み、やがて翔馬の挨拶となる。
「本日ここに至りましたのは、共に汗を流した職人衆と人足の皆々、陰に日向に支えてくださった仲間たちのおかげでございます。そして、日々見守ってくださる秋元様、挑戦を許してくださった将軍家に、心より感謝申し上げます」
布を引き、垂れ幕が外される。現れた文字は「発明奉行 大江戸未来館」。拍手が広がった。
翔馬は続けた。
「この未来館から生まれる発明が、この国を強く豊かにしていくと信じています。どうか皆さま、末永く見守ってくださいませ」
その言葉と同時に…
「シュッポッ……シュッポッ……!」
低く規則的な音が響き始めた。参列者がざわめき、視線を舞台の脇へと向ける。白い蒸気を噴き上げながら、木製の車体に鉄の車輪を備えた奇妙な乗り物が現れた。
速度は人が歩くほど。ぎこちないながらも、確かに自らの力で前へ進んでいる。煙突からは蒸気が上がり、車輪が地面を軋ませて回るたび、地を踏むような振動が足元に伝わる。
その操縦席には、満面の笑みを浮かべた吉村が座っていた。
「どうです! これが、自動車でございます!」
「おおお……!」
将軍を含む参列者たちが一斉にどよめいた。
式典後には、蒸気自動車の周りに老中から職人までが群がった。
「どうやって走るのだ?」
「燃料は何だ?」
「もっと速くはならぬのか?」
大の大人が押し合いへし合い、目を輝かせて質問を浴びせる。煙と蒸気の匂いが立ち込める中、子どものような好奇心に満ちた笑い声が響いた。
こうして「大江戸未来館」の名とともに、例の物の鮮烈な登場は、人々の心に強烈な刻印を残したのだった。




