街の荒くれ者
浅草の居酒屋。
吉村と翔馬は、木の香り漂う一升枡を手にしていた。
「杉と檜、合わせて五百本。明日から係留所に随時届くように段取りとれたぜ。」
「さすが吉村さんだ。これで工房の礎は固まるな」
ふたりが仕事の段取りに酒を合わせていると、店の入口から荒げた声が飛び込んできた。
「もうお売りできる酒はありません!」女将の悲鳴じみた声。
「お侍さん、ツケを払ってもらわねば、ただで呑ませるわけには…」と主人。
逆上して怒声を放つ大男。
「うるせえッ!」障子が蹴り破られ、木枠が粉々に砕けた。
髭面の大柄な浪人が、酒臭い息を撒き散らしながら店内へ踏み込んできた。
背は五尺八寸(175cm)を超え、肩幅も広く、ただ者ではない雰囲気をまとっている。
主人が青ざめ、「奉行所に訴えを…」と言いかけた時、翔馬は盃を置いて静かに声をかけた。
「ご主人、呼ばなくていい。…お侍さん、そんな怒らんで俺たちと一緒に飲まないか?」
吉村が、焦った顔で「やめて、やめて」している。
浪人はギロリと睨みつけ、鼻で笑った。
「見ず知らずの人間に奢られるほど、落ちぶれちゃいねえよ。俺は武人だからな!」
そう言いながら、袖をまくって鍛え上げられた上腕を見せつける。
「ほう、武人か。久々に聞いた言葉だ。…俺も武人には興味がある。どれだけ強いのか。腕っぷしを見せてくんないか。俺も力試しがしたい。」
浪人は唇を歪め、拳を鳴らす。
「てめぇみたいなやさ男、すぐに腕の一本や二本、へし折ってやらぁ!」
翔馬は軽く笑い、吉村に声をかけた。
「吉村さん、行司を頼みます。勝負は相撲だ。外でやろう。…ご主人、戻るから席はそのままでな」
浅草の賑やかな路地に、人垣ができた。
浪人は上着を脱ぎ捨て、隆々とした筋肉を誇示する。剣豪らしい鋭い気迫をまとい、眼光は猛禽のごとし。
だが翔馬が羽織を脱いだ瞬間、場の空気が変わった。熊のような逞しい体躯に、浪人は一瞬息を呑む。
「ぬ…」と喉が鳴った。だが退くことは武士の恥。
組み合った瞬間、地響きのような衝撃。浪人は気合いと共に突っ込むが、翔馬の腕に掴まれると、子供のように宙を舞い、土に叩きつけられた。
一度、二度…十度、二十度。挑むほどに投げられ、地に伏すばかり。
周囲の人々が「喧嘩か?」とざわめく中、町奉行の役人が駆けつけた。
「何事か!喧嘩か!」そしていつもの浪人だと気づき呆れた声を上げる。
「またお前か…」
翔馬は笑みを崩さず、答えた。
「争いじゃない。…ただの相撲遊びですよ」
ついに浪人は大の字になり、肩で息をしながら叫んだ。
「まいった!俺の負けだ…!」
翔馬は手を差し出し、軽やかに言う。
「いい汗かいたな。…さあ、一緒に美味い酒を飲もうじゃないか。金の心配はいらんよ。」
浪人は苦笑し、力なく「おう」と返した。
…再び卓を囲んだ三人。浪人は酒をあおると、ふと目を伏せた。
「…拙者、浜田勝之助と申す。かつて久留里藩(千葉の房総)中老に仕えておったが、藩が取り潰され、浪々の身となった。木更津に妻子を残して江戸に出たが、武士の意地が邪魔をして職にも就けず…このざまだ。自分の不甲斐なさを人にぶつけて…なさけねぇ。」
「それでも、妻子への思いは残っているのか?」翔馬の問いに、勝之助は拳を握りしめ、天を仰ぎ瞑った目から涙がこぼれた。
「当然だ…!」
翔馬は盃を置き、真剣な眼差しを向けた。
「ならば俺のところに来ないか? 家族ごと受け入れよう。…俺は天礎翔馬。将軍綱吉公より、発明奉行の長を任ぜられた。屋敷を守る人間を探している。お前は門番となり、剣を振るい、家を護れ。給金も住まいも心配はいらん」
勝之助は驚き、食い入るように翔馬を見た。
「…こんな身も心も広い文官がいたのか……」
翔馬は笑った。
「俺は二週間前まで町人だった。だが、縁が積み重なり、今こうしている。吉村さんと出会ったのも縁、そしてお前と出会ったのも縁だ。一目見て、直感的に話してみたいと思った……俺はこの縁を大事にしたい。だから、共に来てくれ。」
勝之助は正座し、深々と頭を垂れた。
「承知仕った。浜田勝之助、この命の限り、お仕えいたします!」
居酒屋の片隅で、観衆のざわめきも忘れるほどの荘厳さが漂った。
翔馬は笑みを浮かべ、「勝之助さん、お願いしますよ。」と応じた。
居酒屋の客が、指笛を鳴らしてこの始終に歓喜していた。
で、壊したお店の造作は、手持ち足りなかったので吉村に払ってもらった。
吉村「えぇ!?俺が?…なんでぇ」




