さてどうなるやら
宝永2年(1705年)3月下旬
秋元氏に要望を伝えてからひと月。
俺は、史実から知る宝永四年の大地震と富士山噴火を意識していた。
再来年の年末。あと2年半ほどしかない。
誰にも災害のことを言い出せるわけもなく、ただ黙々と耐震性と居住性能に優れ、大量生産に向く住宅のひな型設計に没頭していた。
宝永地震とは、いわゆる南海トラフ地震のことであり、紀伊沖から四国にかけての広範囲で大地震が連動したものだ。
死者は数万人以上。所により10mを越える津波が襲い、数万戸もの家が流された悲劇である。
その後に富士山の噴火もあり、更に被害は拡大した。
俺が作ろうとしているのは、アメリカなどで主に作られているツーバイフォー住宅というもので、あらかじめ決まったサイズの木材を組み立てて壁のモジュールを作り、それを基礎上に立ち上げて組み立てるだけだ。柱すら必要ない。
基礎さえできていれば、1日で棟上げが可能だ。
後は、内外装にしっくいを塗り、瓦を乗せたら終わり。3か月はかかっていた建築を、準備さえよければ半月でこなすのも可能になる。
事前の調べで、震災後の災害復旧事業を秋元氏が引き受けていたことを知っている。
口利きできる秋元氏だからこそ、きっと価値を見出してくれるであろうことを望んで。
その家のミニチュア模型を作っている。
材木屋で丸太をかつら剥きにし、薄い板を作る。米糊で圧着し、アイロンで熱をかけて平らにしてからカットすることで、正確なツーバイフォーパネルのコンパネ基材が完成する。外面は漆喰の乗りがいいように凹凸をつけ、そのコンパネに規格で揃えた棒を格子状に組み上げ、それに内壁パネルを張りつけ壁モジュールを作る。
恐らく、本物サイズで作る時は、薄い板を削りだすための工作機械や丸鋸などの工具が必要になってくるはずだ。
内壁と外壁の間には吸湿性のおがくずを断熱材として詰め込む。
これを同じものを大量に作り、組み合わせるだけで家の骨格ができる。基礎はまだコンクリートがないため、石を敷き、土台の木枠を固定。その上にツーバイフォーパネルを積み上げ、屋根には軽量の薄瓦を用いた。
ガラスの窓を作りたくて街のガラス工房を訪れたが、販売されているのは切子や舶来品など高級品ばかりで、市民にガラス製品を普及する兆候まで至っていないことを痛感する。しかし、レンズは存在していた。焦点60センチの主レンズと、焦点1.5センチの接眼レンズを加工してもらい、倍率約40倍の望遠鏡を完成させる。完全な透明ガラスとはいかぬが、とりあえずの試作としては十分であろう。
家の出来も、しっくいと瓦で日本ぽい雰囲気は醸しだしているが、現代風でいう和モダンな感じでなかなか悪くない。江戸の街並みにも合う。
工房に岡部、高野、吉村も集まり、翔馬の手際を見守る。薄板を正確に組み上げる手際、断熱材を詰め込む速さ、レンズの組み合わせや小型機関の動作調整に、三人は自然と息を飲む。
「……これは、頭の中に設計図があるくらい、迷いなく作らはりますなぁ」岡部が漏らす。
「わしには何を作っているのか皆目見当がつかぬ……」高野も目を丸くする。
吉村は、小さく頷きながら「天才と呼ばれる人間はいろいろ見てきたが、翔馬どのほどの……」
翔馬は苦笑いを浮かべながらも、口には出さない。未来の知識を持つがゆえの孤独、そしてもし本当のことが露見すれば、身の破滅につながる秘密。誰にも言えない苦悩を胸に秘め、黙々と作業を続ける。
ある日、岡部が秋元氏の言伝でやってくる。
「翔馬殿、審議の結果、他の老中と将軍様の前で発明品を公開せよとの命が下った」
翔馬は深く息を整え、覚悟を決める。これまで共に歩んできた岡部、高野、吉村も同席することになった。
「しばらくは、付き人として手伝えと命が下った」
三人はうなずき、まずは景気づけに酒を手にする。翔馬は未来の知識を胸に秘めつつ、幕府の前での実演に向けて、最後の仕上げ段取りに没頭するのだった。




